自発性がカギ

今日、学生と話していて
ああ、そりゃそうだよなぁ
と再認識したことです。

高い目標を達成したいなら…
別に高くなくてもいいのだけど
やはり自発性がカギなんだよな
と。

何かを「やる」ことにおいては
最終的にたどり着きたいゴールがあるでしょう。

それが、本当に自分が望むことなのか

はたまた
外発性
つまり外部から言われたことなのか

それらのどちらが行動の原動力になっているのか
これが結果を大きく左右するのですね。

というのも
自ら望むことであれば
その理想を達成するために
できる限りのことをしたい
と思って行動するでしょう。

これについては多くを語る必要は無いでしょう。
その調子でやり続ければうまくいくから。

方や外発的な動機だったりすると
やるにしても「仕方なく」やるでしょう。
ヘタすると、そういうのにも慣れちゃって
何も考えずにやるかもしれない。

いずれにせよ、その結果は最低限になる。
だって、プラスアルファする必要は無いし
他から課された負荷であれば
できればやりたくないわけだし。

それに、自分発では無く
渋々だったりすると
何がマズイかというと

負荷とか困難に対して
「自分のせいじゃない」
って思いがちってことですね。
まぁ、外発的なら当然なのですが。

「自分のせいじゃない」のであれば
自分を変える必要は無いのです。

この「変える」というのは
現状の自分から
できる自分に変化する
ということです。
それが必要無いわけです。

というわけで

自分のせいじゃないから
というような考え

渋々、最低限のことをやる
ような考え

そうなっていたら
せっかく持っている可能性を活かすことはできなくて
これはとても残念で勿体ないことだぞ
と思うのです。

まぁ、大抵の場合
そうなってしまうのは環境の影響だとは思うのです。

それをそのままにするのか
それとも変えるのか
それは自由ですが
それに気付ける環境が必要ですね。

言えば言うほどやらなくなるだろ

あなたはどうですか?

言われたことを素直にやる?
そうしたい?

であれば何も言うことはありません。

親も先生も言うでしょう
「勉強しろ!」
って。


やる?
それでやる気になる?

大抵は嫌になるでしょ。

嫌なことをやりたい?
なんて聞くまでもなくて
やりたくないことで成果を挙げられるの?
なんてものも聞くまでもない。

やれって言う方は
やらせたいから言うのだろうけど
たぶんそれは間違い。

というか
最大の成果を出して欲しいなら
それは間違い。

本人がやりたくなることが大事で
そうでなければ大きな成果は出せないでしょう。

そのためには
「それが自分には必要だ」と思うことが大事。

では、自発的にやらせたければ
やれって言ってはいけないのか?

そうかもしれない。

けど
そんなこと試せるかな?
それを試すには腹を決める必要がある。
というか
相当な勇気が必要でしょう。

ここまで言っておいて何だけど
言われたことをやる中での学びもある。

結局のところ
100%自発性というのは無理があって
100%外発性というのも無理でしょう。
中庸は大事だというところになるのですが

結局は
自分の中の大筋ではどうしたいと思うのか?
これがカギなのではないかな。

やりたいことをやっていれば

やりたいことをやっていれば
大抵はうまくいくんじゃないでしょうか
なんて思っているのです。

でも、これには前提があって

「やりたいこと」は
あくまで本人がやりたいことであって
周囲がやらせたいことではない
ということ。

「やっていれば」は
やらされることではなくて
やらされている時のやり方でもなくて
自分の意思でやって
継続するということです。

これらは当たり前のことなのかもしれませんが
意外とそうなっていないことがあったりするものです。

習慣による無意識の行動によって
自然と「やらされる」時の
やり方や考え方をしてしまう
そういうのは良くあるケースです。

「うまくいく」という評価は
自身の満足度でも
他との比較でも
他からの評価でも
何でも良いのですけどね。

ただ
他人と比較すると苦しくなる
とも言いますね。

それは確かかもしれない。
けど、それでも良いのかもしれません。

苦しければ苦しいなりに
得られることや
気付くこともあるわけで
そういう環境でやってみるのも良い経験です。

レースなんかは、まさに他との比較ですからね。
それがダメなのかというと
そんなことはありません。

それでしか得られないことや
それによって気付くこともありますから。