「やる」から学ぶ

やったことから分かること
それは、やったヤツにしか分からない。
やってみて分かったことを使って、また「やる」。
そしてまた、もう一歩先の「やったヤツにしか分からないこと」を知る。

書籍を始めとした既存の知識から、自分がやっていないことを知ることもできる。
でも実は、そこには限界がある。
文字に起こせない情報があるから。
いわゆる経験知、実践知などと呼ばれるものがそう。

経験があれば、知識を知ったときでも得られるものが違ってくる。
今までやった経験をベースに想像ができるから。
経験が不十分だと想像ができない。
想像ができなければ、創造はできない。

つまり実践の経験が限界を決めるということ。

早くやるヤツ、すぐやるヤツには叶わないというのは、そういうこと。

学びの形の話

「知る」と「やる」、それぞれ重要ですが、それらの間隔も重要です。
そもそも知識は実践するために必要なもの。
知識のために実践があるわけではない。

税金のために使い道を考えるのではなく
やるべきことがあるから税金が必要なのだ
おっと、これは脱線…
のようだけど、この主従が逆転している状態が今の日本ではないかな?
政治だって教育だって、同じような価値観を持っている人が仕切っているのだから、同じようになっても不思議ではない。

いつ、何に使うか、何の役に立つかを分からないまま知る・覚える
これはけっこう難しい。
必要性を実感できない状態では、そもそも動機が不十分となりやすいから。
知識の意味とか価値が分からずに覚えておくって、特殊技能ではないかとすら思う。

やった結果、分かることがある。
これも「知る」だけど、その結果を即座に「やる」にフィードバックして磨きを掛ける。
そこに面白さがある。
知ることの意味とか価値が見えるのだから、面白くて当然。
そして、実践したことは、頭だけではなく体も覚えるので、そう簡単には忘れない。

知ったらすぐやってみる
やったらすぐ分かる
それらを即座に連結して、ループを回していく学びが、もっとあってしかるべきだと思う。

そう、「知る」と「やる」の時間的な関係って凄く重要だと思うのです。
何年も掛けて「知る」に注力して、何年も経った後にそれを使うとか、無茶言うなよって感じではないでしょうか。

「教育の質」は常に問題とされるけど、知識に偏重していて、実践と分離されていたら、質もヘッタクレも無くて、社会に出たら
「で、おめぇ、何ができるんだよ?」
って話になりますわな。
いやぁ、実にもったいない。

日本はどうなる?

高市さんが自民同総裁になって、我が国の新総理になりそうですね。
そんな現状を見ながら思うのは…

いかに今までビジョンが無かったか
「何のため?」が無かったか
ということです。

高市さんは「こういう国にしたい」って言ってますものね。
相対的に、いかに今まで、政治家が大事なことをはぐらかしてきたかというのを感じました。

既得権益を謳歌したい人には厳しい時代になると思いますが、大きな転換点がいよいよやってきた感があります。
私みたいな政治オンチですら、直感的に空気感が変わったのを感じるのですから。

そもそも、一国のリーダーがビジョンを示さないってのはおかしいことです。

ただ、ビジョンを明確化すると反対勢力も活発化するわけで、そのへんをうまく切り盛りするリスクを取らねばなりません。

で、今回言いたかったのは政治そのものの話では無く、やはり国民も国のトップの影響を受けないわけが無いということなのです。
会社だってトップが変われば変わります。

政治家が、国民のためにリスクを取って変えていくということが明らかになれば、国民も変わります。

リスクを取らずに既得権益を守るようなトップであれば、国民は
楽して儲かるようなことばかり考えるでしょうし
自分が儲かれば良いという意識も持つでしょう。
利己的になり、道徳心が低下して、結果として組織(国家)は弱体化します。

新たな政権で、今後が良くなる保証なんてありません。
どうなるかは分かりませんが、少なくとも今までのような、明確なビジョンも無く、道徳心も低下して、迷走するような状態からは脱することができるのではないかと思っています。

仮に成果が出なかったにせよ、そこから学べることはあるはずで、先の見えない停滞した状態よりはマシです。

変化に伴い、皆が考えて、リスクを取って、チャレンジしていく。
そんな世の中になることを願っています。