キミは賢いかい?

そんな問いかけをする私自身は
そんなに賢くない方だと思っています。

何が言いたいかというと
賢くなくても、やりようはあるよね
ということなのですが。

どうも学校にいると、みな同じところを、同じような方法で目指す訓練をされちゃっているので、ちょっと違うことをやる…なんてことができなかったりするのですよね。
いわゆる知識偏重の傾向になりやすい。

この場合の知識って、形式知ってヤツで、誰でも知っているとか、知ることができる知識を指しています。
それは全て過去のことで、それを見えるようにしたものです。
教科書に載っているというのはそういうことです。

記憶力を使って、それらを覚えて「知っている」という状態になるためです。

で、覚えたそれらを口にするというのは、単に頭の中にあるものを話しているだけです。
それを紙に書いたりするのも同様です。

さて、それによって何が起きるでしょう?

まぁ、何か起きることもあるのかもしれませんが、どこかでいい話を聞いて、それを覚えたところで、大抵は何も起きません。
特に「もの」に関わる場合。

手に入れた知識を元に、何かを「やる」なら話は別です。

その際、大事になってくるのは
何のために?
ということで、やはりゴール設定が大事なのですよね。

手に入れた知識を使って、何かをやる
これで価値を作り出すわけですが
誰でも知ってる、誰でも知れる知識をベースにすると

賢い人には敵いません

そりゃそうだ。

でも、ここで朗報があります。

いわゆる賢い人だと
見えないものもあるし
できないこともります。

それをやってはどうでしょう?

それは何か?

結構簡単ですよ。

私が使った方法は、まず近くの賢い人をチョイスします。
勉強できる人が分かりやすいですね。

で、「アイツはこんなことできない(やらない)だろうなぁ」という方向で、ゴールを決めたり、ものごとを進めたりしてみましょう。

そういう時は、「考えて」「やる」ということになるのですが
「考えて」の比重を下て「やる」を重視しましょう。
もちろん、ゴール到達のためです。

そんなのバカみたいだって?

まぁ、そう見えるかもしれません。
でも、そこが大事なところです。
バカみたいだから賢い人はやりません。
おっと、一気にライバルが減りましたね。

ちょっと困難があっても、継続すると…
あらあら、どんどんライバルが減っていきますね。

これ、「未来のために」「やっている」という状態です。
そして、「独自性がある」という状態にもなっています。

形式知を得るための
「過去のことを」「知る」
という状態より面白そうじゃないですか?

でも、そういう状態に不安を感じる人にはお勧めできません。

賢くないなら、勇気を持って動き続けましょう。
止まったら終わりだと思いましょう。
サメやマグロみたいなもんです。

経験の数が多ければ何とかなることは結構あります。
経験によってしか手に入らない暗黙知を楽しみましょう。
仕事で役に立つのはコイツです。

こんなやり方でやっていると、必然的に形式知が必要になってきます。

その時に教科書や参考書を開いてみましょう。

あら不思議!
以前より理解できるじゃありませんか!

そう、そういうやり方もあるってことです。

お師匠様の自動車殿堂入りパーティー

師匠様である佐野彰一先生が、日本初のF1マシンの設計や、自動車の安全性の研究、世界初の実用的な四輪操舵の開発や、教育活動などの功績を認められ、日本自動車殿堂入りとなりました。

今日は都内で記念するパーティーに参加してきました。
なんと東京タワーの目の前が会場です。

参加者は、佐野研究室および小平研究室の卒業生たち、そして夢工房の活動に深く関わってきた皆さん。総勢50名近くの弟子たちが全国から集まってきました。

本体は100名くらい対象者がいるのですが、半分くらいは都合が付かなかったようです。
それでも、そうそうたるメンバーが揃いました。

夢工房でジタバタ頑張ってた彼ら、みな立派な仕事してます。
懐かしい顔ぶれに会えて嬉しかったのはもちろん、夢工房も引き続き頑張っていかんとなぁ…と良い刺激になった一日でした。

チャンスの正体

チャンスの正体は「単なるできごと」です。
本質的には良いとか悪いとかはありません。

その「単なるできごと」がどう見えるかは
その見方、考え方で変わります。

面倒な負荷と見えるか
単なるできごとと見えるか
まさに字のごとくチャンスと見えるか

これ、知識の有無とか知能とかとは関係ありません。

マインドやメンタル、そして価値観の問題です。

人は見たいものしか見えない
と言います。

つまり、見たいように見えるということですが
見たい・見たくない
の判断は、意識ではなく、無意識によって決まります。
つまり深層心理によるものです。

つまり日頃の習慣によって、反射的に判断されていることがほとんどでしょう。

ある人にとっては、「これは良い経験になるぞ!」というできごとでも
別のある人にとっては、「これは負荷が高くてリスクが大きいな」と見えたりします。

ある特定の出来事が、人によって「良いもの」だったり「辛く困難なこと」だったりするということです。

これは、その人が何を求めていて、何に重きを置いているのかによって判断が決まる、まさに価値観によるものと言って良いでしょう。

チャンスが来るとか来ないとかというのは自分次第ということです。
つまり自分で決められるということです。

実はチャンスとなり得るものに日々遭遇しているにもかかわらず、見逃しているだけだったりします。

ポジティブ思考の人がうまくいくなんてのは、こんなことが理由だったりもします。
見ること・聞くこと・起きること、全てがチャンスだと思えれば、トライの母数が増えるので、自ずと成功の数も増えますから。

あと、トライの数が増えるなら、結果がどうあれ経験の数は増えるわけで、未来に使える「引き出しの数」が増えるわけです。
なので、やればやるほど未来が明るくなる。

ついでに言うなら、ツイてるとか、ツイてないとかも似たようなところがありますね。