陰陽という考え方

良い出来事と、困難な出来事
これらはセットになっていて
どちらか片方だけ手に入れる
というわけにはいかないようです。

陰があれば陽がある
といった感じですね。
自然の摂理です。

何か大きなことを成し遂げた人はもちろん
そうでない人だって
大抵は、これらのセットの両方を経験します。

困難な出来事を通り抜けたならば
何か良いことが得られる
ということです。

さらに言うなら
陰の大きさに応じて陽の大きさが決まる
という関係もあると思っています。

大きなことを成し遂げた人の多くは
何かしらの困難をくぐり抜けた人です。

もっとも、ご本人がそれを
どう思っていたかは分かりません。
多くの人にとっての困難を
困難と感じていなかったかもしれません。

というのも、困難な経験方見えてくることや気付くことがあって
それが未来に役に立つようになっているからです。

私程度の人間だって、そういう経験はあります。
なので、それは間違いないと言えます。

ただし、ここには注意点があって
降りかかってきた事象に対して
「大変だけど、これを乗り越えたら、きっと良いことあるんだろうな」
というように
未来を信じるというか
そういう姿勢は大事で

降りかかってきた事象に対して
逃げるとか、文句を言って呪うような姿勢に対して
良いことが起きるなんてことはありません。

教科書などから得られる知識や
物質的なもののみを信じる人って
良いことばかりで人生を形作れる
と勘違いしているのではないかな。

確かに相手が物体であれば
好きな方だけチョイスすると言うこともできるでしょう。

でも、人生はそうは行きません。
どちらか一方だけ手に入れようとするのは無理だし、不自然です。

往々にして、そういう人は利己的だったりして
困難なことや、不運なことに遭遇すると
強烈に感情が反応したりするのではないか
なんて思っています。
文句ばかり言いますものね。

果たして、そんな人のところにチャンスが放られるか
というと…そんなことは言うまでも無いですね。

チャンスを放る方の身になってみれば
一目瞭然。考えるまでもありません。

チャンスなんて自力で作るから大丈夫だって?

無理無理。
人は社会で生きているのですから。

思えば私なんて、ダメでバカなガキだったのですが
色んな人のお陰で、色んな経験をさせてもらって
ちょっとだけこんなことが見えてきたわけで

レベル的にはまだまだなのですが
見えてきたことはシェアしないとな
なんて思っている次第です。

環境を作るということ

人の成長には環境が重要です。
学校、学生に限ったことでは無いですが。

その環境は、用意されたものであることが当然
という風潮がありませんか?

ちょっと分かりにくいかな。

「学費払って学校に行っているのだから
ベストな環境がすでにあるべき」

「会社が良い環境であるのは当然で
楽ちんな仕事を的確に指示すべき」

まるで、商品をお金を払って手に入れたのだから
不良品は許せない
みたいな。

で、気に入らなければブラック呼ばわりするとか。

まぁ、分からなくは無いです。

お金を払えばソコソコのものが
当たり前のように手に入る世の中なのですから
そんな風に思う人がいるのも理解できます。

でも、今回言いたいのは

そういうところで環境を作る努力をするのも
良いんじゃないの?

ということであり

それをやったら皆のためになるんだから
自分の価値が向上するので
自分のためになるよね。

ということなのです。

そもそも完璧な組織なんて無いわけだし
自分が所属して、特にやることがなかったら
つまらないじゃん
と思うのですよ。

ただいるだけ
言われたことをやるだけ

そんなんじゃ面白くないでしょう。
成長もできないし。
自分がいる価値とか意味とか無いですものね。

完璧じゃ無いから色々やることができるわけで
そこで環境とか風土とかを自分の手で作り上げることができたら
それは凄い経験だと思うのです。

ここからは想像なのですが

今の日本の学校って
若者を成長させようなんて
思ってないところが多いのではないだろうか
と思うことがあります。
杞憂ならそれに越したことは無いのだけど。

色んな人に文句を言われないように防御壁を張って
学生の頭の中にそこそこの知識を突っ込んで
「よかったね!頭良くなったね!」
で、そこから先は社会にお任せ!
って感じになってないだろうか。

もちろんこれは学校に勤める人間
つまり先生がそうしたいと思って
しかもよかれと思って…

実は学生自身も保護者も
同じようなことを望んでいて
失敗しないように、傷付かないように
頭の中に知識を詰め込んで
「よかった!頭良くなった!
これで楽して稼げる!」
ってやりたかったりしないだろうか。

頭に知識が入ることが成長だと思っていたら
そうなっちゃうかなぁ…なんて。
考え過ぎなら良いのですが。

でもまぁ、我々は我々のやり方でやらせてもらいますよ。
授業じゃないし。

自身の力で作り上げるというチャレンジをして
どこまで成長できるか。

そんな経験が皆のための
何かしらの目安になったら、これ幸い。

人は意味の無いことに耐えられない

学生が色々できるようにならなきゃと言う。
数学とか力学とか語学とか。

まぁ、結構なことです。

でも、それが何のためなのかが定まっていなければ
難しいことになるでしょう。
なぜかというと

人は意味の無いことに耐えられないから。

目的、目標が無ければ学習は
「意味の無いこと」
ということになってしまうのではないかな?

勉強でも何でも良いけど
「何のために」が無ければ
そこに意味は無いわけで
意味が無いことをいつまで続けられるのか?

実際、私はそんな状況でした。
大学では、一部の科目には異常なほど興味を持ちましたが
興味が無い科目には全く力を入れられませんでした。

で、サーキットばかり行っていたわけですが
まぁ、それはそれで良かったかな、と思います。

勉強ができないコンプレックスが
バネになったような気もしますし
興味を示せた僅かながらの工学的な知識を
活かすチャンスにもなったと思いますし。

しかし世の中には
学ぶことそのものが目的になっている人はいるわけで
それで勉強ができる人って凄いな
って思います。

でも、それは自分のやり方ではない
そう思っている学生は結構いるはずです。
というか、そういう学生の方が多いはず。

工科系の場合は
ものを作りたかったりするので
定型的な知識などがゴールなのではなく
あくまでも手段なわけです。

そんな連中に手段ばかり与えて頭をでっかくして
目の前にニンジンが無ければ
走り続けることはできないでしょうね。

それに耐続けることができる
というのも凄いことだと思いますけど
あまりハッピーではありませんよね。
忍耐力は大事ですけどね。