理論が先か実践が先か

学校では理論をまず学ぶけど、これで本当に良いんか?と思うことがあります。

勘違いしないでくださいね。
理論は重要です。
でも、理論から入って、理論のみで終わるようなやり方に疑問を感じるということです。

今日はたまたま製図の授業をやったので、図面の話しでいきましょうか。

そもそも昔は図面なんて必要なかったんです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの頃なんて、図面じゃなくて「絵」ですから。

要は、考えた人が、欲しい物を、一個だけ作るのであれば、基本的に図面は要らんということです。

そもそも、なんで図面が必要かというと
まず一つは、設計者と製作者という分業にすると、意思伝達のために必要
あとは複数個を生産するときに、もしくは時間が経った後に生産するときに、寸法とか品質をそろえたり、再現したりするために必要

他にもあるのでしょうけど、代表的なのはざっとこんなもんでしょう。

でね、そういったことを体験していない者に
「物をつくるのには図面が必要だから、知識やスキルとしての作図ができるようになるのだ!」
と言ったとことで、なぜ、何のために、どの程度、何ができると、どういうことが起きるかは良く分からんのですよね。腹落ちしない。
つまり、学びの動機が不十分ということです。
もちろん、作図自体が好きで喜びを感じられるケースもありますが、これは例外でしょう。

なので、自分が欲しい物を考えて、そのために必要だと思う図面を描いて、自分で作ってみると良いんですよ。

そうしたら、なぜ図面が必要かなんてのはもちろん、寸法の振り方とか、精度の要否とか、重要なことは、ぜーんぶ体験として身に付いちゃうでしょうね。

物は正直なので、それを考えた者、作った者の、その時の状態を、そっくり現します。
その人間以上の物ができるということはない。
なので、物を良くしたいと思ったら、自身を磨くしかない。
良い物をつくりたいと思ったら、学ぶしかないわけです。

おお!技術は人なり!

そもそも、良い物をつくりたいと思う動機が必要なのですがね。
動機付けこそが難しいところで、最も重要なのかもしれません。

てなわけで、レーシングカーとか惑星探査機、ロボット、鳥人間なんかはテーマとしては最適なんでしょうね。
エコランカーなんて、最近じゃ中学生もやってますもんね。

やっぱり、根源をたどっていくと、大事なのは「思い」とか「夢」ってことになるのでしょうね。
その実現のために理論や実践が必要なんですよ。

学校のやり方 夢工房のやりかた

学校教育で難しいとことは色々ありますが
全員が同じようにはならないってことも一つかな。
相手が人間なわけだから当たり前ですけどね。

もっとも、皆が同じになっちゃったら面白くも何とも無いんだけど、管理って見方をするなら、それが楽なんでしょうね。
仕事が楽なら良いのかというと、決して良くないし、誰も得しないと思いますが。

学校に限らず、組織において全員が同じようなモチベーションや、同じような能力を持つことはありえないですよね。
でも、学校で教育をする上では、「全員が同じように」という前提があるように感じます。
明確にそうしろと言われている訳じゃありませんが、大抵は暗黙のうちにそういう方向になっているケースがほとんどではないでしょうか。
ぶっちゃけ全員から同じ学費もらっていますからねっていうのもあるのかもしれませんが、学校の方針がとか、文科省がなんたらとか、そんなのを抜きにしても、自然とそうすべきだという方向になる気がします。同調圧力ってヤツかな。

で、同じような教育効果を与えるなら
飛び抜けたことはやらせないで、底上げを図った方が均質に近い状態になるでしょう。
恐らくこれは意識はしていないけど、結果としてそうなっているんだと思います。

だってめんどくさいもん。

上に上に行きたいヤツは、勝手に色々やりたがります。
ところが、それが先生の専門領域外のことだったりするし
もちろん本人は経験が無いもんだから失敗も多い。
で、先生はそこで「教えなきゃ」って思ってしまう。
でも、ヤツらがやりたがるのは、自分の専門のことばかりじゃなかったりするから困っちゃう。

本当は、学生が自分の専門領域外のことをやろうとしたら、それは喜ぶべきことです。
そんな時は専門の人を紹介したり、調べ方を教える程度で良いんだと思うんだけど
先生は真面目な人が多いので、そういうのは無責任なやり方と感じてしまうのか
あまりやりたがらない人が多いようにも見えます。
もちろん人にもよるだろうけど。

やる気に満ち溢れた暴走野郎のハンドリングは面倒なのかな?
面白いと思うんだけど。

会社で仕事してる時って、専門領域外の問題があったら
頑張って自分で調べてやってみるか
「そんなの専門の人に聞けばいいじゃん!」
とかで一発解決です。
学校でもそれで良いんだと思います。

暴走野郎の頭を押さえつけ続けると、つまんないヤツになっちゃうもんね。

本当は「教える」んじゃなくて、逆に「どうしたらいいと思う?」って聞いて、まかせて、やらせてみて、結果を評価してフィードバックするのが一番良い学びになると思うんですけどね。

私は、いまだに会社で仕事してたやり方が抜けないので、万事そんな調子ですが。
今のところこれで良いと思っているので、このままいっちゃいますよ。

でも、細部のモディファイは日々やってます。

考えるのは良いけど悩んじゃダメよ

このブログは、開発者を志す若者の面倒を見ている元開発者の教員が書いているので、方向性に偏りがありますが、人は色々いていいのです。

開発するならもちろんクリエイティブな人は必要です。
でも、その人が全てをできないとダメかというと、そんなことはありません。

言われたことをきっちりできる者

繰り返しや継続に強い者

記憶とか思考とか、知識・知能に優れた者

特定の技能に強い者

人と人を繋ぐのが得意な者

いるだけで環境が良くなる者

たまに何でもできるマルチプレイヤーのスーパーマンも現れますが、そういう人はそんなに多いわけではないし、仕事の規模によりますが、一人で全てはできません。

一つのことに特化して、とにかくそれを延ばすのもアリですが、中途半端に色々できるという部分をトコトン伸ばすと武器になったりもします。

こんなふうに色んな人がいるのですが、彼らをそこそこのレベルに押さえ込んで、均質化するのは非常にもったいないし、面白くない!
でも、学校ではよくあることかも。

あと、ある特定の個人にとって重要なこと、正しいことを、他に対してもそのまま適用しようとすることもあるかな。
これ、我々教員はよくやってしまいがちです。
気をつけねば。
ただし、時として多くに適用した方が良いこともあったりするので、判断が難しいところ。

人は成長するにしたがって、キャラクターが立ってきたりしますが、学生のうちは、持っている強み自体をつくっている過程なので、最初から適性とか見えないんですよね。

やはり本人が何かに執着して、一所懸命やって、その中から見出すのが一番ですね。

とは言うものの、本人は悩みます。
「これ、自分に合っているのだろうか?」
ヘタすりゃ、やる前から悩みます。

本当は悩む必要なんて無いんです。
やらないと分からないんだし、やりきれば大抵のことは武器に変わりますから。

そもそも何をしたら良いかを悩むこともありますよね。
これも悩む必要はありません。
大抵の場合は悩む前に、すでに答えは自分の中にあるものです。
ここに他人の価値観や変な打算を入れちゃうと後悔に繋がることが多いですね。

まぁ、こんなのは自分で経験すれば良いことなんですが、大学など、時間が限られた環境では結構重要なことなので念のため。

悩んでる暇があったらやった方が良いってことですよ。大抵のことは。