何のためのお勉強なのか

今日、学生と夕食に行って色々話を聞きました。
高校までどんな学生生活を送ってきたか、という話だったのですが…

いやぁ、最近の高校生は大変ですね。
勉強漬けです。
学校から帰ったら予備校ですか。
学業の点数やら学歴が全てなのですね。

その話を聞いて、彼らが開発作業で苦労する原因が理解できました。
今までそこに目を向けなかったのはうかつでした。

昔も学校での評価は成績が全てではありましたけどね。
でも、勉強しかしてないヤツは、ガリ勉君とか呼ばれて、ヘタすりゃさげすまれることことすらありましたし、学業以外の才能を発揮するヤツがヒーローだったりしましたけどね。
というか、多くがそれに賭けていたというか、憧れていたような気がします。

それはそれとして、ちょっと考えてしまったのは…

お勉強ができることが仕事ができることとイコールではないことは、多くの社会人なら分かっていることです。
もちろんお勉強ができるのは大事なことなのかもしれませんが、本当に大事なのは、そうやって得た知識を何にどうやって使うかです。

何にどうやって使うかというのは、想像力とか創造性とか勇気とか行動力とか、そういったものによるわけで、転んでも起き上がって、壁をぶち破るための忍耐力とかパワーとか、そういったもので結果が決まるわけで。

そういったものと知識とか学力は、左右の両輪のように働くわけです。
どちらか一方だとバランスが悪くてグルグルしちゃう。

勉強ができれば潰しが利くとか言われますが、個人的には逆だと思ってます。
お勉強と反対側の車輪の駆動力が強力なら、自分で学べますし、むしろその方が潰しが利きます。

でも、現状は知識とか学力に異常なまでに偏重している気がします。
だから彼らは先が見えなくてグルグルしている。

そんなことを考えていて思ったのは…

これ、受験ビジネス(学歴ビジネス)の大勝利だね

ってこと。
こんなこと教員が言っちゃうのはどうかとも思うけど。

確かにお勉強ができるに越したことはないけど、それが極端に振れてしまうと、本当に大事な根底の部分、いわゆる人間力とでも言うべきものが見えなくなるのですよ。
それらが必要とは思えなくなってしまう。

そういう状態にに突入した人間に、学力や学歴が無いと仕事には就けないような脅しを掛けると効果てきめんだと思います。

だって心の支えになる信じるものが無くてグルグルしてるから。
「もっと勉強できれば解決する」といったようなことを言えば、一定数はそれに乗っかるでしょう。
おまけに世の中を知らないからなおさらです。

そう。学生って驚くほど世の中を知りません。
そういうの、私だけだと思ってましたけど、そうじゃないみたい。

エンジニアを志す学生だって、エンジニアの仕事がどういうものか知りませんし、本気で知ろうとしない。

学校では、スキルを構成するための一部を知識として教えますが、それを支える重要なマインドなどは教えません。
というか、授業でそれを教えることはできないでしょう。
本当は、そっちが「本体」だと思いますが。

だって、仮に新製品を作るなら、クリエイティビティとか行動力とか、失敗に負けないメンタリティとか、その根底のパッションとか、そういったものが必要なのは当然ですが、もしそれらが無くて知識しか持っていないなら、誰かの指示に従って、部分的な作業をすることしかできないのではないでしょうか?

昔は社内で時間をかけて新人を育成していったのですが、今はそんな余裕は無いでしょうし、お勉強して知識を取り込む経験しか持っていない新入社員の多くは、そういった修行に耐えられないでしょう。
なので、新卒の4割は3年後に辞めるなんてことになっているわけで。
これ、別に勉強ができないからとか、学歴が無いからじゃないですよ。

インターンシップなんて良い機会のような気がしますし、大盛況ですけど、会社だって人を集めたいから、学生には美味しいところしか見せないでしょう。
というか、実践的なことをやらせるほどヒマじゃ無いでしょう。
まずは頭数を集めないとね。いっぱい辞めちゃうかもしれないから。
なので恐らく学生達には現実が良く分からないまま。

あまり毒を吐くと夜道を歩けなくなりそうなのでこの辺にしておきます。
一応言っておきますが、おそらく誰も悪気は無いでしょう。
だからたちが悪いとも言える。

もちろん夢工房では、可能な限り実践で利用できる人間力のフルパッケージを身に付けて欲しいと思ってチャレンジしています。

答えは無いけどやるしかない。
やればきっと何かが見えるから。

どうせなら学生のうちに修行を済ませておいて、社会に出たらイキイキと仕事を楽しんで欲しいのです。
そうしたらきっと世の中は良くなる。そう信じています。


理系だの文系だの…その先に

「苦労したくない」という話の続きです。

この「苦労したくない」は、もちろん自分が。
そして「苦労」は、他のための労力に繋がっていくものです。
だって、誰のためにもならない労力って、そうそう無いでしょう。
つまり価値の提供ですね。仕事ってそういうことです。

