ものづくりは人づくり まさにその通り

コロナ禍とか
情勢不安とか
色々あって
事業をやられている方は大変なんだろうな
と思います。

5月連休以降、多くの卒業生と話す機会があって
それこそ色んな話をするのですが
やはり「人」に関する懸念は出てきますね。

特にウチの研究室の場合は
ほとんどの卒業生が開発者だったり
モノに関わる仕事ですので
人がモノを作ってるんだよね
という事実を痛感させられます。

というのも
どうも、ものづくりの現場が弱体化しているような気がしてならないのです。

ものに十分に触れたことが無いエンジニアが
エンジニアリングするような時代になってきた気がします。

それは仕方ないことのかもしれませんが
仕方ないじゃ済まされません。

IT産業が盛り上がってきたころ
正直なところ、夢工房でやっている
ハードコアなものづくり路線は
このまま行って良いのだろうか?
と思ったこともありますが
今は迷いはありません。

もちろん、ここでは同じことを繰り返しているわけではなく
日々変化を遂げてはいますが
基本路線はこのままで良いと確信しています。

ものづくり
というと、単に手を動かして
ろくに頭を使わずに
ものばっかりむやみに作っている
と勘違いしている人もいるかもしれません。

恐らく学校の先生でも
そう思っている人が多いのではないかとも思います。

クルマとか模擬惑星探査機とか
そういうものを開発していくというのが
いかに大変なことをやっているか
理解できない人も多いのでしょうね。

もっとも、自分でものをつくったことが無いのであれば
それは仕方ないことだと思います。

人がつくるものは
つくった人以上にはなりません。
つくった人そのものと言えるでしょう。

なので、良いものをつくろうと思ったら
人そのものを成長させるしか方法はありません。

ものづくりは人づくり
とはよく言ったものです。
まさにその通りですね。

我が大学では
技術は人なり
です。

何度も言っていますが
定型的な知識だけでは良いものはできませんので
心の部分を何とかする必要があるのです。

経験の無い若者が
良いものをつくろうと思ったら
知識や手作業の練習みたいなことをしたって十分でありません。

どうしたらいいか
というのをここで表現したいとも思うのですが
それができないのが経験知とか心のお話しなわけで
こればかりはやってみないとどうにもならんのですね。

誰かこの現状を何とかしようとしているのでしょうか?
しているのかもしれませんが
よく分かりませんね。

ま、どうにせよ
夢工房はガンガン行かせてもらいますけどね。

チャンスは誰かが持っている

クッソ、ナントカ…
バカ、ナントカ…

よく聞きませんか?
あなたは言っていませんか?

単に
みんな言っているから
流行っているから
そんな特に理由にもならない理由で言っているのだと思いますが。

アレ、ダメです。

何がダメかというと
無意識の話なんですが

無意識は、人称を理解しないのです。

なので、ソレを
特に誰に向けてでもなく
特に悪い意味でもなく
普通に自然に使っていると
無意識は
それが自分に向かっているという理解をします。

なので、自然と
クソでバカが入ってしまいます。

恐らく、クソでバカな人生になります。
少なくとも、そういう可能性が高まります。

まぁ、本人はそれでも良いのかもしれませんが
周囲で言っていたら耳に入ることもあります。

前向きに頑張ろうとしている者には
ネガティブなワードは気持ちよくない。
正直、迷惑です。

なんかここまで愚痴っぽくなりましたが
大事なのはここから。

誰しも
何かしらうまくいって欲しい
と願っているはずなのです。

そのために学校に行ったり
何かにチャレンジしたりしています。

うまくいくために必要なものは色々あるでしょうけど

重要なものの一つに「チャンス」があります。

これが手に入るのを
宝くじが当たるのを待つように待ちますか?

