見えるようにしよう

「見える化」なんて言いますね。
普通の学生はあまり気にしないかな。

でも、ものづくりをやってる学生達は
結構こういうのを大事にしていると思います。

もちろん、夢工房の学生達にとっても大事なことです。

たぶん普通の学生では理解しにくいと思うのだけど
頭の中で考えていることって
凄く曖昧で
それを整理するとか
構築していくとか
思いのほか難しいのです。

それらを見るようにしてあげると
途端に明確になって
うまくいったりします。

こういうのを

「頭で考えたって紙に書いたって同じでしょ?」

なんて思いがちですが
さにあらず。

頭から出して紙に書き出す
ということは
記憶領域の拡張をしていることにくわえて
掴み所の無いイメージを
見える形まで具体化しているので
ハンドリングしやすくなるのです。

ボヤーッとした掴み所の無いイメージ
つまり見えないものなんて
とてもハンドリングできません。

ものをつくる
というのは
頭の中の掴み所の無いイメージを
最終的な物体にすることです。

イメージから物体へ
急激に移行することはできないので

徐々に具体化、具現化していく必要があります。
その最初のプロセスが
(というか、作る直前までのプロセス)
書く(描く)
ということです。

そうそう
「徐々に」
というのがポイントで

アイデアから突然物体を作れないように

アイデアから急に図面にする
というのも難しいことで
まずはアイデアのスケッチをするとか
曖昧さをある程度許す
中間のプロセスが大事だったりします。

というわけで
面倒でも書く
というのを習慣づけると良いと思います。

私が気をつけているのは
その書き方です。

文章ならば
箇条書きにしない

なぜかというと
箇条書き
という形にした途端に
書いたものの順番とか関係が固定化されて
自由度が無くなってしまうからです。

なので、ブロック状に空間にバラバラと配置したりして
書いた後に関係を変えられるような書き方をします。

ポストイットにネタを書いてブレインストーミングする
なんてのはそういうことですね。

あと、技術関係ならイラストを多用するでしょう。

その際は
大きく描くこと。

小さく描くと分かりにくいだけでなく
発展が制限されますから。

色々付け加えたり
注釈を付けたり
そういう発展性が大事です。

アイデアが浮かんだ状態とか
タスクが発生した状態とか
最初は見えない状態のものを
何とかするのは難しいけど

見えるようにしちゃえば何とかなるかもよ
というお話しでした。

自分が定まると見えるもの

学生は迷います。

経験が不十分だから当然ですね。

迷って悩んで考えて
やってみて失敗して
諦めずに踏ん張って
そんな経験をしていけば良いと思います。

そんなのがしばらく続きます。

でも、それこそが成長してるってことです。

前職で先輩が冗談っぽく良く言っていたことがあります。

「人生40年だ!」

だからそれまでは必死にやるんだ!
ってことなんですけどね。

今にしてみると
まさにその通りだなぁ
と思います。

「四十にして迷わず」

と言います。
確かに、その辺になると迷いが無くなります。

ということは
その後の人生は
そこまでの40年で決まっている
ということでもあるのではないかな。

ゆらゆら揺れて迷う人生の収束点が40歳

そこまではうまく方向が定まらないかもしれません。

でもあえて

「自分はこうする」

と決めてみましょう。

すると、あら不思議

周囲の色々なものと
自分の現状や価値観のギャップが固定化されて
今の自分が何者なのか
どうしたら良いかが見えてきます。

そりゃそうなのです。

基準点がゆらゆら動いていたら
対象との関係は常に変わるので
どうしたらいいかなんて決まりませんもの。

まずは暫定でもいいから
どうするか決めましょう。

そうすると
対象との関係が明確になるので
具体的に必要なことが見えてきます。

で、手っ取り早くやってみて
ダメなら調整を加えたり変えたりすれば良いのです。

ここでは、あまり考えすぎずに
早く動くことが大事です。

考えすぎると
やる時間
モディファイする時間
