主体性に関する問題の構造

話は主体性に戻ります。
やはり核心はここでしょうから。

ニュージーランドで得た知見は、ここに向けて組み立てる必要があります。

さて、主体性が弱くなる構造(典型的プロセス)はどんなものなのでしょう?
それを明確にして、ひっくり返す必要があります。

何度か言っていますが、子どもは元々かなり主体的。
ですが、環境によって変わってしまう。

他からコントロールされることが日常になると
「何のために」とか、「どうすべきか」は、自分で考えるべきことではなくなる。
本当は、それこそが考えることの核心なのに。

自分の外、つまり他人の頭の中にある「正解を当てること」がいわゆる「学習」の中心。
それをやらせるのが「教育」。

正解が外れた場合の、失敗のペナルティがあれば
試すより安全な行動を取りたくなる。

つまり、失敗するリスクを取らず、チャレンジせず、言われたことをやる。
そして、心の片隅には、常に「できればやりたくない」がある。

これは主体性が無い状態になるのは当然ですね。
むしろ、主体性があると回らなくなる。

主体性を発揮する生き方をしたい人にはキツイ状態でしょう。
近年の不登校の増加には、こういったことも原因になっていると思います。

やるべきことを決められて、やらされる

できればやりたくない
or
最低限にしたい

それは当然。

夢工房は

やりたいことを、できるところまでやりたい

と思う学生のための環境です。
それを磨いていかねばなりません。