「面倒」の扱い方

若いうちは
何もできないと言ったら言い過ぎだけど
これから色々できるようになる過程なのだから
色々やらなきゃいけない。

やりたいことも
やらされることも

そりゃ面倒に感じることも多いだろうと思う。

でも、自分のゴールを決めて
自分には何が必要かを考えれば
面倒という感覚は低減されるでしょう。

そしてそれが
どうしても必要だ・欲しい
となれば
面倒という感覚は消滅します。

そのように
面倒なものを欲しいものに変えてしまうことこそが
学びと成長の効率を向上させるはずです。

一般的に言われる「必要であろうこと」に関しても
考え無しに受入れるのではなく

自ら取捨選別をして
強みをつくる・伸ばす

というのが
これからは戦略としては重要となってくる
と思っています。

そんなふうにやっていれば
勘違いとか間違い、失敗はあるだろうけど
リスクを払わずに価値を構築するのは不可能です。

その辺は腹を決める必要があるでしょう。

主体性の育み方7

今回のお話しのゴールはこれです。

自分でゴールをセットして
チャレンジできるようになるべし

そして、それを妨げているのはこんなこと。

他から与えられた目的や動機に対して
正解とか不正解とかやっていると
不正解とか失敗を避けたくなる。
「正解の外に出る力」は育ちにくい。

そして
本人が考える前に
望む前に
差し出してしまう
レールを牽いてしまう

それは主体性を失うためのトレーニングでもあるし
やればやるほと失敗を恐れて
失敗すらしないようにするために
チャレンジできなくなる。

いわゆる
ノートライ・ノーエラー
が起きがち。

もちろん
目的と手段の入れ替えが起きるとか
ゴールの設定ができなくなるとか
そういうことにもなります。

ではどうしましょう?

主体性を育むためには
こんな循環が必要なのではないかと考えます。

興味・好奇心
面白そう、やってみたい
まずはココから

自分で選ぶ
自分でそれが決める
小さなことでも

分からなくても
失敗しても
暫定で動く

実際にやってみる
成功も失敗も経験する
経験の数を重視する

どんな結果でも
発見があるはずで
自分の行動が
「何かを変えた」
という実感を得る

もっとやってみたい
次の挑戦を自ら考えて
新たな興味と自己決定で循環する

そういうことができる環境が必要でしょう。

今年の2月に行ったニュージーランドの
とある高校の校長先生が言っていた
「大事なのは学びとスリルなのよ」
という言葉が実に的を射ていると思いました。

この場合の「学び」は
Learnであって
Studyではありません。

自ら決めてチャレンジして
経験を身に付けていく
そういうことです。

リスクを自らコントロールして
楽しみながらスリルと上手に付き合っていく
そういうことでしょう。

このネタはこの辺にしておきましょう。
何か思い付いたらまた書きますけどね。

主体性の育み方6

主体性が不要となる原因の一つは

失敗しないように
間違えないように

という親切心であり親心でしょう。

教員として言わせてもらえば

聞かれたことに正しい答えを返せる
言われたことができる

そういう学生になって欲しいわけで
言ってみれば
授業が効率よく進むための能力獲得
かな。

それが果たして
実社会で求められる能力なのかはさておいて
ですが。

さておくなよ!
という感じですが。

で、この場合重要なのは

失敗しないように
間違えないように
聞かれたことに正しい答えを返せる
言われたことができる

というのが、果たして誰のためなのか?
それらのゴールは何なのだ?
というところです。

そんなのは簡単で
指示する人を安心させて
満足させるためでしょう。

指示する人がハッピーになれば
指示された側もハッピーになるでしょうね。

しかし多くの場合それは
学校や家庭という
限定されたフィールドにおける短期的なものです。

しかし皮肉なことにそれが

考える経験
実行する経験
その結果に対する自己評価と改善

そういった機会を奪っていて

結果として
自分で考えられない
決められない
行動できない

ということが起きる。

言われたことしかやらない
言われないとやらない

そうなるのは当然かもしれない。

それが極めて上手にできるのであれば
テストで満点が取れるでしょうから
家庭でも学校でもハッピーでしょう。

しかし、それが社会から求められているかというと
決してそんなことは無いわけで
他から必要とされなければ
それはハッピーではありませんね。

とはいえ、本人はどうなのかというと
天井は自分の価値観で決めているので
「そんなもんだ」と思うなら
満足できるかは別として
納得はできるのかもしれません。

続く