できない理由は、できる理由に変換できる

夢を持ったり、未来に対して希望を持つのは良いことだし、とても大事なこと。

もちろん、自分がそれを「やる」のであれば。

「できると思っているけど、やらない」
なんてことがあったり
「やりたいことをやらない」
なんてこともあったりします。
言ってる自分も耳が痛いですが。

それらは「できない」と言います。

「あとでやる」は、「やらない」と同じです。
「あとでやる」と思ったことは、大抵はやらないし、時間が経ってからやっても価値は半減しています。
それに、そう思った「今」は「やらない」ことを決断しているのだから。

こんなこともあります。
「あとで」「やる」は
自分は、やらなければならないと思っているけど、やらない状態だったりもします。
つまり、やらなければと思っている自分自身に対して裏切っている状態です。
これ、想像以上に自分に対するダメージがあります。
痛みは感じなくて、むしろ気持ちよかったりします。やらないので、肉体的には楽なのです。
でも繰り返すと、やりたいことがどんどんできなくなっていって、やりたいことをやらないのが普通の状態になります。

「やらない」は「できない」と同じ。
やらないことができるはずはないから。

大事なことは…多くの場合、これらの「できない」のほとんどは自分で決めた結果だということです。
習慣化されていて意識されていないと思いますが。

それでもいいや
というなら、特に言うことはないのですが
そんなのイヤだ
というなら変えてみましょう。
方法はあります。

小さなことでも良いので、自分がやるべきだと思ったことをすぐやる
そんなトレーニングをしましょう。

これが「できる」に繋がっていきます。
小さなことで良いのです。

多くの場合、小さなことをバカにしてやらないのです。
でも、小さいことと大きなことの境目はどこにあるのでしょうか?
多分、無いです。

小さなことは、身の回りに沢山あるはずです。
なので、やろうと思ったら沢山試せます。
沢山やったら習慣になるので、小さなことでなくてもできるようになるでしょう。

いまくいくようにやりたいという気持ちは理解できるし、それが動機であるべきですが、そのためにはすぐにやることです。ダメでもいいから。

そう、ダメでもいいんですよ。最初は。
一番ダメなのはやらないことなのです。それが本当の失敗です。
ちょっとやってみてダメでも、諦めなければ何とかなるもんです。

それに、どんな結果が出ようと、最低でも「やろうと思って、やった」という経験が残ります。

「あとでやる」が習慣化してしまう理由は、やらされる経験が多くて、そもそもやりたくないとか、やらされるとやるの区別が付かなくなっているとか、そもそも自発的に行動した経験が少なすぎるとか、失敗が怖いとか、それはもう色々理由があるのかもしれませんが、そんなのはどうでも良いことです。

すぐやるようにして、継続する
これができるだけでも、そこそこの結果は出せますよ。
というか、それが成功の秘訣だと思っているのですが、どうでしょうか。

「偉そうなこと言って、お前成功してんのか?」
と言われると困っちゃいますが、経験上うまくいったことって、大抵はそんなアプローチでやってましたから、あながち外れてはいないと思います。
というか、そんなの常識といったレベルかもしれませんが。

こうすればうまくいく 10

先日、ある人と話をしていて

「売る気が無いときに、お客さんのところに行ったときに限って売れるんですよね」

という話を聞きました。
これまで色々と経験されている方で、かつて営業の仕事をされていたときの経験談でした。

「売る気が無い」って「やる気がない」じゃないですよ。

そういえば、私も似たような経験があったのを思い出しました。
30年以上前の話ですが、当時クルマのチューニングショップの店頭営業をやっていて、もの凄い売り上げがあった時ってそんな感じでした。

私の場合、お客さんとの対話を楽しんでいました。
その方、台湾から来た人だったのですが、現地でどんなことをやっているとかなんか、片言の英語で、とりとめのない話をしていた気がします。

最終的には、大量の部品を買ってくれて、持って帰れないので泊まっているホテルまで配達したら、別れ際に「お前には良くしてもらったから、これやる」って、ビンテージのジッポーライターもらって、「台湾に来たら遊びに来いよ」って言ってもらいました。

その後もヤバめのスジの人に気に入られて、「お前から車買うことに決めたから、なんか良いヤツ選んでくれ」なんてのもありました。ヤバそうだから売る気なかったんですけどね。

で、最近たまたま読んでいた本に、似たような話があったのです。
何とタイムリーなのでしょう。

その本には、他者に関心を持つことの重要性とか、自分だけに焦点を当てているとうまくいかない理由とかが書いてありました。

営業をしていて、(自分が)売りたい売りたいと思っている時って、当然ですが自分のことばっかり考えているわけで、そういうのってうまくいかないのです。

まぁ、そりゃそうだよねとも思います。
でも忘れがちなことです。

まぁつまり、利己的とか、自己顕示欲が強いとか、ナルシスティックなのはうまくいかないってことですね。
でももし、そういう状態でそこそこうまくいっているとしたら、そのリミッターを捨て去れば、凄いブーストが掛かるでしょう。

今回言いたかったのは、自分がフォーカスを当てる対象への矢印が、果たしてどこに向いているかってのが凄く重要だということです。
それが自分の内側なのか、それとも外側なのか。

そういうのって、相手は敏感に察知します。
実は自分だって分かっているはずで、感じ取っているはずです。
でも、自分が当事者になると忘れちゃったりするのですよね。

うん、自分で言っていて耳が痛いぞ。

こうすればうまくいく 9

もうほんとに、こればかり日々考えているというか、これが仕事なんですけどね。

で、何をやったら良いのかという題材は、関係する皆様のおかげで順調にネタ出しが進んでいます。
それはもう、その手のものが好きならたまらない内容だと思うのです。
詳細はまだ秘密ですけどね。
「マジで!?そんなの学生がやっちゃうの!?」
というような、誰もがビックリしちゃうような手駒を用意していますので、お楽しみに。

でも、ネタばかり揃えたところで
「やれ!」
ってなことになっちゃうと、実は本末転倒だと思っていて、取り組む学生自身が主体性を持ってのめり込まないと、こういうのは面白くならないし、続きません。

そう、続かないとダメなんです。
どうせレベルの低いゴールを設定したとことで、そんなもんはやり甲斐は無いのですよ。
なので、そこそこ手応えのあるテーマを設定する必要があるのですが、そういうのって、ちょっとやってみただけじゃうまく行かないわけで、工夫しながら継続して、高みに到達するような…言ってみればサクセスストーリーのようなものを自身で構築していくような感じになるのが理想です。

とまぁ、そんなことを考えていると、やはり学力が云々ってのも大事かもしれませんが、それ以前にパッションが無いと話にならんよなぁ、とか思うのです。

だって、パッションが無い者にデッカイチャンスを投げたところで何も起きないのですよ。
結局、うまく行くとか行かないとかなんて、心の問題なんですよね。

これから元気の良いチャレンジャーが入学してくれて、構想中のこの凄い手駒を受け取ってくれると良いなぁ、なんて思っています。
ハッタリでは無く、想像の範囲を超えてると思います。