現状の、一人の教員が多数の学生に対して教育するスタイルで、主体性を養うのは無理です。
それをやると、一方通行の「受け取るだけ」の暗記型の知識習得にならざるを得ない。
実際、現状がそうなっています。
というか、そもそもプロイセン型の教育は、主体性を育むための制度では無いのです。
むしろ、主体性を抑制して不要化することで、効率よく教育することが目的。
プロイセン型教育は
- 国家に忠実で
- 規律を理解し
- 命令を正確に実行し
- 役割を逸脱しない
そんな大量の人材を、安定して供給するために考案されたものです。
この目的においては
- 個々人が目的を問い直したり、現状を疑ったりする
- 判断基準を自分で持つ
- 指示と異なる選択をする
といった主体性は、むしろノイズになります。
授業でこれをやったら、間違いなく怒られるでしょう。
そもそもこれらは「自ら考える」ということなのですけどね。
対して、授業でやるのは「与えられた”型”で考える」ということです。
「問題を解く」というのは、一見「考えている」ように見えますが、記憶した既存の解法を使って「問題を解く」という作業を行っているわけで、主体性を発揮して自ら考えているわけではありません。
そもそも、カンニングペーパーを利用すれば良い点数を取れるような試験で、実践的な能力は評価できません。
実務ではカンニングは自由で、最終的にどれだけ価値を生み出せるかが問われるのみですから。
大事なのは、何をもって価値とするのかとか、どうやって価値を生み出すかを自ら考え、実践することでしょう。
ただ、現状の学校においては、色々と主体性を育むための工夫をしようとはしています。
プロイセン型から脱することなく、日本オリジナルの形が作られようとしているのかもしれませんが、そもそもシステムの根底の部分が矛盾しているので難しいでしょう。
とはいえ、最終的には我々オリジナルの”型”ができるのが理想だとは思います。
私ごときでもこの程度は思い付くのだから、きっと頭の良い偉い人達は、この問題を理解していると思います。
けど、現状のシステムをひっくり返すのは簡単ではないのでしょう。
少子化で少人数になるなら、プロイセン的なスタイルはやめてしまって、いっそ真逆の少人数制でやれば主体性は発揮しやすくなります。
その場合は人件費が問題になるでしょうけど、ボランティアなら成立しますね。
そりゃ、夢工房ですが。
