向き不向きを決めるのは自分だ…と思う

正直なところ
向き不向きはあると思います。

では、どうしてこんなタイトルで記事を書いているかというと
理由は色々あります。

例えば、夢工房で活動していると
企画したり、設計したり、作ったり、乗ったり
スポンサーとの交渉とかプレゼンテーションとか
それはもう多種多様な仕事があるわけです。

大きな枠で見ると
レーシングカーの開発とか、惑星探査機の開発とか
そういうものなのですが
中身は上記のように色々で
なにも特定の仕事をやってみて
「向いてない」
なんて全ての可能性を判断する必要は無くて
大抵何かしらうまくいくようなこともあったりするわけです。

あと、これはもう色んな人が言っていることですが
うまくいかないのは途中で諦めるから
うまくいくのは諦めないから

そういうのもあります。

だいたい、生まれた時から何かに向いてる
なんてのは、そうそう無いわけで
うまく言ってる人を、よーく見ると
大抵は結構努力してるものなのですよね。

それを見えないところでやっていたり
苦にならない努力だったりするもんだから
傍から見ると、あまり頑張ってないように
見えたりするのではないでしょうか。

あと、そういう人って
常にそのことを考えてるんですよ。
頭の中で常にシミュレーションしてたりする。

なので、実際の行動は
すでにプランニングした結果を試しているに過ぎなかったりして
行動すべきその時になって、はじめて考えて動く人に比べたら
結果が大幅に違うのは当たり前なんですよ。

逆に、せっかく自分が好きなもの、好きなことに
関わるチャンスを掴んでいるにもかかわらず
常にそのことを考えないのは理解できません。

どうもそういうのは
好きなことをやっているにもかかわらず
「やらされる」やり方をしちゃっていると思うのです。
好きなことも、好きじゃないことも
同じようなアプローチしちゃってる。
違うかな?

こういうケースもあります。

うまくいかないのに
やり方、考え方を変えない。

そりゃ
「向いてない」
という結論にたどり着いても仕方ない。

まぁでも、結局のところ
コンペティションをやっているわけだから
「どうしても勝ちたいのだ!」
と本気で思って

うまくいかなければ
「何でだ!?何でだ!!」
と、試行錯誤していれば
いずれは壁を破ることになるとは思うのですけどね。
要は本気度の問題かと。

ほら、諸々考えてみると結局は
向き不向きなんて自分次第じゃないか
と思いませんか?

夢工房の1年生達
今は実に楽しそうに頑張ってますが
いずれ壁にぶつかります。必ず。

その時どうなるか、どうするか
実に楽しみです。

「思い」が大事

「何のために」という「思い」
これはとても重要だと思うのです。

人は理屈では動きません。
根底には「得たい感情」があって
そのために動くのだと言います。

学生がヘマをやらかした時
前に記事にした通り
夢工房ではこうします。

「なんでそうしたの?」
「じゃ、それはなんで?」
と、「なんで?」を繰り返していきます。

すると、コアの部分には
凄くシンプルな理由が出現します。
それを解決すれば
それによる結果は変化するはず。

その「なんで?」の過程にある理由から
コアに出現する理由に向かうに従って
感情にまつわることが占める割合が大きくなったりします。

この「感情」とか「思い」は
何に基づいているかというと
「価値観」ですよね。

価値観が判断の基準になって
快・不快を決めたりしているというのは
誰しも知るところです。

なので
価値観の上書きができると
今まで苦手だったことが苦ではなくなったり
嫌いだったものが好きになったり
そんなことが起きます。

学校の歴史の授業で年号と出来事を暗記したりするけど
それは全く面白くなかったりします。
特に私のように脳ミソのメモリ容量が少ない人間には。

大事なのは「何のためにそれをやったのか?」
ということであって
そこからは、とても大事なことを知ることができます。
そういう大事な部分を教えれば
ちょっとは歴史の授業だって面白くなるでしょうに。

