ダークサイドの処理は価値観の上書きで

人生色々あるから
色々感じたり思うことがあるでしょう。

中でもやっかいなのは
ネガティブな感情の処理です。

怒りとか悲しみとか恨みとか
悩みの根源になりそうなことですね。

こういった感情はとてもやっかいで
自身の貴重な時間を容赦なく奪っていきます。

どうしても
事後にそれらを考えてしまうから。

それを考えても過去は変わりません。
でも、心が捕らわれてしまって
動けなくなる。
気付くと、すごく長い時間を使っていたりします。

時間の浪費だけでなく
心のパワーも減少していって
勇気が無くなって
行動出来なくなります。

大変な無駄なだけでなく
その感情に執着してしまうのは危険です。

これらネガティブな経験や感情は
後にその経験を活かして…という利用ができれば健全ですが
なかなか難しい。

表れた感情を変化させるのは
できるのかな?

少なくとも簡単ではありません。

できそうなのは
その感情が生まれる根源にある事象に関することです。

大抵は
失敗した
などを含む
困難に遭遇した経験ではないかな。

その経験に対する捉え方を変えれば
そこから発生する感情は変わるはず。

そもそも
困難=ネガティブ
と捉える価値観こそが問題だったりします。

困難を乗り越えることこそが
自分を成長させる唯一の方法なので
困難=良いこと
と変換出来れば問題は解決です。

理屈はシンプルなのですが
実際にやるのは難しいかもしれません。

だってこれ
価値観を変える
ってことですから。

自分自身の価値判断の基準を変える
ということです。

困難=良いこと
として納得できれば
きっと次に繋げられます。

これは頭で考えていても、たぶん無理で
実際に行動した上で経験する必要があります。

そのためには、小さいことでも良いから
とにかく何かやってみて
ぶつかった壁を乗り越えたら
その時点の自分を行動前の自分と比較して
評価する必要があります。

で、「できた!」
となれば大成功で
その後は繰り返しによって
価値観が上書きされます。

ただ、評価基準が厳しかったり
事前事後の変化が感じられなかったりしたら
出口の無いトンネルに入っちゃったようになって
なかなか厳しいことになります。

自己評価だと、そういうことになりがちです。

なのでやはり
メンターの存在は重要なのでしょうね。

価値観を改造しよう

ポジティブな出来事が起きたときは
どんな感情で受け止めるか?

ネガティブな出来事が起きたときは
どうする?

当然ですが
それによって結果は異なってきます。

でも、何をもってポジティブとするかネガティブとするか
それも問題です。

人付き合いが苦手な人は
初対面の人に会っただけで
ネガティブな感情を抱いてしまうことがあるかもしれませんが
それを楽しめる人がいたりします。
相手にもよるかもしれませんが。

想定外の出来事が起きたとき
大抵は困惑するかもしれませんが
それを楽しめる人がいたりします。
程度にもよるかもしれませんが。

何が起きたときにどう思うか
というのはその人の価値観による
ということです。

で、この価値観を
「普通」という
よく分からないところに収束させてしまう
そんなことがあります。

その「普通」が
果たして自分の理想に対して
望ましいものなのでしょうか?
望ましいなら、この話はここで終了です。

この「普通」という価値観ですが
自分が意識的に作って
持っているなら良いのでしょうけど
どうなのでしょうね。

恐らくこれ
非常にやっかいな問題だと思うのです。

「普通」を求めるのはなぜでしょう?

