ベストを尽くすということ

今できることをやりましょう
でも良いのだけど

高いゴールを設定して
その達成のために
できる限りやりましょうよ
ということです。

できるかどうかは
やってみないと分からないし

むしろ

できるかどうかは自分で決めるのだ
と思いたい。

なので、夢工房では
理想をぶち上げて
そこを目指すのです。

すると何が起きるか?

失敗するし
壁にぶつかる

でも、諦めたくない
ということになれば

立ち上がる
壁を乗り越える

ということになります。
そんなことを続けるのは
なかなかタフです。

でも
立ち上がれば
壁を乗り越えれば
そこには
何か良いものが待っています。
当然です。

けど、そういった経験が無ければ
それを信じるのは難しいでしょうね。

失敗はダメなことで
壁は辛く、嫌なものだ
と思いがちでしょうから。

なので、やはり
好きなことをやる中での
失敗とか壁が必要なのです。

いわゆるサクセスストーリーを見てみましょう。
失敗や壁が存在しないサクセスストーリーなんて面白いですか?

え?
それでも自分は障害無しでサクセスしたいって?

ほう。
それはかなり難易度の高いことを望んでますね。
頑張ってみて下さい。

やってみなけりゃ分からない…のだが

そりゃそうです。

でも、多くの学生達は悩みます。

「分からないからできない」
と。

今回は、これに関するお話しです。

夢工房の学生達は
毎年クルマを作ります。

燃費を競うとか
速さを競うとか
まぁ、色々ですが。

で、色々考えて決めなきゃいけないのですが
その時に

「今の自分が知っていることや
できること(手段・方法)はこうだから
それでいく」

とすることがあります。

特に理系の、技術系の学生は良くやります。
だって、技術(=手段)好きですから当然です。

これ、一見良さそうだけど
ダメです。

なぜでしょう?

彼らが作るのはコンペティションのためのクルマです。
目的とか目標があります。
つまりプロジェクトのゴールですが。

「今の自分が知っていること(手段・方法)はこうだから
それでいく」

とやると
ゴール到達のための手段を先に決定する
ということになります。

「え?何がダメなの?」
と思うでしょう。

手段を固定してしまうと
それによって得られる結果も固定されます。

その手段が、ゴールに向いていれば良いのですが
大抵はそうではありません。

今現在の自分が知っていることや
できることをやっただけですから。

そのやり方を超ハードにプッシュししても
ゴールには到達できないでしょうし

そのやり方で
数百回繰り返しても
結果はあまり変わりません。

だって、今現在できることを何回繰り返したって
「できること」は大して変わりませんから。

まぁ、そういうのも
やってみれば分かるので
それでもまた勉強ではあると思いますが
時間がもったいないですね。

というか、そんなことしていたら
思考停止するか
心が折れるでしょう。

ビギナーは、とかく経験することが大事なわけですが
その時に大事なのは

今できることをやる
ではなく

ゴール達成のためにチャレンジすることです。

上位概念のゴールを決めて
そのためのコンセプトを決めて
そのための戦略を決めて
用いる手段を決めて…

これらは全て仮定であって
正解ではありません。

だって、まだやっていないのですから。

ともかく
ここまでのワンセットを決めたら
最下層の「手段」をやってみる。

ここで
「やってみなけりゃ分からない」
の発動です。

もちろん、やってみても
望み通りの結果は得られない可能性があるけど
分かることはある。

それによって、必要とあらば
手段を変更したり
上位の方の概念を修正したりする。

その辺のグルグルに手間と時間がかかるので
ビッグなゴールに到達したければ
早く動く必要がある
ってことです。

おっと
その際はアウトプットも忘れないように。

あれは良かったのだろうか? 環境の話

自分が学生の頃
学校ではどうだったんだっけなぁ?
なんてふと思ったのです。

色々あったけど、一言で言うなら
ジャングルで冒険しているみたいな感じだった

どういうことかというと

日々、何があるか分からない

色々やらかす子供だったので
先生に良く怒られてたかな
ってのはあるのですが

友人関係では
やはり強者、弱者がいるわけで
やったり、やられたり

今日はやってやったが
明日はやられるかもしれない

今考えると、しょうもない子供時代だったと思います。

先生からも殴られましたね。
それが普通だった。

そんな環境がどうだったか?
あれは果たして
良かったのか?
悪かったのか?

そんなの分かりません。
何と比べて
ってのもあるでしょうし。

家庭がしょうもなかったから
相対的に学校の印象は良かったのかなぁ
いや、良かったわけではないなぁ

ただ、そんなに不幸な感覚は持っていませんでしたね。
学校では。

結構、好き勝手やってた
というか
好き勝手やってた
と言うべきかな。

やりきった感は無かったけど
そこそこ満足いってたのかもしれない。

いや、どうだろう?
満足はしていなかったかな。

でも、しょうもないことに対しても
面白いことに対しても
そこそこ工夫はしていた…つもり
だったと思う。

今回言いたかったのは…

我々教員は
良かれと思って学生達に教えたり環境を整えたり
しているつもりだけど

それは果たして
彼らにとって良いことなのだろうか?

ということです。

いわゆる恵まれた教育環境で学ぶと
本当に将来は良い事になるのか?

それは大変疑問です。

望む知識・情報が容易に手に入る
余計な問題は起きない
障害に対しては即座に問題解決の手が差し伸べられる
設備は万全に整っている
などなど

可能な限り困難を排除する

そういうのって、一見理想的ですよね。

でも、それによって
彼らは何を得られのだろう。
色んな意味でね。

IT技術やら何やらが発展したお陰だったり
倫理観がどうたらこうたらで
今のようなレベルで困難が排除されたことは
恐らく今まで無かったはずで

そんな環境で人がどのように成長していくのか
なんてのは、誰も経験が無いわけです。

困難の中からしか得られないものはあるわけで
困難が無いから得られないものもあるわけで

環境を作る
と一口に言っても
こりゃ難しいよなぁ
と思ったのでした。