次の成長曲線の始まり

同じやるなら、自分発でやる方が成果が出るに決まってる。

なぜ今まで停滞して、閉塞感があったのか
今さらながら良く分かってきた

実は、日本のモータースポーツが低迷しているのもここに理由があるのでは無いかと思っています。

と言いますのも、モータースポーツは基本的にリスクを伴います。
身体的にも、そしてもちろんコスト的にも。
そして、得られるものは数値的に表すことは難しい。

そんなもの、行き詰まった感がある、ボンヤリとした不安がある社会で受け入れられるわけはありません。

最近の学生は云々言われますが、何度も言っているとおり、彼らは好き好んで愚痴を言われるようなことをしているわけではなく、彼らが取る行動や、彼らの思いは社会という環境によって作られているわけで、言ってみれば現状に対する鏡です。

物価が上がる、給料は上がらない、将来に不安がある
そんな状態の国民から、どんどん税を取って上前をハネる
しかし、希望も持てる環境は提供しない
そんな社会を映しているだけ。

なのですが…

実はこの状態、必然のような気がするのです。
成長曲線が伸びきった状態にあった我が国が、次の成長曲線を描くためには必要なフェーズだったのではないか、と。

正直なことを言えば、行くところまで行って、もうどうしようもない悲惨な状態にならないと変化は訪れないかもしれない、と思っていたので、この時点での方向転換には驚きました。

今、我が国には、やっと希望が見えてきたと感じている人が少なからずいると思います。
その気持ちが次の成長サイクルを作る原動力になるはずです。

やはりね、最初は気持ちの問題なのですね。
続いて、考え、行動する。

そして大事なのは、気持ちが前向きであれば、結果に対する評価が違ってくると言うこと。
チャレンジした結果を「経験」として活かすことができれば、次のチャレンジのサイクルに繋げることは容易です。

さぁ、面白くなってきますよ!

安定の罠

新首相が誕生したことが大きく関係しているのだろうけど、今まで停滞していたのが改めて分かりました。
頭では分かっていたんですが、「失われた○○年」とか言いますもんね。
私は政治にはそれほど詳しくないし、恥ずかしながら政党とかもあまり興味が無かったりするのですが、国のトップが変わるとやはり全体に影響が及ぶのだな、というのを実感しました。

いや、今までもコロコロ変わってはいたのですけど、単に人が変わるだけど、向かう方向性や価値観は、それほど変わってなかったのだろうなぁ。

そもそも、景気の悪そうな、勢いの無いおじさんのもとで「やるぞ!」って気にならないでしょう。
いくら頭が良いとか、金持ってるとか、いっても、そういう問題じゃないんですよね。
やる気が出ない環境では無理です。
あまり人の悪口を言うのは好きじゃないので、これはあくまで一般論としておきましょう。

何かしらの渦中にいるときは、現状がどうなっているかなんて気付かないものですね。
やはり、一区切り付いた時に、今までと現在を比較して、今までがどうだったのかをやっと気付くのでしょう。

今までずっと閉塞感を感じていたのです。
で、この正体は一体何なのだ?と思ってました。

これ、恐らく国の向かう方向性から来るものだったのですね。
国のトップが、安定という方向へ向かおうとしていたのではないでしょうか。
あまり人のせいにはしたくないですけど、トップの果たす役割というか、これはもう理屈じゃなく、感覚というか、雰囲気というか、空気感というか。
日頃、我々がどう感じているかがポイントで、我々がどう感じるかは環境次第なわけで…。皆、安定を求めていましたものね。

なんかこう、何か安心なポジションとか権益とか、そういったものを手に入れて、早々に頑張らなくても済むようにしたい…みたいな。
そんな空気感ありませんでしたか?

「安定を求める」というのと「停滞」は、紙一重というか、同じことでしょう。
だって、安定って止まることでしょう。
それ、停滞ですものね。
やはり今までは停滞していたんだなぁ、と。

ダメなところ、不十分なところで安定しちゃったら、それは不安になるわけで、それが安定とか安心を求めるデメリット。

飛行機が安定して水平飛行をできるのは、推力があるからです。
高度や速度が不十分な状態で安定しようとしても、そりゃぁ無理ってものです。

新しい価値というのは、停滞からは生まれない。
やはり動いているところから生まれるもの。

推進力を得て上昇するのにもデメリットはあります。
面倒です。

でも、恐らくもう選択肢はありません。
推力全開で上昇するしか道はない。
安定するのはその後です。

アイデアの話

「idea(アイデア)」
古代ギリシャ語のイデアに由来します。
これは「姿」「形」「見え方」といった意味で、後にプラトンが「本質的な理念(イデア論)」として哲学的に発展させました。

とか難しい話は置いておいて。
一般的にアイデアと言えば、思いつきとか、ひらめきですね。

その元になるのは、知識とか経験による「引き出し」です。
だからお勉強が必要なんですよ。
が!
お勉強とはなんぞや?というのもあります。
単に学校で教科書から得た知識のみを指すのか?
もちろん、そんなことはありません。

と、それも置いておいて。
「引き出し」からアイデアをひねり出すために必要なものがあります。

それは、モチベーション(目的や動機)です。
ただ、モチベーションとはいえ、それも高かったり低かったりしますね。

では、その高低を決めるのは何か?
…というところまで掘っていくと、やはり行き着く先は「心」ということになってしまうのです。
どう思いますか?

「もの」を生み出す元となるもの。
それはアイデアだったり知識やスキルだったり
そういったものはもちろん大事なのですが
そもそもの「心」が原点にある。

学ぶのも、スキルを向上させるのも
そしてそれらの質を向上させて、形にするレベルも
全てモチベーションや心にかかっている
そう思うのです。

そして今、何を思ったかというと…

縄文人って凄えな
です。

何だそりゃ?

まぁ、そうで思うしょう。
たまたま、ふと思っちゃっただけなのですけどね。
一度、縄文土器や土偶を良く見て下さいな。

一体どんな心が、あの形を作るのか?
そこから現代に至る道の延長線上に未来があるわけで、我々がこの先どうしていくべきなのかというヒントが、そこにありそうな気がしてなりません。
と、そんなことも考えたりする今日この頃。