チャレンジは非対称性を持つ

失敗は皆の嫌われ者。
だけど、多くが失敗を理解していないというお話しです。

一般的に
チャレンジして、成功すればプラス側にカウントされる。

では、失敗すると逆に何かが奪われてしまうのか?

実は何も奪われることはない。

すでに持っているものを奪われるようなことはないし
今できていることができなくなるわけでもない。

新しい知見が得られるという意味では
成功しようが失敗しようがプラスにカウントできる。

成功すれば得られる
失敗すれば失う
のであれば、それは
対称性を持つ
ということになるのだけど

チャレンジの実際では
やれば得られる
失敗しても失うわけではない
むしろ、それでも何かを得られる
というように
非対称
なのですね。

ただし失敗した時に
ネガティブな見方をしてしまうと
得られるはずのものも見えなくなってしまう
という点には注意が必要です。

要は、受け止め方次第
つまり、自分次第ということです。

ちなみに
チャレンジしなければ失うものはありません。
しかし、得られるものは何もない
ということになります。

学びの本質

そもそも
「何のために学ぶか」がズレているのではないか
と思っています。

本来、学習は成長そのものであるのが理想でしょう。
「成長」とは学力でしょうか?
学力が含まれていても良いと思いますが、イコールでは無いはずです。
現実世界の課題を解決するために学んでいるのですから。

その「課題」とは
将来の職業であったり、スキルであったり、具体的な能力だったり…
それらを実現するのがゴールです。

なので学習は
それらの課題を解決し
ゴールに到達するためのものである必要があります。

エンジニアを育成するのであれば
現場で、現実で、現物で
役に立つ知識や経験が重要でしょう。

しかし、実際はどうなっているかというと
学習は単位取得の手段です。
学校では、どんなに実践力を持っていても
ペーパーテストの点数が良くなければダメです。

与えられたから学ぶ
学んだことは、いつか使うだろう(その多くは使わないけど)
ではなく

必要に迫られて学ぶ
課題を解決するために学ぶ
やってみて、分からないから学ぶ
そして、自分で決めて動く

これでしょう。

なので、魅力的なゴールが重要なのですよね。

結局は熱量なんだよ

一体どうしたらハイレベルなものづくりが、ハイレベルなチャレンジができるのか?
それを明らかにして適用するのが、私の業務上のミッションです。

恐らく一般的には
学校での教育による知識の獲得が…
ということになるのでしょう。

でも、それは本当だろうか?

アカデミックな世界にいる人達は
「知識こそ全て」
となりがちなのかも知れません。

エンジニアリングの世界にいる人も
「知識がものを言う」
となりがちなのかもしれません。
いや、それに加えて「経験が…」となるかな、

いずれにせよ、もちろん知識は重要です。
しかし、これまでの様々な業務経験から
知識さえあれば良い仕事ができる
とは言い切れないことは断言できます。

言ってみれば、知識は道具のようなもの。
それをアイデアに変換して
実現に向けて駆動するのは何か?

それは「熱意」でしょうね。
ついでに言うなら、「主体性」もそこから発動します。
「動機」は、何かに取り掛かる際には、すでに存在するので、ここでは際除外します。

しかし大問題があります。

その「熱意」を
一体どうやったら強化できるのか。

それが大問題。