恐らく、異質なものに対する
批判とか攻撃とか
面倒なものを回避して
それによって傷付きたくない
という願望からくるものではないでしょうか。

とすると、それは
生存本能によるものなので
なかなか手強いですよ。

学生は、この「普通」に翻弄されています。

普段は、「普通」になっていることで
面倒から回避できたり
周囲と価値観を合わせて
集団の中で生きやすい状態となります。

でも、いざ就職活動となると
「普通」には価値が無いことが判明します。
他に対する優位性とか独自性が無いわけですから
自分を選んでもらう理由が無いことに気付く。

そこからどうにかしようと思っても
時間が無いのでどうにもならない。

時間が無くなっちゃったら
そりゃぁもうどうにもならんので
できる限りのことをするしかないでしょう。

時間があるなら
自分の価値観を点検するのも良いでしょうね。

とはいえ
それは普段の自分は意識していないので
なかなか手強いですよ。
見えないし感じられませんから。

なので、それが見える人との関係を持つことが
大事だったりします。

最近は、そういう環境は
なかなか無いでしょうけどね。

私が学生の頃は
学校の外での人付き合いに助けられました。
というか、鍛えられました。
今なら
いわゆるメンターと呼ばれる人達ですね。

よく言われましたよ。
「お前、それで良いんか?」
って。

そうそう、メンターは
経験豊富で客観的な視点を持った年長者
じゃないとダメですよ。

年齢や経験が近いと
価値観も似ているわけで
客観的な判断どころか
妥協や傷の舐め合いになって終わります。

私は、学生のことどころか
社会に出てもメンターに恵まれていたと思います。
おかげで色々分かりましたし
貴重な経験をさせてもらいました。

というわけで
お師匠様を求めて冒険の旅に出て下さい(笑)

価値観のお話し

以前こんな話をしました。
で、もちろん心は大事なのですが、ここでも中盤に言ってますが
じゃぁ、価値観はどうなんだ?
というところが今回のお話し。

心がクリーンで上向きで前向きでパワフルでも
「その価値観はどうなの?」
という状態では、どうにもこうにもですから。

「価値観」とか言うと
分かりやすいようで分かりにくいですが
簡単に言うと
「何のために?」
ってことです。

ただ、難しいのは
絶対的なものは無いってことです。

どんな価値観を持とうと個人の自由です。
当たり前ですが。

例えば
夢工房で頑張っている学生達です。
彼らは本当に朝から晩まで
それこそ休日も
自分のやりたいことを一所懸命やってます。

彼ら自身は、自分の信じている大事なことのために
労力を使っていているわけなのですが
「できるだけ労力を使わずに
リスクを取らずにやっていきたいよ~」
って人から見たら
バカみたい
なのかもしれません。

「そんなことやっても
うまく行く保証無くね?」
とかね。

まぁそうですね。
保証はどこにもありません。

でも、面白いものって
リスクを取って一所懸命頑張ることの中にあったりするのです。
少なくとも夢工房の連中にとっては。

彼らにしてみれば
「大変でもない、誰でもできそうなことやって
それ、面白いの?」
「やったらできるって分かってることをやって
それは価値があるの?」
ってところでしょう。

この辺の価値観の溝は
そう簡単には埋まらないと思います。

でも、将来プロのエンジニアになって
お客さんが喜ぶ製品を開発したいとしたら
未来のお客さんがどう思う製品を開発したいのか?
そのために今の自分はどうすべきか?
そんなことを考えたら
今やるべき事は結構簡単に分かるのではないかな。

当たり前ですが
お客さんが喜んだり驚いたり
そんな製品が作りたいですよね。

だったら、そのための準備は早ければ早いほど良い。

重要なことは
今の自分はどんな価値観を持っているのか
ですが
その価値観はどうやって形づくられたか
これが最も重要です。

もしそれが
自分自身で形づくったものでなく
誰かに言われたからとか
そんなことが原因にあるなら
恐らく面白いことにはなりませんし
どんなことになっても
誰も責任を取ってくれません。

もちろん、自身の責任ではないのであれば
過ぎてしまったこと対して後悔するかもしれませんし
誰かを恨みたくなるかもしれません。
でも、 誰も責任を取ってくれません。

自分で決めてやったことであれば
もし思い通りにいかなかったとしても
あまり後悔はしないでしょうし
考えて実行したプロセスの中で
学ぶことは山ほどあったはずなので
気付けば色々できるようになっているはずです。

いやぁ、なぜこんな話を長々としているかというと
私が学生の頃から変わらないのですが
必ずいるんですよ
クルマやバイクが好きな若者に

「好きなことを趣味にするのはやめとけ~」

って言う人。
で、それを真に受けて悩んでいる人。

私は、ぜひ聞いてみたい
「そんなこと言うあんたは
自分が大好きなことを仕事にしたことあるんですか?」
と。

少なくとも
昔私にそんな話をして下さった方は
そういう仕事はなさってませんでしたけどね。
ま、そんなもんです。

え?自分ならどう言うかって?
「大変だけど超面白いから絶対やれ!」
ですね。