続 手段と目的とライバルと

前回はエコランカーを例にとってお話ししました。

手段を固定化してしまうと
目的は制限されてしまうわけで
そんなんじゃ勝負になりませんよ

という内容でした。

カッコイイ部品などの目に見えるものって
そもそも何かのための「手段」なのです。

その魅力的な目に見える「手段」はとても魅力的で
「良いもの」に思えます。
つい使ってみたくなっちゃう。

でも、そいつを主役にしたりすると
問題が起きます。

この「良いもの」というのは
「何か」に対して「良いもの」なわけで
その「何か」はなにかというと
戦略だったり戦術だったりします。
これらは目に見えません。

実は「良いもの」は
あらゆることに対して無条件で「良い」わけではなく
大抵は、ある特定の戦略を取ったときに
効果を発揮するためにつくられています。

なので、メリットとデメリットを内包しているのですが
「良いもの!」と思っちゃうと
デメリットは見えません。

F1マシンは速いけど
どんな状況でも絶対的に速いわけではありません。

どんな最新兵器も
あらゆる状況において絶対的に有効なものはありません。

それらは、ある特定の条件下で性能を発揮して
優位性を得るために考えられたものだからです。

そして、その優位性を得るために
必ず何かを犠牲にしています。
目には見えませんが。

そして、それを採用するということは
優位性を発揮する条件など
戦略も含めて採用することになるのですが

戦略は目に見えませんし
そもそも、他人が考えた戦略を
ヘタするとライバルが考えた戦略を採用しても
オリジナルに勝つのは難しい。

他人の土俵で相撲を取っている状態です。

それに、すでに目に見えている手段を採用するのだから
そういうことのハンドリングに長けたライバルが出現したら
そこでお終いです。

なので、目に見えない大きなところから考えて
優位性を発揮できる戦略を考えて
そのための具体的な手段をつくって実行する。

目に見えない大きなことを考えて
その実現のために
目に見える小さなものをつくるのです。

自分の土俵を作っちゃうということです。

そんな風にできたらいいですね。

目に見える小さいものからつくりはじめて
その集合体を構成していく

よくやってしまいがちですが
これは逆です。

手段と目的とライバルと

夢工房の1年生達が燃費競技車両(エコランカー)の開発に着手しました。
リッターあたり1,000kmも2,000kmも走っちゃうようなクルマです。
いいぞ!いいぞ!!

決められたコースを決められた平均速度以上で走って燃費を競うこの競技
意外とエキサイティングなのです。

主流の走り方は
加速した後に、エンジンを切って惰性で走行
速度が落ちてきたら再始動して加速
そんなことを繰り返すのです。

車体は手作りで、各チームそれぞれ趣向を凝らしていますが
基本はあらゆる走行抵抗を低減した
軽くて小さな車体

加えて、夢工房の連中がこだわり続けているのは
軽くて高剛性な車体とパワフルなエンジンです。

一気に加速して
エンジンを始動している時間を限りなく短くする
という戦略です。

これ、かなりストイックなレーシングカーです。
燃費競技というと
のんびりトコトコ…というイメージがあるかもしれませんが
全く違います。
熱いです。

マシンの構造やオペレーションは
上級生達がやっているフォーミュラカーを上回る
ストイックさとシビアさ
かもしれません。

徹底的に無駄をそぎ落として
ワンミスで燃費が数百キロ変わってくる世界です。

さて、そんなマシンづくりに関わり始めた1年生
どんな風にアプローチしはじめたかというと

まずはマシンの一部分
「こんな部品を使ったらどうだろうか」

まずはコースの一部分
「ここが難しそうだ」

そんなところからです。

まぁ、普通はそうなるのかもしれません。
特にメカ好きの工学系少年で
真面目なコならなおさら当然かもしれない。

最初から正解やキーポイントを探そうとします。

でも
初めから細かいところを見ちゃいかんのです。

初めに細かいところにこだわっちゃうと
当然ながら、その後はその細かいことを中心に組み上げられていきます。

結果どうなるかというと

「こんなふうになっちゃった

というものができあがります。

さらに、最初に目に付くキーポイントというのは
ライバルにも見えていることが多いので
そういう入り口から入っていくと
皆、似たようなところにたどり着きます。

そうなると、いわゆる優秀な人とか
実績のある者には敵いません。

この細かいところから入るというのは
「手段」を固定化している
ということです。

手段を固定してしまったら
それによって得られる結果(本来の目的)は制限されます。
というか、ゴールは出来なりになってしまうわけで
そもそも目的が無くなってしまうのですね。

