だったらこういう話からしましょうか。
苦労は買ってでもしろ
そんなこと聞いたことがあるでしょう。
このことわざ、実にもっともなのです。
しかし、「苦労」が全面に押し出されてしまって、それによって得られるメリットは分からない。
まぁ、ことわざってそういうものだし、和歌や俳句でも分かるように、日本語は本当に意味するところや大事なところはあえて表に出さないことで、それによって醸し出される真意とか美しさとかがある…
って、そういう話ではなくて。
これ、単に「原因」と「結果」を考えても当然ですよね、という話なのですよ。
苦労という原因には、色々と含まれているのでしょうけど、それによって得られることもあるのです。
当然ながらそれは、苦労しないと分からないことです。
ただ、ここで効いてくるのが価値観。
苦労という事象に対して、ニュートラルな受け止め方をするなら、色んな解釈ができるのです。
苦労したけど
失敗したけど
「これによって、きっと良いことがある」
というポジティブな判断ができたら、きっとその判断相応の結果が得られます。
というか、その判断によって、原因となった経験を再利用できると言ったら良いのかな。
しかし、ネガティブな解釈をするなら、原因となった経験を再利用することはできません。
もう見たくも考えたくもないでしょう。
見えもせず、考えることもできなければ、利用不可能です。
さて
「苦労せずに生きたい」
という気持ちは分からなくはないのですが、若い頃からそんなに労力を払うリスクにフォーカスしてたらどうなるのでしょう?
そうなると、嫌なはずのリスクにばかり目を向けることになります。
リスクを回避することのプライオリティが高ければ当然のことです。
リスクにフォーカスした人は、その処理が自分の内的な部分で済んでいると思っているかもしれませんが、実は外にも漏れています。
声や態度、雰囲気などなど。
するとチャンスはやってこなくなります。
だって、チャンスの多くは他人が放ってくれるものですから。
リスクにばかり着目する人にチャンスを投げても、面白くハンドリングしてるとは思えないでしょう。
せっかくチャンスを投げても、迷ったり難癖つけられたらガッカリです。
だからチャンスが来なくなる。
そして、チャンスの中にも多かれ少なかれリスクは含まれています。
労せずして形になるチャンスは無い。
それに、人生ギブ・アンド・テイクでトレードオフなのですけどね。
さて、ちょっと発散気味な展開でしたが、まぁそういうことなのですよ。
早い話、前向きで明るいバカ(良い意味でバカになれるということ)がチャンスを得るのは当然なのです。