が無くなりますから。
これ、何度も記事にしていますが。

何かを決めるって勇気が要りますが
だからこそ手に入るものはあるわけで

決めた後に変えたっていいわけです。

イケる!
と思ったら
ハードにプッシュして継続すればいい。
そんな瞬発力も大事です。

人生色々で
考え方もやり方も人それぞれなのでしょうけど
一定の真理というのはあるようで

「人生40年!」
と言った先輩も

「四十にして迷わず」
と言った先人も

それを聞いて
「その通りだなぁ」
と思った私もいるということは
あながち間違ってはいないはずです。

これを真に受けてやってみて
うまくいかなくても責任は取れませんが
恐らく損はしませんよ。

大学生の皆さんは
人生40年!
の半分くらいは終わっちゃってます。

けど、まだ半分残ってます。

さぁ、どうする?

続けること

あなたは、ずーっと続けている何かはありますか?

私はバイクです。
その話をしましょう。
前もしたかもしれませんが
ちょっと違う話です。

16歳の誕生日に免許を取ってから
かれこれ40年
ずっと乗り続けてきました。

初めてバイクに乗ったときの楽しさといったら

楽しすぎて笑いが止まらなかったですね。

こんな面白い乗り物があるのか!
って感じです。

それ以来、レースしたりツーリングしたり
時として、ただの「足」だったり。

「趣味は?」
と聞かれれば
「バイク」
と答えるでしょうけど

正直なところ
あまり趣味として乗ってる気はしないのです。
気軽なホビーという意味ですけど。

でも、そんなに精神的に重いものではなくて
乗り続けるロンチックな理由があるわけでもありません。
何にせよ、今のところはやめる理由は無いです。

ずっと乗ってきて
ずっと同じ感情か
というと
決してそんなことはありません。

最初は単に面白い
から始まって

そのうち、自分の自由な空間を所有する感覚
自由に移動できる開放感
そんなのを味わって

その後はレースです。

レースは何だったのだろう?
デキの悪い自分の存在証明?
単に面白かったってのはあったかな。
スポーツですしね。

でも、レースは深い世界です。
技術や体力、センスだけではどうにもならない。

まあレースに限らず
何でもそんなものなんでしょうけど。

その後はツーリングにボチボチ行くようになって

最近ではすっかりレースはやっていません。
完全にやめたつもりは無いけど。

今は1日で1500km走るとか
変なチャレンジのための道具になってますけど
まだまだこれで終わるような気はしない。

それはそうと
なぜバイクに乗り続けてきたのか
理由の一つは
危険だから
でしょうね。

タイヤが2コしかないのだから
基本的に不安定で
身を守るものがないのだから危険です。

それが自由な感覚とのトレードオフでもあるのでしょうけど。

私は
危険な乗り物をちゃんと乗れば
むしろ安全なのだ
という一見無茶な持論を持っています。

危険な乗り物で
危険を回避するための努力をし続けて
自分のコントロール下に置けていれば
安全なクルマで
危険に対して無頓着で乗っているよりも安全だろう
という考えです。

そんなの屁理屈だ
というのは百も承知なのですけどね。

レースだって一緒なのです。

誰もクラッシュしたくてレースなんてしません。
転倒したら一等賞は取れませんから。

なので、自分のパフォーマンスを向上させつつ
ちゃんとコントロール下に置く
という成長をし続けないと
街乗りだってレースだって危険なのです。

そういう努力が必要で
うまくいったら気持ちいい
そういう満足感が欲しいのだろうな
なんて思ってます。

もちろん
景色を見たり
美味しいものを食べたり
大好きな船に乗ったり
単に遠いところに行けたという満足感があったり
そんなのもありますね。

でも、どれか単品では物足りない。
それらは、バイクというベースに乗って
はじめて楽しめる
といった感じなのかな。
そんな気がしてます。

色々考えたり
理屈を並べたりしましたが

結局のところ
良く分からないのですよ。

好きなことに理由が要るのか?

私は無くていいと思います。
理由が無ければ崩しようがないから。