そういう状態でライバルと戦うのは無理があります。

というか
そういうことを考えているときって
大抵はライバルが視野に入っていないことが多いですね。

それじゃ勝負になりません。

とまぁ、こういうことを体験すること自体が学びだと思うので
まずはこれでも良いのです。

そこからどうしていくかが重要で
変化とか勇気とか工夫とか努力とか…
彼らの成長に欠かせないエッセンスを手に入れるプロセスが始まるのです。

これ、機会があれば続編を書いてみますね。

パッションで行こう

なんか似たようなタイトルが多いなぁ。

たまに考えるのですが

人の行動原理は
大きく分けると2種類なのかな
と。

1つはこれ

「あー、面倒くさいなぁ」
と思いつつ
やるべきことを先送りして
「あ、これやらないとヤバいことになる!」

ヤバいことになる恐怖を原動力とした行動原理。

大抵うまくいかないし
何とかなっても最低限になるヤツです。

耳が痛いですか?
私もです(笑)

2つめは

やりたいことがあって
夢見ちゃって
どうにもやらないと気が済まないヤツ。
パッションが原動力になっている行動原理。

まぁ、どちらがうまくいきそうかとか
どちらが理想的かなんて言うまでもないのですが
こういうの、もうちょっとうまくいく方法ないかな
と考えることしきり。

まぁ、決定的な答えは見つかりませんよね。
結局は、心の問題なので
理屈で簡単に割り切れるものではないですし。

そうそう。
理屈も原動力にならないのですよ。
でも、助けにはなりますね。

こういうことに関して
きっと皆似たようなことを考えたりするのでしょうね。
なので「ライフハック」なんて言葉もあるのでしょう。

どうしたら良いかなんてよく分からないので
今後も考え続けて
色々試し続けるのですが

確信を持って言えるのは

恐怖が行動原理になっているのはダメだ

ということです。

理由は今までの記事で取り上げてきましたし
世間一般でもよく言われている…のかな?

いずれせよ
もし、そうなっていたら
このやり方はダメだ
ということを認識して…

で、どうしたらいいのでしょうね(笑)

というのも
そこで考えを切り換えられる人なら
そもそも、そういうところに嵌まっちゃったりしてないと思うのです。

いや、でも
好不調は波のようにやってくるものなので
低調な状態に嵌まっちゃってる場合もありますからね。
そういう時は、それなりの過ごし方をするしかないのですが。

ここまで書いてきて何ですが
こういうのって仕方ないのかもしれません。

皆が皆、パッションに溢れていて
いつも絶好調!
みたいな社会は
非現実的であるばかりか
不気味でもあるかもしれませんし

そもそも
そんなのは他人に何とかしてもらうべきものでもないでしょう。
人の心なんていじれませんし。

なので、結局
自分はどうしたいのかな?
というのを考えて試して
面白いことをやって
それを見ている者が
「お、いいなぁ!」
と感化されて広がっていく

そんなアプローチが良いのだろうなぁ
と思うのです。

なので、先生が偉そうなことばっかり言っていても
なーんにも解決しなくて
じゃ、偉そうなことを言っている自分はどうするのだ?
ということになるんですね。

これ、本土4極制覇の良い言い訳になってませんか?
ダメ?
まだ不十分ですか?

じゃ、次は何をやろうかな。

追記:
初動において不安も恐怖もアリ
ただし、ネガティブなままではダメなので
動き出したらすぐにポジティブに切り換える準備が必要

とのご意見を頂きました。
これはもっともです。

むしろ、動き出した後に「変える」というのは重要だと思いました。