感覚・思いの言語化は成長のカギ

学生の就活相談なんかを受けているときに思ったことです。

彼らは、自分の何が「売り」になるのか
そんなことに悩みます。

中には、良いものを持っているのに
それを明確化できなくて
自信が持てなくて
困ってしまうことがあります。
これは本当に良くあるケースです。

自信が無かったりするとき
そういうときって
頭の中でグルグル思い悩むことが
ほとんどだと思うのですが
頭の中のものって
ビックリするくらいまとまりません。

でも、それを言語化・視覚化すると
自信が持てることがあります。

なので、グルグル思い悩むときは
とにかく目に見えるようにしてしまう
というのが効果的です。
自己分析などはそうすると良いですね。

ただし、変に脚色したり
悲観的にならずに客観視をする必要はありますが。

見えるようにすると単純に分かりやすいというのはありますが
目に見えるものは関係性が明確化しやすかったり
それぞれの要素の組み合わせがやりやすくなったりします。
なので、そこからの発見があったりもします。

感じていることや思っていることを話すというのも
考えを整理したり確認したりして
自身を持つきっかけになったり
気付きを得たりするきっかけになったりもします。

しかしですよ
こんなことは当たり前で
今さら言われるまでもないことなのかもしれなくて

なんかこう
学生の背負ったカルマというか何というか
変に真面目なのも困っちゃうなぁ
というか、気の毒になっちゃうのは

書くにしても言うにしても
彼らは正しいこと、合っていることしか
アウトプットしてはいけない
なんて思っていることがあったりして

そうなると
整理が付かないから
そのためにアウトプットする必要があるのに
正解かどうか分からないからアウトプットできない
などという訳の分からないジレンマに陥っていたりします。

結果、思い悩むことが増える割に
成長が遅くなってしまう。

まぁでも
そうなっちゃうのは実は本人のせいだけではなく
今まで生きてきた環境のせいだったりすもるのですよね。

そういう意味では先生の責任は重大だよなぁ
なんて思います。

もちろん、そんな状態になっていることを
分かっていながら変えようとしていないなら
本人にも問題はありますが。

この辺を何とかしないと
業務の基本の「報連相」なんてできるわけなくて
どんなに勉強だけできても仕事ができない
なんてのは当たり前なのですよ。

というわけで
成長に必要な習慣とか価値観を身に付けるのも
夢工房の役割だったりするわけです。

思いは実現する

「思いは実現する」
みたいなことをどこかで聞いたことはありませんか?

初めて聞いたときは
「本当かよ?」
なんて思いがちですが

ものを作っていると
「そんなの当たり前じゃん」
と思えたりします。

なのでこれを
ものづくりのアプローチから説明してみましょうか。

作った「もの」は
作った人そのものが実体化したものです。

なので、「もの」には
考えた人、作った人そのものが現れます。
その人以上にはなりません。

もうちょっと具体的に言うと

何かアイデアを考えて
作りたいと思う
この時点では
ボヤーッとしたビジョンですね。
鮮明でもないし
具体的でもありません。

まずはスケッチとか
要点を文字に起こすとか
そんなことをしていると
何となく形になってきます

その後、より明確にするために
図面を描いたりして
かなり具体化してきます。
この辺になると
思うというよりは
考えるというプロセスと言って良いかと思います。

そして実際に作ってみる。
これは行動ですね。
厳密に言うと、設計をしている段階も「行動」と言っても良いかと思うのですが
ここではプロセスの話をしていますので
こんな感じで良いかと。