まぁ、何もせずに待っていても
何も来ませんけどね。

というのも
チャンスは自分がすでに持っているものではなく
第三者が持っています。
思考と感情を持った人間が持っているのです。

会社だったら上司や先輩
学校なら先生や先輩かな。

で、チャンスを持っている人は
それを誰かにあげたい
と思っている。

どうせあげるなら
うまくやってくれる人や
面白くしてくれる人に手渡したい。

そんな時
クソとかバカとか言っている人に手渡したいだろうか?
考えるまでもないでしょう。
そういうことです。

よく失敗しちゃうのは
いわゆる「優秀な人」にチャンスを手渡してしまうことです。

私も初めて部下を持ったときにやらかしました。

これ、本当に仕事ができる人なら良いのですが
単に学校の勉学の成績”のみ”が優秀な人に手渡しちゃうと
うまくいかないことがありますね。

というのも
例えば「新しいものをつくる」というチャンスには
だれもやったことがないことをやる
というミッションが内蔵されています。

こういうのにチャレンジすると
失敗したり行き詰まったりするのですが

そこからどうするかは
パッションやマインドの問題であって
形式的な知識の保有量の問題ではありません。
もちろん、知識があるに越したことはありませんが。

パッションがあるヤツにチャンスを渡せば
多少知識が不足していても何とかしちゃいます。
その逆は、あまりお目にかかったことがありません。

チャンスを掴むには
チャンスがあるところにいなければならないし
ちゃんを手渡せる距離にいなければならない。

そういう環境にいる
というのが必要最低限の条件です。
当然ですが。

もちろん
リスクは取りたくないけどチャンスは欲しい
という矛盾した欲望は捨てましょう。
それを本当に望むと
凄く難しいことになりますから。

そう。
チャンスというのは多面性を持っていて
ある方向から見ると素敵なのですが
別の方向から見ると
リスキーで面倒くさいのです。

掴んでみて
やってみないと
正体は分かりません。

なので、面倒を排除して楽をしたいなら
チャンスなんて見向きもしないのが一番
ということになりますね。

もちろん、そんなの面白くないよね!

ということで
夢工房では、ものをつくるだけでなく
こういうネタを皆で話し合って

あーじゃない、こーじゃない
と、やってます。

技術は人なり
ですから。

理論が先か実践が先か

学校では理論をまず学ぶけど、これで本当に良いんか?と思うことがあります。

勘違いしないでくださいね。
理論は重要です。
でも、理論から入って、理論のみで終わるようなやり方に疑問を感じるということです。

今日はたまたま製図の授業をやったので、図面の話しでいきましょうか。

そもそも昔は図面なんて必要なかったんです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの頃なんて、図面じゃなくて「絵」ですから。

要は、考えた人が、欲しい物を、一個だけ作るのであれば、基本的に図面は要らんということです。

そもそも、なんで図面が必要かというと
まず一つは、設計者と製作者という分業にすると、意思伝達のために必要
あとは複数個を生産するときに、もしくは時間が経った後に生産するときに、寸法とか品質をそろえたり、再現したりするために必要

他にもあるのでしょうけど、代表的なのはざっとこんなもんでしょう。

でね、そういったことを体験していない者に
「物をつくるのには図面が必要だから、知識やスキルとしての作図ができるようになるのだ!」
と言ったとことで、なぜ、何のために、どの程度、何ができると、どういうことが起きるかは良く分からんのですよね。腹落ちしない。
つまり、学びの動機が不十分ということです。
もちろん、作図自体が好きで喜びを感じられるケースもありますが、これは例外でしょう。

なので、自分が欲しい物を考えて、そのために必要だと思う図面を描いて、自分で作ってみると良いんですよ。

そうしたら、なぜ図面が必要かなんてのはもちろん、寸法の振り方とか、精度の要否とか、重要なことは、ぜーんぶ体験として身に付いちゃうでしょうね。

物は正直なので、それを考えた者、作った者の、その時の状態を、そっくり現します。
その人間以上の物ができるということはない。
なので、物を良くしたいと思ったら、自身を磨くしかない。
良い物をつくりたいと思ったら、学ぶしかないわけです。

おお!技術は人なり!

そもそも、良い物をつくりたいと思う動機が必要なのですがね。
動機付けこそが難しいところで、最も重要なのかもしれません。

てなわけで、レーシングカーとか惑星探査機、ロボット、鳥人間なんかはテーマとしては最適なんでしょうね。
エコランカーなんて、最近じゃ中学生もやってますもんね。

やっぱり、根源をたどっていくと、大事なのは「思い」とか「夢」ってことになるのでしょうね。
その実現のために理論や実践が必要なんですよ。