君はどう生きる?

「君たちはどう生きるか」ってアニメがありましたけどね。それではありません。

我々は何のためにどのように生きるべきか?
そんなことを考えたりするのですよ。

だって、将来のために学ぶ学生達と一緒にいるのですから、それこそ「何のために」学ぶのだ?って話で、その学びは将来のためなわけで、まさに生きるためなので…

どう生きていくつもりなのだ?
というところに繋がっていくのですよ。

そんなことは、ちょっと考えて答えが出るようなものではないだろうけど、考えずにはいられない。
だって、そこに意味が無ければ生きる意味が無いから。

意味が無くても我々は生きられますけどね。
でも、それじゃつまらないでしょう。

願わくば、幸福感を感じながら楽しく生きていきたい。
とか言うと
それは一体どういうこと?
となります。

でも、それは人それぞれですよね。

自分は短期的に自分だけが楽しければ良いのだ、得すれば良いのだ。
という人もいるでしょう。
それでは長期的に見ると寂しい人生になりそうですが。
まぁ、そういうケースを例に取るのはあまりに極端ですね。

学校で学ぶことは、将来誰かの役に立つためです。
これは断言したい。

誰の役にも立たないことは仕事として成立しない。
その仕事に使うための学びでしょう。

仕事する ー 給料もらう ー ハッピー

このロジックでは大事なことが欠けています。
自分が発揮する能力の対象が不明確なので、恐らく行き詰まるか、その状態になれて麻痺します。

お金のために仕事をするのだ。と勘違いすると、自分の欲求の追求にフォーカスしていって、どうのように仕事をすべきか分からなくなる。
自分が得することばかり考え始まると、当然ながら徳は無くなる。
すると群れ(人の集合体)での価値は低下します。
その状態は幸せでは無いでしょう。

もっとお金があれば…
と勘違いすると、その状態はますます加速します。
労せずに…なんかが加わると、もう手が付けられない。

別にお金が悪いわけではありませんが、何を直接的に求めるのだ?という話です。

仕事する ー 誰かが喜ぶ ー 自分もハッピー

これですね。
で、どうせなら得意なことや好きなことで人の役に立ちたいものです。

シンプルだけど難しいです。
でも、一番楽しいのはこれです。

想像力を鍛えねば

新しいものを作るには、まずそれが想像できなければなりません。
最終的にはどうしたいか
想像もできないゴールを設定することはできませんから。

それが想像できたら、次にそのためには何が必要かを考える。
これもことによっては想像するわけですが、ゴールの想像よりも抽象度が低い。
つまり相対的に抽象的ではなくなる。具体的になるってことです。

そうやって、「そのためには何が?」「そのためには何が?」…と考えていくと、どんどん抽象度が下がっていって、より具体的になっていきます。

最下層の方になると、ほとんど想像力は必要無くなって、具体的に何が必要かを明確にするためには、「考える」よりも「探す」に近いことになるはず。

で、具体的なことが明確になったらやるだけです。

間違えてはいけないのは、最下層から上に向かって積み上げてはいけないということ。
そんなことをしても未来は見通せないと思います。
嘘だと思ったらやってみましょう。

今、大学でこんなことを勉強している。
それを継続するとこういうことになる。

ってな具合に積み上げていくとどうなるでしょう?
望んだ未来が手に入りますか?

望まない結果になるか
訳分からないことになるか
恐らくどちらかではないかな。

というわけで、新しい何かを為すためには、想像力が必要なのです。

さぁ、想像力を鍛えましょう。

でも、どうしましょうね?

まずは小さな事でも良いので、面白そうなことをやってみるのがお勧めです。
あまりリスクとかを考えずに
「こうなったらいいな」
と、望む未来を想像します。
で、やってみる。

そんなことを繰り返していけば、勝手に想像力は鍛えられるはず。
経験上、そう思っています。

大事なことを、多少思った通りにならなくても、その経験を活かして
「じゃ、つぎはこうしてみよう」
とループを回し続けること。
そしてそれを楽しむこと。

その辺が大事なのではないかな。

それができなければ、言われたことをやるしかない。
渡されたものを受け取り、消費する側に回るしかない。

先入観は手強い

人には先入観というものがありまして、過去の経験とか情報とかによって、観念が固定化されてしまうのです。

食べ物の好き嫌いなんて最たるものではないでしょうか。
幼少の頃に食べたものに対する負の印象を持つと、成長してからもその印象がなかなか消えなかったりしますよね。

恐らくこれ、生存本能なんかから来るものなのでしょうね。
身を守るための機能として。

食べ物なら
「なんか食感が」
とか
「苦みが」
とか、そんな感じ。
体が「それ食ったらヤバいぞ」と言っている。
アレルギー持ちでなければ、別に食べても問題はないのでしょうけど「何か嫌」ってな感じでしょう。
それは、対象に遭遇したときのファーストインプレッションで決まる。

ちなみに私、食べ物の好き嫌いはありません。
小さい頃はありましたけどね。

今では、好き嫌いがあるってもったいないな、と思うのです。
例えば、ピーマンが嫌いという好き嫌いがあったとしましょう。
とすると、世界一美味しいピーマンを楽しめません。
それは大変もったいないことです。

で、その好き嫌いというか、先入観を壊すと、その先が見えてきたりするわけですが、そういうのを楽しみとして味わえると良いのだろうなぁ、なんて思うのです。

というのも、学生の時は「学び」って、何に役立つか分からないけど、仕方なく覚えるものだったりするでしょう。全てではないけど。

エンジニアとして仕事をしていると、当然ながら色々と「不足」が生じるわけで、それはもう知識やらスキルやら色々ですが。
でも、それらを手に入れていくと、できることが増えたり大きくなったりするわけですよ。
それは「学び」ですよね。
その学びのプロセスは、とても楽しくて充実感があります。

しかし、「学び」に対する先入観が、学生の時に感じた
「何に役立つか分からないけど、仕方なく覚えるもの」
であり続ける限り
「仕事は言われたことを我慢してやらされるものだ」
という先入観が抜けない限り、楽しくはなっていかないだろうなぁ、と思うのです。

本当であれば、そいう言った先入観を学生のうちに壊して再構築できると良いのですけどね。
直感でものの良否が分かるようになるとか。
難しいかもしれませんが、大事なことです。