問題の先に理想があるのか?

問題を解決するのはもちろん意味のあること。大事です。
学校でも「問題解決能力を!」なんて言ってますものね。

しかし、問題を解決した先に何があるかが大事では?
というのが今回のネタです。
何のための問題解決なのかが重要ですよね
というお話しです。

まず、問題が完全に解決して、完璧な状態になることなんて無い
というのが最初に言っておきたいことです。

「完璧な状態」なんてのは、理論ではあり得るでしょうけど
現実社会ではまずあり得ません。
とはいえ、それを目指して頑張るのは意味があることだし
ことによっては、そうありたいとも思ったりします。
でも今回、これはオマケみたいなものなので、このくらいにしておいて
問題は「問題」についての認識です。

そもそも、ものごとは多面性をもっているので
「問題」とはいっても、別の側面から見ると
何かしらのメリットがあったりもするわけです。
なので、あっちを立てればこっちが立たず
みたいなことになりがちです。

学校での教員と学生の関係とか会社の労使関係なんてのは
そういうことになりがちでしょう。
特に、組織としての方針とか方向性がはっきりしていないと
そうなりやすい気がします。
というか、そうなります。

そんな状態で
双方が力を合わせて良い成果を出す
なんて無理でしょう。
共通の理想もないのに
力を合わせて同じ方向に進んでいく
なんてできるわけはないのです。
なので、社是が明確化されて意思統一された会社組織などは
成果を上げられたりするのでしょうね。

「社是とか理想とか、そんなのきれい事だ」
なんて言いがちな人の多くは利己的だったりする気がしますけど
そういう人が多い組織は
大抵は大した成果は上げられていないと思いますよ。

利己的な人って、組織としてのゴールを嫌う傾向がありますよね。
だって、組織としてのゴール達成を最大化していくと
そのために我慢したり頑張ったりってのが増えるわけで
自己の短期的な利益とか欲求がトレードオフで最小化されちゃう可能性がある
なので、組織としての長期的で大きな利益は達成しにくくなるのだと思います。

というわけで
問題だの何だの言う前に
皆で目指せる共通のゴールや理想の明確化をしないと
そもそも何のための問題解決なのさ?
ということになりがちですよね
というのが今日言いたかったことなのです。

日本刀から学ぶ

今日は刀匠の方のお話を伺ってきました。

刀匠とは刀鍛冶
日本刀を作る人です。

日本刀に関するある程度の知識は
本やネットで手に入りますし
博物館に行けば色々見られるのですが
実際につくっている人に聞かないと分からないこともあるし
作るための環境を見ないと分からないこともあります。

それに「技術は人なり」ですので
その人と話すことによって感じられること
それが重要だったりもします。

ここで日本刀に関する技術的なことを詳しく話してもどうかな
というところなのですが
異分野のエキスパートの話は大変参考になりました。

まぁ、異分野とはいっても
金属を使ってものを作るということでは
同業と言えなくもないと思っているのですが
あちらは技術レベルが非常に高いことに加えて
伝統的かつ芸術に近い世界なので
かなり次元が違いますけどね。

まぁ、そんなこんなで
色々強させてもらえました。

日本刀は鉄でできていますが
そのつくり方の説明は簡単ではありません。

でも、あえて簡単に言うと…
一口に鉄と言っても色々あるわけで
複数の性質の違う鉄の素材から
理想的な素材に調合するところから始まって
それらを重ねて接合して、成形して、熱処理(焼き入れ)して、研いで作ります。

あの大きさで、あの精度と品質、そして性能
難しいのは当然で、大変面倒な仕事です。

その各工程で、何のために、どんな道具を使って、どんなことをしているのか
そんなことを見たり聞いたりすると
文字にするのは難しいですが(文才が無いから)
何となく我々日本人の持つ強みというか基本特性というか
そんな感じのことが見えてきたりします。

「あぁ、こんな方向性に行けば…
こんな考え方、やり方をすればいいのかな」
という大筋です。

というのも
日本刀の文化は
つくり方の大筋決まってから
数百年間継続しています。
いや、日本刀の起源とも言われますので
ヘタしたら1500年くらいかもしれません。

