これまた根本的に重要なこと

何をもって自分の限界とするか
「これ以上いけない」
というポイントというか閾値(しきいち)というか
そういうのは目に見えません。

なので、限界までプッシュするというのは
人によってはとても難しかったりします。

逆方向の
落ちるところまで落ちて
「これ以上(以下というべき?)はマズイ」
という一線も目に見えないので分かりにくい。

さらに、これを決めるのは自由だし
意識しないこともできる。

上も下も良く分からないのです。
さらにこれらのレベルは個人差がある。

限界は、突破してみないと分かりません。
限界を超えるのを恐れて
小刻みにいやっていると
いつになっても限界は見えません。

なので、失敗を恐れたり
無駄な労力を払うことを恐れていると
いつになっても限界は分らなくて
往々にして限界のはるか下の方に
停滞することになります。

下限に関して言うなら
譲れない一線を高く設定しているなら
早めに上昇に転じることができるでしょうけど

何も考えていなければ
落ちるとことまで落ちるでしょう。

高い目標設定などはもちろん重要なのですが
やはり本気度というか熱意が
どれだけ高く大きいのか
それが重要なのでしょうね。
根本的に。

ああ、やはりこういうの
授業じゃ無理なんだよなぁ。


「思い」が大事

「何のために」という「思い」
これはとても重要だと思うのです。

人は理屈では動きません。
根底には「得たい感情」があって
そのために動くのだと言います。

学生がヘマをやらかした時
前に記事にした通り
夢工房ではこうします。

「なんでそうしたの?」
「じゃ、それはなんで?」
と、「なんで?」を繰り返していきます。

すると、コアの部分には
凄くシンプルな理由が出現します。
それを解決すれば
それによる結果は変化するはず。

その「なんで?」の過程にある理由から
コアに出現する理由に向かうに従って
感情にまつわることが占める割合が大きくなったりします。

この「感情」とか「思い」は
何に基づいているかというと
「価値観」ですよね。

価値観が判断の基準になって
快・不快を決めたりしているというのは
誰しも知るところです。

なので
価値観の上書きができると
今まで苦手だったことが苦ではなくなったり
嫌いだったものが好きになったり
そんなことが起きます。

学校の歴史の授業で年号と出来事を暗記したりするけど
それは全く面白くなかったりします。
特に私のように脳ミソのメモリ容量が少ない人間には。

大事なのは「何のためにそれをやったのか?」
ということであって
そこからは、とても大事なことを知ることができます。
そういう大事な部分を教えれば
ちょっとは歴史の授業だって面白くなるでしょうに。

とはいえ、出来事を字面で見ただけでは
思いは伝わらなかったりもしますので
そのための周辺情報を理解するためには
時間や労力が必要。

でも、そういうのを惜しんじゃいけないのでしょうね。
うーん、難しいところです。

あとは
社会のルールだって何かのためにあるのだけど
その思いが伝わらなければ
単にルールを守るだの守らないだのという判断になってしまって
守ったの破ったのと
善悪二元論みたいになるわけで
ルールは守っているのだけど
結局何のためにやってるのか
それが良いのか悪いのかも良く分からないまま
何も変えられないとか
そんなことにもなるのでしょうか。

コンペティションをやっている者にとって
ルールの本意を理解するというのは
実はとても重要なところなのです。

レースなんかの場合は
もちろんゲーム的な要素はあるのですが
安全のため、命を守るためのルールもあるわけで
そこを尊重して、意図(主催者の「思い」)を理解して
マシンの性能のためのアイデアと
バランスを取ったりする必要があるからです。

世界GPライダー@夢工房

今日は元世界GPライダーの上田昇さんが夢工房に来てくれて、今年の鈴鹿8時間耐久ロードレースについての作戦会議をしました。

昨年はコロナ禍の影響もあり、残念ながら出場できなかったのですが、今年はトッププライベーターの本領を発揮すべく気合いが入っています。

上田さんといえば、1990年代の世界GPを湧かせた日本を代表するライダーの一人ですが、今は鈴鹿8時間耐久ロードレース出場チームの監督と共に、次世代のトップライダーの育成もされています。

なので、分野やレベルはともかく、今の私の仕事とも通じるところがあるわけで、お互いに持っている課題も共通のものがあったりします。

経験者が指導する際に
「こうすればうまくいく」
ということを伝えたりするわけですが、言われた「やること」は当然ながら、さらに上に行くには、やはり自発性が成長の鍵になるわけです。

とはいうものの、その重要性を伝え・理解して・実行するには、双方が持つ価値観を理解して共有している必要があるわけです。
加えて言うならゴール達成の「熱量」もですね。むしろこっちの方が重要だと思いますが。

それらが揃わないと「自発性を発揮」とはいうものの、そのレベルが低すぎたり方向性が違ったりということになって、指導そのものが空回りするし、満足できる形にはならないでしょう。

言われたことをやればいい・うまくいく
というわけにはいかないのです。

では、一体どうしたら良いのか?

マネージャーさんも含めて、そんなことも話し合ったりもしていました。
これは結構前から話し合っているネタで、そうそう簡単に答えが出たりはしないのですけどね。

世界は違えど、こんな凄いレベルにいる人と似たような課題を持っていて、それについて話ができるというのは有り難いことだなぁなんて思ったりしていました。