この先が何となく見えてきましたか?
そう、「苦労したくない」は滅びの道です。

苦労したくない=価値を創造したくない
ということになると
仕事は最低限で良いんだよ
楽して金儲けしたいよ
というようなことになりかねません。

そんなのは個人の勝手だろう、と思いますか?
そんなことは無いですよ。

皆が最低限の価値しか生み出さなければ、我々の属する集合体は衰退します。
皆で価値のやりとりをしないと世の中は回らないのです。

というわけで、価値を創造して、相手に喜んでもらう。
その喜びによって、自分も喜ぶ。
というようなループを回し続ければハッピーな世の中になります。

そこに道徳とか良心とかが根源にあれば、価値はより高まるでしょう。

良いものを作る
なんてのは最たるものです。
この場合の「もの」は、物体限定ではありません。
情報でも何でも良いのです。

もちろん、多くがそれを望んでいるでしょう。
そう、良いものに対するニーズは不滅で巨大です。

ものを作り出す人、価値をクリエイトする人になるというのは、実に大きなポテンシャルを持っているということです。
もっともこれは、今に限ったことではありませんが。

多くが「苦労したくない」と思っているなら、それは残念なことです。
しかし、ものづくりを本気で追求するのであれば、大きなチャンスを握っているということなのですよ。

ただし、「言われたことをやる」とか「最低限で」という次元だと、あまりにライバルが多すぎるし、そのやり方ではニーズは最低限でしょう。

なので、好きなことをトコトンやるような、パッションで壁をぶち破るような方向に進むのであれば、実は今はチャンスなのです。
そこに気付いている人は少ない。

理系だの文系だの…それ以前に 後編

「苦労したくない」かぁ。
まぁ分かるんですけどね。

この場合の「苦労」って、学生のうちは自分の成長に関することとか、卒業後に世に出た後のことを想像してのことでしょう。
逆に想像できないから、というのもあるかもしれません。

いずれにせよ、苦労は自他の関係から来るもので、そこが重要なところ。

学校で学ぶのは、将来のため。
というか、若いうちの経験って、そのほとんどは将来に繋がること。

そういった経験は何に使われるかというと、将来の仕事とか人間関係とか、自分が発する価値の大きさに繋がるわけです。

苦労は、行動する先にある、将来活かすことができる経験を得るプロセスにおける心身にかかる負荷ですよね。

「苦労したくない」ということになると、自分が発する価値の大きさを最小限にすることに繋がるでしょう。

現状は
プロセスがイヤだから、その先にあるものを掴みに行けない
そういう状態になっているのではなかろうか。

ましてそれが外的な動機、つまり押しつけとかだとなおさらでしょうね。
自分が掴みたいものではなく、他から課されたものなら仕方ない気もします。

もし現状が、そういったことになっているのであれば、やはり「やらせる」「やらされる」という環境が支配的になっていて、もうウンザリしているのかもしれませんね。

やりたいことを苦労もいとわず全力でやって、その先にあるものを掴む喜びを経験するチャンスがあまりに少ないというのが、この状況を作っている原因なのでは?

あともう一つ。
自分が構築した価値を発信して、それが他に影響を与えたときの面白さというか、幸福感を味わう機会があまりに少ないのではないでしょうか。

そういった経験があれば、苦労をいとわずにゴールを目指すことができるでしょう。
でも、そんな経験をできるチャンスがあまりに少ないのが現状でしょう。

いずれにせよ、若い世代が苦労を避けることを最優先にしてしまうとエライことになります。

これからの世の中を作っていくのは彼らです。
その彼らが他に対して高い価値を発揮できなければ、明るい未来は望めないし、彼ら自身もハッピーになれません。

人はどんなに負荷が減っても幸福にはなれないのです。
一時的に安心はするかもしれないけど。

しかし、他から感謝され認められて、自身の存在に価値を感じられれば幸福感を感じられるでしょう。

そうなる課程には労力が必要です。

とはいえ、好きでもないことをやらされる環境では限界がある。

というわけで、どうせやるなら自分が好きなこと、得意なことでイキイキとチャレンジして自身の価値を高め、他に大きな価値を提供できるようになるのが理想だよね、と思うのです。

人はいつまでも同じではなくて、そのうち気付きを得て変化するときが来たりするので、あまり悲観的になる必要も無いのかもしれませんけどね。

でも、環境を作る側も、偉そうなことを言うばかりでなく、チャレンジが必要ですよね。

このネタ、まだ続きそうです。