どうありたいか? で、どうするか

将来、どんなことができる人になりたいか?
それに即したことをやっていれば、きっと望む世界に行ける…かもね。
というお話しです。

これは自らの実体験をベースに考えていることなので、ある程度汎用性があるのではないかな、と思うのです。

振り返ってみると、バイクに乗って、クルマに乗って、レースも経験して、開発の仕事ができて、未来の開発者を育成している、というのが現状です。
そこから思うことです。

学生の頃は、決して優秀ではありませんでした。
勉強でトップクラスになったことは一度もありませんでしたから、これは間違いない。

そして、幼い頃から乗り物に興味を持っていました。
これも間違いない。

で、やはり周囲にはバイク好きとかクルマ好きとかいるわけですよ。
私が大学生の頃は、クルマかバイク乗ってないと存在が薄いってくらい、バイクブームで、クルマのチューニングブームでしたから。
そしてもちろん、もの凄く詳しいヤツとか、色んな経験を持っているヤツも山ほどいる。

そんな彼らを見ながら
「敵わねぇなぁ」
と思いつつ
「じゃぁ、自分には何ができるだろう」
なんて思いながら、色々やってました。
もちろん好きなことばかり。
アパートでは、バイクやクルマをバラしたり組んだり、サーキットにも入り浸ってました。

その頃、将来はクルマの開発をするのだ!と思っていたかというと、そんな具体的なことは思ってませんでしたね。
でも、何かしらバイクかクルマ関係の仕事をするのだ!とは思ってました。
そういう仕事って、もの凄く勉強できないとなれないと思ってましたから、周囲にいるもの凄く詳しいヤツとかを見て、「オレもクルマ好きだけど、そんなに色々覚えられねーなぁ」と思っていました。それが悩みでしたね。

とはいえ、できるだけのことをやろうとはしていました。
その「できるだけのこと」ってのがレースだったのですけど、今にして思えば正解でした。

勉強の線で優秀になるってのは、ライバルが多すぎるのですよ。
それに、その線でいくと優位性が得にくい。
だって、皆同じことを学んでいるのですから。

対して、レースをやるとどうなるか?
毎レース、勝つためにチマチマ工夫を継続して、「考えたら、やる。そして改善する」というループをグルグル回していく。
知っているだけではダメで、やってナンボなので、行動力は身に付きます。
それが性に合っていたのか、楽しかった。なのでやめられない。
チームワークやコミュニケーションがどれだけ身に付いたかは分からないけど、一人で勉強しているヤツよりはマシだったでしょう。

そして今、夢が叶ったかどうかというのは良く分かりませんが、恐らくかなり良い線いったのではないかと思うのです。
まだ終わってはいませんけどね。

自信があろうがなかろうが、好きなことに拘ってやり続けるってのは大事です。
これは絶対!

問題は受け止め方次第

若い人達には、どんどんチャレンジして欲しいのだけど、障害となるものがある。
それは失敗のビジョン。

人間生きてれば色々あるわけで、多くを経験を、うまくいったものと、うまくいかなかったものに二分すると、大抵はうまくいかなかったものの方が多いのではないかな。
この「うまくいかなかった」というのは、「うまくいった」もの以外全てなわけで、単に目標に到達できなかったものから、悲しかったり苦しかったり、時として恥ずかしかったり、いわゆる「失敗」と呼ばれる経験まで広範に渡る。

チャレンジする前には、その結果がどうなるかを創造するだろうけど、その際のイメージは経験に基づくものなので、多く経験したものによって形づくられるわけで、そうなると失敗のビジョンはリアリティをもって形づくられる。
要は、容易にリアルな失敗のビジョンを描ける。
結果、「どうせ…」なんてことになりやすい。

さて、この誰しも多く経験する「失敗」だけど、ここには感情が絡んでくるのが厄介なところ。
失敗はネガティブである
という感情ですね。

人は感情で動く。
しかもそれは意識の外で、自動的に。
これは手強い。
「失敗」に対する感情が、チャレンジできるか否かを決めてしまう。

この状態を変えたいのであれば、経験の結果に対する評価を変更するしかない。
「失敗」とラベルを貼る基準を変えるということ。

これは週間に基づくものなので、難しいかもしれないけど、意識的に習慣を別な習慣で上書きすることは可能。

例えば、経験の結果が思い通りにならなくても、「その経験は未来においてきっと役に立つ」と考える。
そして、成功とは言えなくても、ネガティブのラベルではなく、ニュートラルなラベルを貼っておく。
後で役に立てる決意があるなら、むしろポジティブのラベルを貼っておけば、再利用可能な経験としておける。

そう、経験に対してどう考えるかは、未来における行動に対する決意で決めることができるということ。

ポジティブ思考って、そういうことです。

リスクマネジメントについて

リスクを常に回避していたら
リスクを排除した環境で育ったら
リスクをコントロールする必要はありません。

誰かしらリスクをコントロールしてくれる人が常にいればいいのでしょうけど、そういう訳にはいきません。

というか、何度も記事にしている通り、リスク無しには価値はありません。
とはいえ、なんでもかんでもリスクを真正面から受け止めていたら身がもたないでしょう。
なので、受け止め方や身の交わし方、引き際が大事なのです。

難しいのは、リスクの処し方を長い時間考えていたらチャンスは逃げてしまうということ。

そういった能力…というか、チャンスを得ることを考えると、嗅覚というか直感というか、まぁ勇気なんかも大事なのですが…

つまるところ経験の数ということになるでしょうか。

となると、経験のための時間が確保できれば数は増やせるので、やはり若いうちにどれだけ動いておけるかということになるでしょうね。

十代にとっての一年って、長く感じるでしょう?
だったら、それを使ってとにかく色々やっておくべきです。
それこそが神様にもらったチャンスなのかもしれませんから。

人生は一度きりのライブステージです。
そこにどれだけの価値があるかは、ずーっと後になって実感すると思います。