とはいえ、出来事を字面で見ただけでは
思いは伝わらなかったりもしますので
そのための周辺情報を理解するためには
時間や労力が必要。

でも、そういうのを惜しんじゃいけないのでしょうね。
うーん、難しいところです。

あとは
社会のルールだって何かのためにあるのだけど
その思いが伝わらなければ
単にルールを守るだの守らないだのという判断になってしまって
守ったの破ったのと
善悪二元論みたいになるわけで
ルールは守っているのだけど
結局何のためにやってるのか
それが良いのか悪いのかも良く分からないまま
何も変えられないとか
そんなことにもなるのでしょうか。

コンペティションをやっている者にとって
ルールの本意を理解するというのは
実はとても重要なところなのです。

レースなんかの場合は
もちろんゲーム的な要素はあるのですが
安全のため、命を守るためのルールもあるわけで
そこを尊重して、意図(主催者の「思い」)を理解して
マシンの性能のためのアイデアと
バランスを取ったりする必要があるからです。

キツさの正体 の一つ

修行はキツイものです。

ですが、それには目的があって
だからこそその世界に入るわけだし
だからこそ実行するわけですね。

もちろん、自らその世界に入る
というところがポイントだったりしますが。

修行とはいかないまでも
若いうちは勉強
社会に出れば仕事と
何かしらキツいことはあって
キツイからやらない方が良いかというと
決してそんなことはない
そんなことは皆分かっている。

キツさの正体は
今の自分にはできなくて
それを何とかしなければならない
という立ち位置にいるから。

そのギャップを乗り越えれば
その分成長した
ということになるけど
今の自分のままではできないので
そのために
「それができる自分」
に変わらなければならない。

その変化に対する抵抗感こそ
キツさの正体です。
人は変化を嫌うものだから。

行く先に困難が見えた時にどうするか?

新たなキツさに出会うのは
自分が相応のステージに向かうかどうかの分かれ道

「苦労しないように」とか
「失敗しないように」
がゴールにセットされていたら
つまりそれらを避けることが目的なら
それらに対してネガティブな価値観を持つのは当然で
無意識のうちに困難を避けるだろうし
困難を乗り越えるために力を発揮できないでしょう。

困難を乗り越えた先に得るものがゴールにセットされていて
それができる自分への変化を望むのであれば
少なからず困難に対しては
ポジティブな価値観を持てるはず。

好きなことならギャップを乗り越える動機があるわけで
困難を乗り越える自分に変化したいという欲求のために
困難に対するキツさは軽減されるどころか
むしろそれをステータスと捉えることさえできる。

「嫌なこと」をやっていても
それを「好きなこと」に変えていって
ギャップを乗り越える人もいるわけで
考え方とかアプローチは人それぞれなわけだけど

キツイ思い、辛い思いの先には
そういう思いを乗り越えた人にしか
分からないことが待っていて
相応のご褒美があるのは当然のこと。

それが信じられれば頑張れるだろうけど
そういうのって、何ら保証はないし
科学的ですらない。

さらに、そのご褒美がすぐに見えるか?というと
そんなことは無かったりして
そこがまた難しくも面白いところでもあるわけですが。

自分自身、そういうのがうまくできているのか
というと
もちろんそんなことはなくて
まだまだ修行中なわけですが
色々やってみたり周囲を眺めてみれば
大方のロジックは見えてくるわけですよ。
「まぁ、このスジでやってれば間違いないだろうな」
と。

なぜ今回こんなネタにしたかというと
学生を見ていると思うのです。

「苦労しないように」
「失敗しないように」
って育ってきたんだろうなぁ
それじゃ夢は叶わないどころか
夢を持てないだろうなぁ
可能性を持ってるのにもったいないなぁ
って。

まぁこれは
最近に限ったことではないのでしょうけどね。

こういうの、授業じゃ伝えられないので
やっぱり夢工房の連中に伝えることになります。
彼らの燃料とするために。