何を払って何を得るか

「コスパ」重視だと、大したものは得られない
という話です。

ものごとには「効率」があって、入力された同等のものが出力されることはありません。
大抵の場合、エフォート(労力)を投入して、得られるゲイン(見返り)は相対的に小さいものです。

チャレンジしても、うまくいく可能性が低い。

つまり効率が低い。
時にはそうではない場合もあるでしょうけど、そう思って良いと思います。
特に、短期的にはそうなることが多い。
さらに言うなら、若年者ほど効率は低い。

この効率が低い状態では何が起きているかというと
リスクや労力、時にはお金を投入しても、期待したほどのものが得られなかった
ということです。
ロスが大きく「コスパが悪い」ってことですね。

問題は、その「ロス」です。
それをどうとらえるか。

チャレンジしていくプロセスでは、色々想像して、選択して、という局面があるわけですが、そこで役に立つのは過去の経験です。
もちろん知識などは役に立つでしょうけど、そもそもチャレンジは、うまくいくかどうか分からないけどやってみることなわけで、知識で何とかなるなら、それはチャレンジではありません。

想像と選択では、どれだけ「引き出し」を持っているかがものを言います。
それを構成するのが、過去のチャレンジの際に生まれた「ロス」だったりします。

「こうやったらうまくいった」
それは有効な情報ですが
「こうするとうまくいかない」
これも同じくらい有効な情報なのです。

さらに言うなら、失敗したときにどうやってリカバリーするのか、という経験も大事ですね。

なので、「コスパが悪い」経験を、どれだけ積んだかが、未来においては重要だったりするのです。

投入したエフォートに対して、ゲインがあるかどうかすら保証は無い。
でも、損することを恐れると、行動を制限することになる。

なので、「コスパが…」とか考えすぎて、見返りを期待しすぎてはいけないのですよ。
見返りを期待せずアウトプットを最大化するってのが、長期的に見たらゲインを最大化するわけですから。

ただこれ、言うほど簡単ではありません。
エフォートやリスクの最小化、効率の最大化は、我々の生存本能に基づく基本的な欲求だからです。
なので手強いです。
だからこそ面白いのです。

教えるということ

先日、寝床に入って「教える」って何だ?
と考えてたら眠れなくなりました。

「ねえ、3時になったら教えてくれる?」

それは決して「教育」ではない。

何と、日本語の「教える」は、「知らせる」「伝える」などが混同されているではないですか!

英語で言う…

instruct
teach
train
tell
show

これら全てを「教える」で表現できるのだ!
なんてややこしくて、なんて便利なんだ!

「教育」とはなんぞや?
それは決して「言ったことをやらせる」ということではない。
まあ、そういうことも含まれるでしょうけど。

「言ったことをやらせる」は、教育の手段の一部のはずなのだけど、なぜか目的化している気がしませんか?
確かに「教える」って、そういう印象ありますからね。

本人が自ら考える立ち位置に導けたら、それが理想なのだと思うのです。
でも、それは難しいし、面倒なことです。

ついでに言うと、知識を手に入れることは大事です。
ですが、知識を使うことをはもっと大事です。
さらに言うなら、知識を使って、その結果起きることを知り、その知識と経験を使って…
とグルグルとループを描きながら成長するのが理想だと思うのです。

知識を手に入れて、テストで解答して、合格したら、はい良かったね、で終わるってのは、実社会で起きていることから考えると、現実離れしたこと。

そんなことを考えていると、「実践」って最重要じゃないか!と思うのですよ。
いや、本当に要なのは、グルグルとループしながら成長することかな。

やってみなけりゃ分からない

昨日の記事では
「価値」の大きさとは、「人の心がどれだけ動くか」
なんてことを書きましたが、これが私が言いたい価値の本質だったりします。

何かをやる前に「正解」を探すってのは、やる前から間違いで無いことは分かっているわけで、まぁ無難ではあるけれど、言ってみれば「当たり前」のことです。
その「当たり前」で人の心がどれだけ動くのか、というのが問題なのですよ。

もちろん「当たり前」のことを軽視すべきでは無くて、とても重要ではあるのですけどね。

こと、ものを作るとなると、その「当たり前」の上に、どれだけ価値を乗せられるかが問題になるのです。

それは驚きや喜びをどれだけ伴っているか、なんてことになるのですが、そういった感情は「想定外」であって、「当たり前」の中には含まれていません。

その「想定外」を、どうやって、どれだけ手に入れることができるか?
それが問題です。

きっとそれは
想像力とパッション、そして勇気を使って
やってみなけりゃ分からないことを、どれだけ経験できるか
と、その辺がポイントになってくると思うのです。

やってみもせんで何が分かる
いや、全くその通りです。

実際に「やる」によって得られるものごとの価値

これは、シミュレーション全盛の現在、AIが台頭する未来においても変わらないというか、ますます重要になってくると思っています。