やらされマインドからの脱出

自分の学生時代を振り返っても
今の学生達を見ても

この
やらされるマインド
は、何とかならんものか
と思います。

学校では
決められたことを
やらされます。

それが全てではないかもしれませんが
ほとんどがそうででしょう。

それによって何が起きるか?

当然、やらされるばかりだと
うんざりします。
できればやりたくない
と思います。

そうじゃないですか?
私はそうでした。

なので
貴重なリソースを

愚痴や文句を言ったり
面倒を回避することに使うのです。

できればやりたくない
でも
やらないと卒業できない
とか
そんな不毛な悩みに
貴重なパッションを消費していくのです。

若いうちは
時間があって
気力もスキルも
大きく伸びる可能性を持っています。

なのに
やらされマインドで
できればやりたくない
と思いながら日々を過ごします。

そこまで消極的でネガティブじゃないにせよ
深層心理に刷り込まれていて

好きなことをやっているにもかかわらず
「できるだけ楽なやり方で…」
とか
最小限で最低限なやり方を
自動的に選択しようとしたりします。

すると
視野狭窄になって
最小限で
最低限で
目の前のことだけをやろうとします。

当然、結果も最小限で最低限になります。

アウトプットを軽視して
受け止める側に回ります。

本当は、凄い勢いで成長する可能性を持っているのに
自ら自動的にブレーキを掛けているのです。

当然
そうなっていることに気付いてさえいませんし
そういう状態を望んでもいません。

もちろん全員ではないですが
多くがそうなっているのではないでしょうか。

まあ、皆がそうなっているなら
それが普通なわけで
疑問に思ったりはしないのでしょうね。
だって、普通だもん。

もったいないですね。

で、ここまで書いておいて何ですが
別に悲観的になっているわけでもなかったりするのです。

どうやったらこれをひっくり返せるのかなー?
なんて、作戦を考えたり
チマチマ試したりしています。
なかなかうまくいきませんけどね。

でも、簡単なわけ無いのですよ。
長い長い年月を掛けて
この状況が作り上げられてきたのですから。

でも、だからこそ
価値があるし、面白いのです。

求められる人材像…はどうなる?

教育とは
「言われたことができるようになることである」
というのが現在に続く主流のスタイル。

確かに今までは良かったのですが
これからますます予測の付かない時代に突入するわけで…

となると
言われたことができる
ばかりでは
なかなかうまくいかなくなります。

仮に
カリスマ超人のボスがいたとして
その人がアイデアを出して
仕事を組み立てて

部下に、いちいち
「言って」「やらせる」
なんてことをしていたら
仕事のレベルは上がっていきません。

ボスは、あっという間に疲弊して
限界に達してしまいます。

そのやりかたでは
ボス個人の限界が組織の限界
になってしまいます。

受動的な下々の者が
工夫もせず
言われたことをやる
という状況では
そうならざるを得ない。

今の学校のやり方に順応した
「良い子」が
そのようになるのは
今までもあったことですが

これからはAIがボスを助けて
仕事を回すために活躍するようになるでしょう。

すると、下々の者の受動的なやり方にブーストが掛かって
ますます受動的なマインドを加速するかもしれません。

一応言っておきますが
受動的ってのは
基本的に消極的みたいなもの。
どう考えても積極的ではない。

組織があったら
そこには複数の脳ミソがあるわけで
いかにそれを主体的に発動するようにするか
というのが今後の課題になるでしょうね。

というか、すでになってるのか!?

いずれにせよ、そんな課題を
バリバリゴリゴリ解決できる人財が求められる
そういう世の中になっていく気がしています。

そういう人はいつの世も必要でしょうけど
昨今は少ないですからね。

見えないものの価値を取りに行けない理由

見えないものは信じない?

まあ、そういう考え方もあるでしょう。

でも、そこにこそ価値がある
と言う考え方もあります。

アイデアの源は
思いとか考え方
それらは目に見えません。

目に見えないので
見えないものは信じない人
は狙いにいきません。

点数とか資格とか
知識とかロジックとかは
定量化・定型化できるので
手っ取り早くそういったものを手に入れると
何となく安心できたりします。

でも、よーく考えてみると
我々の周囲に溢れている
物体やサービスのほとんどは
人が作ったもの。

それらはどうやって作られたか?

ずーっと源流を辿ると
人の「思い」が終着点になります。

そこから発する
想像力とか
行動力とか

そういったものは
思いの強さによって発動するのです。

もちろん
定量化・定型化できる諸々を
手に入れるか否かも同様です。

幸いなことに
思いの強さなんてものは
自分で好き勝手に設定して良いのです。
誰の許可も資格も要りません。

でも、そいつを解放するとどうなるか?

「普通」じゃなくなるのですよ。

すると
普通じゃないことによるメリットと同時に
何かしらのリスクが発生するのです。

そこで

前に進めるか
腰が引けてしまうか

どちらになるかは価値観の問題なのでしょうね。