「安定」は危険 ストレスは「敵」ではない その1

今読んでいる「反脆弱性」に

機械などの非複雑系は安定はすなわち「安定」だが
有機体などの複雑系にとって安定は死を意味する

といったようなことが書いてありました。
これ、どういうことかというと

機械などは、動作し続けると消耗していき、安定から遠ざかっていくが、人を含む生きものは、細胞レベルまで見て、安定しているということは死んでいることだし、完全に安定して変化しない状態は、死んで組織が分解しきった状態だったりするわけで、それはまさに究極的な安定である「死」だ。

ということ。
※原文ママではありません。

そんなことを考えていると、良く多くが目指す
将来の安定
は、決して良い事ではないのだな
と思うのです。

だって安定した状態を目指す生き方は、想定外の出来事には対応できなくなっていくというこでしょう。
それは、より弱く、脆弱に、そして無価値になる道ではなかろうか。

で、そこから脱するためには何が必要か?

それはストレスでしょう!
ということなのです。

そのストレスの正体は
変動性や変化、想定外の出来事やいわゆる失敗など
一般的にはリスクに分類され、避けるべきものとされます。

次回は、その辺の考え方を展開してみましょう。

すぐやるために

何度も記事にしていますが「すぐやる」の話です。

先送りしたものは、常に心のどこかに引っかかって、心理的なリソースを喰い続ける。
すると、ますます億劫になって、できなくなる。
ストレスとは時間と共に蓄積していきます。

なので、できることはすぐやってしまうことが重要。

やるべきことのハードルが高ければ、壁が厚ければ、一気にやっつけるのは難しい。
なので、そういう場合は「できること」には分類されず、先送りになる可能性が高い。

一応言っておきますが、「あとでやる」は、「やらない」の仲間です。
「今は”やらない”」を決断しているので、「やる」側ではありません。

ではどうするか?

一つは、難易度が高いものでも、その中からすぐできそうなことを抽出するとか、概要を単純化するとかして、手を付けられるものだけでもやってしまう。
それだけでもかなりストレスは変わってくるので、その後の行動が変わります。

もう一つ。
これは考え方の問題。

「やる」となると、まるでテストの問題を解くように「正解」でなければならない
と思っていないかな?

別に良いのですよ。
一発正解じゃなくても。

まずやる
間違えても、低レベルでも良いからやる。
そして、その結果を観察して評価する。
結果としてダメだったものは仕方ないので、次はどうするかを考える材料にする。
そんな感じで良いのです。

とにかく手を付けてしまえば、やる前よりは確実に前に進んでいるわけで、状況は良くなっていることがほとんど。
少なくとも、精神的には楽になっていたりするものです。

良い結果が欲しければ、リファインを継続すれば良いだけの話です。
そのリファインのプロセスを楽しめたら最高ですね。

問題は「効率」かも

色々と考えていると、問題ばかり見えてきます。
それはそれで大事なことなのですが、もっと大事なのは

じゃ、どうするの?

ということです。

問題を指摘するのは誰でもできます。
同様に、問題に対して文句を言うのも簡単です。

では、どうする?

まず、現状を変えて試してみることでしょう。
で、何がどうなるかを見てみる。

どうも我々は
何かをやるには正解じゃ無いとダメ
すぐに結果が出ないとダメ
といったような考え方をしがちです。

確かに、すぐに望む結果が出れば、それはそれでハッピーでしょう。
効率が良いという言い方もできますし。

しかし、どうもその「効率」が、そもそも問題なのではないか、とも思うのです。

確かに効率が良ければ、無駄なリソースを使わずに済むし
何より、時間を有効活用して、最終的な結果のレベルを上げられそうです。

そう。
効率をトッププライオリティとすると、トライの回数は最低限にしたくなる。
その結果、ゴールに適合しないトライは
つまり、成功に達しない、いわゆる「失敗」は、「悪」となる。

チャレンジするということは
成功するまでのトライは全て成功していないわけで
言ってみれば、それらは全て「失敗」です。

失敗が悪なら、チャレンジの行程における数多くのトライは悪行のようなもの。
そんな価値観を持っていたら、チャレンジにはとても絶えられません。

でも、その「悪」を排除する方法があります。
それは…

やらないこと

どうも、この辺に問題の根源があるのではないかな、なんて思うのです。
我々は効率を追求して、たどり着いた一つが、「やらないこと」…?

何かとても皮肉で滑稽ですが、栄枯盛衰とも言います。
諸行無常が世の常です。

で、どうするか?
です。