冒険したらいいんじゃないかな

ネットが生活の一部になってだいぶ経ちますね。
広大な情報の世界に手軽に触れられて、大変便利で面白い。

でも、自由に得る情報を取捨選択できているようで、何か違う…と思わされることもあるわけで。
ありませんか?そういうこと。

一見自由なようだけど、結局やってることは他と同じじゃないか?と思うようなことです。
自由に選択した情報を得ているのだけど、結局ネットだろ?と思ったり。
まぁこれは一例ですが。

世の中、色んな人がいて、色んな事がありますね。
なのに、一つの方向性にまとまっていくってのは、何かもったいない気がするのです。

確かに、ある程度の人数がまとまって組織で力を合わせることによって、一人ではできないことを為すってのはあります。
そういうのは大事です。
人数まとめて一度にやってしまった方が効率良いとかね。
学校なんてそういうものですけど。

何もかもがあまりに違いすぎていて、安定を見出せなければ、それはそれで困ったものかもしれない。
でも、皆が同じで全く違いが無く均質なのも問題です。
うーむ、一体どこを落としどころにすべきなのでしょう。

不易流行という言葉があります。
変わらないものもあれば、変わるものもあるという意味ですが。

まぁ、そういうのってどうせ答えは無い。
トレンドみたいのはあるでしょうけど、いずれ変化していくものですしね。

あと大事なのは、何を変えずに何を変えていくのか、そういったことを決めていくというか、やり方を形づくっていくのも面白いものですよ。

それを他人に任せてしまうのはもったいないと思うのです。
でもそれもビジネスとして成立するわけですが。
他者のリスクを低減して、何かを提供するとかね。

世の「商品」などは、そういったものですよね。
手間暇掛けて得たノウハウ、ここには色々なリソースを投入しているわけで、そういったものを手に入れようとすると、時間とかお金とか一定のリスクが必要なのですが、そういったものを背負って、結果だけを提供するのがビジネスですから。

言ってみれば、学校の授業なんかもそういった類いかな。
先人がリスクを取って得てきた知識を安全に提供しているわけですからね。

というわけで、我々は色んな事を他人に依存しないと生活できないのです。
反面、自分もなにかしらのリスクを取って、価値を生み出して他者に提供しないと生きていけないわけです。

であれば、あなたはどうするのですか?
何をペイして、何をゲットするのですか?
それを決めましょう、それを作りましょう、ってのを学生のうちにやっておけると良いわけです。
とはいえ学生ですから、「確定」というより、試してみようよ、ってな感じになるのですが。

夢工房の学生達を見ていたりすると、今まで経験の無かったことをやって、初めての場所でチャレンジして、とやっているわけで。
彼らにしてみたら、これは冒険だろうなぁ、と思うのです。
毎日が冒険です。

冒険は人を育てます。

なんでできるの?

今日、学生から聞かれました。
「どうやってできるようになったんですか?」
仕事やら趣味やらに関してです。

設計したり、作ったり、乗ったり…一通りはできるものの、「できる!」と言うほど深い領域までできるとは思っていませんが、そこそこ色々できるかな。

でも、突然そんなことを聞かれて、ちょっとドキッとしましたよ。
そんなの普段考えてませんから。

で、改めて考えてみました。
今できてることって、なぜできるようになったのだろう?と。

例えば、初めて自分の乗っているバイクのエンジンをオーバーホール(分解整備)したときにどう思っていたか?

バイクに関することなので、やる前から大好きでした。
で、初めてなのに、できると思っていました。
「他人がやっていることなのだから、きっと自分にもできるはずだ」と。

で、やってみたらできました。
もちろん、事前調査とか準備はしましたよ。

仕事も同じ流れです。
できるだろう
と思って、できた。

これ、どういうことか?

できると思っていれば、やる。
やった結果、何か困ったことがあっても、何とかしたいと思うし、チャレンジする。
だってできると思っているのだから、そりゃやるでしょう。

できると思っていれば、仮に何かしらの困難があっても、視野に入ったものを何とか利用して、チャンスに変換できないか、とか思いますよね。

好きなことならなおさらです。

ついでに言うと、私の場合は仕事と趣味の境目が非常に曖昧なのです。
概ね好きなことを仕事にしてきたというのもありますが、仕事を好きになる工夫が大事だと思っているということもあります。
面白いと思えないものを数十年も継続するなんてできそうもありませんから。

一方、できないことに関しては、よく分かってます。

好きじゃなくて、やりたくないのです。
なので、できないと思っている。
できないと思っているものができるわけはない。
できないと思っていたら、それに関係するヒントやチャンスが視野に入っていても認識できないものです。

面白いところまでいこう

決められた枠にはまって褒められたい

そんなところを目指していませんか?
自身の子供の頃を振り返ると、そんな感じの空気感が支配的だった気がします。
今もありますよね。
学校ってそういうところでしょう。

決められたことをやって、うまくできれば褒められる
みたいな。

まぁ、それで褒められれば嬉しい人もいるでしょう。
最近で言えば、そういった枠からはみ出しちゃうと目立つし面倒だし、ってのもあるでしょうね。

その場合は
そこそこやって無難にいきたい
みたいな感じになるのかな。

けど、そういうので満足できない人も一定数いるわけで、そういう人はどんどん面白いことをやったらいいです。
ただ、周囲の空気感に飲まれるとか、同調圧力みたいなものもあるでしょうから、言うほど簡単ではないかもしれません。

でもね、一生の時間なんて限られているのだし、周囲と同じ事ばかりをやっていたところで、「個」としての価値とか意義とかは得られないわけで、リスクが低いのと引き換えに、喜びを得られないわけで。

何より、やることを決める人の想像の範囲内のことしかできないってのがつまらなそうです。

それに、「そのうちやろう」なんて思っていると、どうせやらないままに時は過ぎます。

夢工房のメンバーには、好きなことを頑張ってやって、「おお!オレは生きてるぞ!」というような実感を持てるような仕事をして欲しいのです。
決められたことをやる、最低限やる、という経験ばかりだと分からない感覚かもしれませんが、そういうところまで行って欲しいのです。

経験上、コンペティションを一所懸命やるというのは、そういう感覚に近づきやすいと思っています。

レースをやること、そのために必要なこと、その辺を考えていると、人生そのものだな、と思うのです。

あ、これは他のカテゴリーでも、一所懸命やったひとは同じ事を思っているでしょうね。
まぁ、本質は同じってことです。