今後の教育のあるべき姿は? その4

「社会に出て役に立つ」とは言っても、そもそも社会の側からのニーズが明確化がされてないわけで、それは問題でしょう。

そんなこと言い始めると、我々は具体的な知識とかスキルに注目してしまいます。
世には多種多様な仕事があるので、それぞれのニーズ合った特定の知識とかスキルに。

とはいえ、そんなに細々とやるわけにはいかないので、様々な仕事に共通して利用できる、汎用的な知識とかスキルとかを中心として身に付ける。

加えて、将来どんな仕事をするのか分からないのだから、どんな仕事についても、そこそこ潰しが利くように、色々な分野からピックアップした多様なものをゴッソリ学ばせればいいじゃないか、となるわけで。
そして、それを高度化していくと、何の役に立つか良く分からない専門知識と称する難しい学問を修めることになる。

ところが、学んだもの全てが必要なのかというと、残念ながらそんなことはありません。
というか、ほとんどは使わないまま仕事をして、定年を迎えます。
大学で学んだ多様な知識をフルに使ってやるような仕事は、全く無いと言っても過言ではないくらい。

とはいえ、色々知識があった方が良いのは事実でしょう。
しかし、そのほとんどは使わないというジレンマ。
その狭間で起きるのは、熱意の低下。

で、ここで思うのです。
皆が同じじゃなくて良いじゃないか、と。

色々知識を得ておきたいのなら、そうすればいい。
言われたことをキッチリできる人になりたいなら、そうすればいい。
何かピンポイントで強みを伸ばしたいなら、そうすればいい。
自発的な行動やアイデアで勝負してみたいなら、そうすればいい。

そんな風に、多様な動機をベースにして、それぞれに敵した取り組み方があるのであれば、もっと自発的に能力を伸ばすことができるのではないかと思います。
この本質は、学び方の多様化というより、自発性の発動にあります。
心のパワーが低い状態で、知識だのスキルだの言ったところで、たかがしれているのです。それは教わる方も、教える方も。

やる気が十分では無い状態で、学びのレベルを上げていくとどうなるか?
そんなのは、すでに皆分かっているでしょう。
逆に、やる気が先走っている者に、ツールとしての知識とスキルを与えると何が起きるか?
私は知ってますよ。

動機が無い状態って、モチベーションが無いってことです。
それは心の問題です。

理屈では現状は変えられません。
現状を変える根源にあるのは、人の心です。

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