で、ものができる
そして、使ってみて
その評価によって結果が出る。

それぞれのプロセスでは色々考えているはずですが
一連の流れでみると
思ったことが結果になって現れているだけです。

なので、最初の段階の「思い」は特に大事なのです。
それが具現化するから。

それ以降のプロセスはスキルを向上すれば
レベルは上がりますから修業あるのみです。

うまく行かないときは
思いがイマイチか
それ以降の技術やスキルが不十分か
だいたいそんなものではないでしょうか。

中でも、思いは
集中力とか継続性とか
全てを支配しますので特に大事ですね。

ものづくりを例にとって説明するとこんな感じです。
作ったものは、作り手そのものです。

作る人、使う人への配慮とか
性能や品質など
全て自分以外の人のためです。

そこに自分の思いが向いていれば
「価値がある」ということになります。

なので
良いものを作りたいと思ったら
人となりを磨かなければならない
ということになるのですね。

ものづくりの場合
プロセスや結果が目に見えるので分かりやすいのですが
他のことでも同様でしょう。

「思い」無しで何とかしようとすると
一般論とか理論とか
そういうものをベースにやらざるを得ないでしょうけど

そうなると出る結果は
誰がやっても同じになってしまって
そこに価値はありません。

そんなことを考えていると
心を成長させるのが大事なんだなぁ
なんて思うのです。

やはり
技術は人なり
ですね。

思いを伝えるべし

いきなり何を言ってるんだと。

いえね、物質的に恵まれた世の中になっているのに
心が汲々としてしまうことがあるでしょう?
これは一体何なのだ
というと
どうも我々が意識する領域が狭くなっていることが
原因じゃないかなんて思うのですよ。
分かりにくいですか。そうですね。

ストレートに言うと
他を思いやっていなくて
自分のことばかり考えている
なんてことが原因ではないかと。

というのも
人の悩みのほとんどは他人が関係しているわけなので
人間関係がうまくいかなければ
そりゃぁ汲々としちゃうでしょうに
ということなのです。

これはもちろん自分も含めてなのですが
情報でも何でも
受け身になってしまうと
相手の気持ちを考える
なんて機会が減ってくるのですよね。

そうでもない?
相手のことも考えてる?

だといいのですが。

そもそも相手のことを考えないから
コミュニケーション自体も減ってしまったり
コミュニケーションの質が低下してしまったり
評論家みたいに文句ばかり言っているとか

相手のことを考えているようで
実は相手から自分が傷つけられないように
とか予防線を張るとか
自分が得するようにとか
そんなことが腹の底にあったりして。

そんなことない?
であれば素晴らしいです。本当に。

私は時として
自分を振り返って
「あぁ、ゲスなことを考えてしまったわい」
なんて思うことがあって
反省することしきりなわけですよ。

さて、そんなことを考えたりしながら
どうしたらもっと人間関係が良くなって
価値観を共有する者同士が
健全に前に進んでいけるのだろうか
なんてことを考えるわけですが

やはり
夢と希望を持って
思いを他に伝える
そんなことをやるのが良いのだろうな
と思うのです。

もちろん、そんなのは伝わらないこともあったり
同じ価値観を持っていると思っていたら
微妙にずれていたり
なんてことは当然かと思うのですが

コミュニケーションを重ねながら
その辺をうまく調整していったりして
組織が力を合わせられるようにしないとイカンのでしょうね。

それがうまくできないと
組織力は発揮できないままで
個人の力で進むしかないでしょう。組織がですよ。
せっかく組織になっているのにね。

良い例を思い付いてしまったので
この状態を分かりやすく表現してみましょう。

飛行機や船で例えましょうか。

それらの多くはレシプロエンジン
つまりピストンで動く機関で
多くは多気筒エンジンを使っています。

最終的な出力軸にはプロペラが取り付けられていて
それによって推進力を発生させます。

多気筒エンジンは、各ピストンがちゃんと仕事をして
最終的に一本の出力軸にまとめられて
場合によっては複数あるプロペラが同じ方向を向いて
はじめて正常な推進力を得られるのですが

多気筒エンジンをバラして単気筒エンジンにして
それぞれが別々の出力軸とプロペラを持っていて
それが機体や船体に複数
しかもバラバラな方向を向いて
取り付けられていたらどうなるのでしょう。
まぁ考えるまでもないですが。

そんなんじゃうまくいかんのですが
機体、船体に搭載された
バラバラな方向を向いた様々なエンジンを
オンボード(乗船した状態で内側から)で
可否・良否を判断して
それで満足したいのだ
なんてことになっていたら
こりゃ大変です。

機体、船体全体の性能や向かう先を問わないのであれば
そもそもエンジンの存在意義は無いでしょう。

と、こんな説明をしてきましたが
分かりやすくするどころか
マニアックなワードで
ますます分かりにくくなってしまいましたか?
ムダに長いし。

そう。こんなふうに自己満足じゃダメなんですね。

まぁ結局言いたかったのは
デカいことをやりたかったら
組織でやるしかないわけで
そうなったら
皆で思いを伝えたりぶつけたり
そんなことが必要なんではないだろうか
ということなのですよ。

うまくいけば速度が上がって
ラム圧加給でブーストが掛かるかもしれませんよ。

とか、またまたマニアックで
ますます分かりにくいワードで終わりにしましょう。