その間、もちろん工夫したり改良したりはあるでしょう。
でも、大筋は変えずに守って
常により良いものをつくる努力を継続している。

これは凄いことです。

この中には、とても文字にできない
というか
文字になんてしたらキリがない膨大な情報が
しかも目に見えない情報
いわゆる暗黙知が大量に含まれています。

刀匠の世界には
当然ノウハウはありますが
教科書やマニュアルはありません。
日本刀に限らず
伝統工芸の世界はそんなもんですが。

恐らくこれ
現在の教育ではあり得ないやり方でしょう。

現在の教育方法は
せいぜい150年程度の実績しかありませんが
日本刀の技術継承は1500年です。

そこから学べないはずがないでしょう。

とはいえ、これを学校の中に適用しようと思っても
それをそのまま使えるわけではないので
どうしたもんかな
というところなんですけどね。

ま、色々トライアンドエラーしてみます。

見た目の話 3

今回は「見た目」というより
「見えない」話になるかもしれません。

世の中色んな分野のプロフェッショナルがいるわけで
それなりの経験を積まないと
見えない世界があります。

形とか色とか精度とか
分野によって色々です。

私は自分の言うのもなんですが
結構多岐に渡って経験を積んできた方かと思います。

ただし、沢山経験できたのはいいのですが
限られた人生で多くの分野を経験するということは…
それぞれが浅いってことですね(笑)

学生の時分は
レースのメカニックをやっていて
組んだりバラしたり組んだりバラしたり…
手先の感覚はここで磨かれた気がします。
お陰で百分の数ミリの指先の感覚も得ることができました。

これは実際に経験しないと
理屈では分かっていても
「見えない」世界です。

百分の数ミリがどういう結果を及ぼすかを
分かっていなければ意識に上がってこないので
見えないも同然です。

いわゆる超有名なエンジンチューナーの
仕事を見る機会があったりしたのも良い経験です。

で、レースをやってると
何かとお金が掛かるもので
色々とアルバイトをしていましたが
中でも自動車の鈑金屋さんでの経験は貴重でした。

そこで自動車の基本的な構造や部品名を知れたし
鈑金塗装に関する知識
特に形状と色に関しては大変ためになりました。

ボディの微妙な凹凸などは
「直さなければ」
という意識があるからこそ見えるわけで
塗色も同様です。

「あぁ、この白はちょっと黄色いなぁ」
とか
「この青はちょっと赤すぎるよね」
なんて、経験のない人からしたら
一体何を言ってるんだ?
という世界じゃないでしょうか。

その後、紆余曲折を経て
自動車の開発を経験するのですが
その道のプロがいる世界は楽しかったです。
仙人みたいなプロ中のプロがいたり。

例えばボディの設計なんかでは
「合わせ建て付け」
などと言いますが
段差とか隙間の設定は見た目の品質に影響するので
それはそれはシビアにやってます。

ドアの周囲の隙間なんていい例ですね。
ここが狭い隙間が一定に走っていたり
ボディとドアの面がピシッと出ていたり
そんなところに技術レベルの高さが現れます。

「え~?お客さんそこまで見ないでしょう?!」
というレベルまでキッチリやりこみます。

特にモーターショーのショーカーを
やらせてもらったのは良かったです。

量産と違って、職人さんの手作りですから
それはそれはシビアな人達が集まります。

面の段差とか隙間とか形状の狂いとか
まぁ1ミリも狂ってたら論外でしょうね。
コンマ2~3ミリでも
見る人が見れば、はっきり分かるレベルですから。

こういうのって
部分的に、ちょっぴり手を抜いただけでも
全体を見たときに何か違和感を感じるものです。

なので、美しいカッコイイ部品が組み付けられて
ヨシ!できた!
と思っても

「ダメだ。やり直そう」
なんてことが繰り返されたり。

これも、経験や技術があって
その上で目指すレベルがあるからこそ
見える世界だと思います。

よくメカの設計をしていると
設計的におかしなものは直感的に違和感を感じる
と、そんなことがありますが
これも経験があるからこそ
直感が働くということです。

とまぁ、こんな感じで
普通は見えないもの
普通は感じないものも
見えたり感じたりできるようになる
というお話しでした。