やはり神様は必要

いきなり何だ?と思いましたか?

科学者でも、何かを突き詰めていくと
とても理屈では説明できない領域がある
というのは聞いたことがあるでしょう。

そういうのも大変興味深いのですが
今回はちょっぴり違います。

このブログでは
さんざんチャレンジは大事だよ
なんて言ってるわけなのですが

チャレンジすれば失敗もあるわけで
行き詰まっちゃったりもするでしょう。

時として
怒りや苦しみや悲しみに
囚われてしまうこともあるでしょう。
そんなときに助けてくれるのが神様です。

「神様助けてー!」
ではありません。
それは最後の手段です。

困難や苦しみを感じたとき
「これは神様に試されてるんだな」
「神様が自分を成長させるために
試練を与えてくれているのだ」
と思えば、かなり心が楽になって
脱出口が見えたりするし
「これを乗り越えれば成長できる」
と信じることもできるでしょう。

怒りや悲しみを感じたとき
ついついその矛先が
自分の外に向いてしまう
そんなことがあるかもしれません

そうなったら自分だけの問題ではなく
周囲も巻き込んで
負の感情のループが回り始めます。

その状態では
決して良いことは起きません。

この負の感情のループを
自分の手元で終わりにすることができたら

これを感謝とか
前向きな感情にに置き換えられたら
きっと良いこと起きますよ。

というわけです。

神様に頼ってばかりで
お願いばかりしていると
なかなかそうはいかないかもしれませんが。

なので私は
神社に行っても
神様にお願いはしないことにしています。

神様だって
お賽銭ポイポイ投げられて
お願いばかりされていたら
嫌になってしまうでしょうし(笑)

いつもお世話になっている御礼を言って
「がんばりますよ」って誓約してくるのです。

感性と価値観

ものを作るとき
知識とかスキルとかは
その出来映えに大きな影響をもたらすのは当然ですが
「感性」とか「センス」を忘れてはいけません。
これらはオマケではないのです。

そもそも「感性」とは何か?
ものごとを感じ取るセンシング能力ですね。

経験に基づく基準があって
それに対してセンシングしている対象の位置付けを評価する能力
というところまで含んでいる場合もあるでしょう。

そもそもセンシングするだけなら
経験に基づく基準は要らないのかもしれなくて
対象に興味を持てるか否かが大事なのだろうな。
とも思いました。

興味の無いものはセンシングの対象にならないし
評価もできないでしょうから
単にセンシングしているだけじゃ
それは感性とは呼べないでしょうね。

いわゆる「センス」は、ほぼ同じ意味ですが
「センス」は表現されるアウトプットの結果まで含むこともありますね。
なので、センスが良いとか悪いとかいう話になる。

さてさて
感性が評価する基準は
「価値観」ということになるでしょう。

これに基づいてセンシングの対象を
選別したり評価したりしているはず。
当然、興味のないことは対象にならない。

ものづくりに重要な感性を磨くには
当然ながら経験の数とか質が大事になってきます。
五感を使って実際に「やる」ということです。

これは感覚的なことだから
そもそも言葉や文字にして伝えるのは難しくて
定義すること自体が難しい。
もちろん授業では伝えられない
やらないと分からない世界。

もちろん若い方が感性は豊かで敏感なので
始めるのは早い方が良い。

年齢を重ねてから感性を磨くのは…
絶対に無理ではないだろうけど難しい。

特に手を使ってものを作っていくことは
癖が影響するだろうから。

癖は無意識に発動するフィルターだったりもするから
癖が付いてしまってからでは見えなくなるし、分からなくなる。

品質とか美しさは今の授業では学べません。
それを達成するため必要な考え方とか
努力のしかたも分からないでしょう。

下地が無いままで社会に出て
時を逸した後に学んでも限界があるだろうから
大学を出てからでは、色んな意味で無理があるでしょうね。
価値観が固まってしまってからでは遅いのです。

何とかしないとね。

何か変だが何とかしましょう

学校という組織における環境と
実社会という環境は
あまりに違いすぎます。

もちろん目的が違うのだから
環境が違うことは当然ではあるのだけど
それにしても、あまりに違いすぎる。

工科系の大学と
エンジニアリングをする会社組織を考えてみると
学校と会社という
目的が違う組織ではあるのだけど
向いている方向は一緒であるべきではないのかな?

やっていることや考えていることは
あまりに違いすぎて
とても同一線上にあって
繋がっていくようには思えない。

もちろんそこにある価値観から違っているから
やること考えることが違ってくるのだろうけど。

価値観が違いすぎていて
共有できるものがほとんど無い。

これで良いのだろうか?

…ダメなんだろうな。

学校では
言われたことをやるトレーニングをして
知識を重視して、人間性というか人間力は軽視して
現物から離れて紙の上、机の上の理論に終始する
そんな方向に突き進んでいるわけですが
これで実社会に出て何とかなるわけないでしょう。

でも、みんながそれを望んでいます。
親も先生も、恐らく政府も。
ひょっとしたら学生本人も。

「勉強できればいいんだ」
「それで大丈夫なんだ」
って信じている。

望んでいないのは
学生達を受け入れる企業だけかもしれません。

なんか変な構図になっていませんか?

でも夢工房はエンジニアリングにおける
恒久的な何かを模索しながら
本質にこだわって行きたいと思っています。

こんな状況も
見ようによっては大きなチャンスなわけで。

色々チャレンジする中から
「こうするといいんだよ」
というヒントが見出せる…といいな。