FSAEオーストラリア大会 出発

学生の手作りレーシングカーで競うイベントFormula SAEのオーストラリア大会に出場するための遠征に出発します。

会場はメルボルンの郊外にあるCalder Park Thunderdomeというサーキットで、開催期間は12月14日から17日。
現地は南半球なので、今は真夏です。

当チームがコロナ前に参加したのが2019年なので、実に4年ぶりの海外遠征です。
遠征メンバーは、学生9名と現地でのトラック運転担当の卒業生、そして私の合計11名。

今回の遠征は、準備万端とは言えませんが、コロナ明けのリスタートとして、学生達が何を学び、どの程度のモチベーションを持つことができるのかがポイントになります。

19:20成田発で、メルボルンに着くのは明日の7:45。
到着後は早速準備を開始する予定。物資の買い出しやら何やら、忙しくなります。

現状に満足していないなら

まず間違いないことは
現状維持はしてはいけないということ。

現状維持は意外と危ないのです。

というのも、自分は現状を維持しているつもりでも、周囲は動いているわけで、相対的には現状の維持になっていなかったりします。

じゃぁ、変化しましょうか。
ということになりますが、一体どうしたら良いものやら。

うまくいく方法を考えたりしますけど、正解みたいなものはそうそう思い付いたりしないものです。

トライアンドエラーの試行錯誤は勇気が要る?

そんな時は、小さな事でも良いので「これはいいに決まってるじゃん」のようなことをやってみたりするのが良いです。

「これは良いに決まってる」のに、誰もやっていないことって思いのほか沢山あります。
普段は気にしていないので見えないだけ、気付かないだけです。

簡単で身近なところで言うと、挨拶とかね。

あなたはできていますか?
もしできていないなら…できますか?
結構勇気が要るのではないでしょうか?

というように、簡単なのだけど、今さらやるには小さな勇気が必要なことがいいですね。

こういうのをバカにしちゃいけません。
挨拶なんて簡単なことかもしれませんが、しなければ誰もハッピーになりませんが、すれば誰かしらハッピーになります。確実に。

そんなふうに、小さいことでも「できた」という実感は確実に得られたりするわけで、それが増えたり継続したりすれば、確実に自身が身に付いて、結果が変わってきます。
「できる」「やる」が習慣になるのです。
当たり前でしょう?

で、それが当たり前になったら、次を探してやってみましょうか。
それが当たり前になったら次、次…と。

それを継続したらどんな自分になりそうですか?
今の自分と比べたら、どのくらい違いが出るでしょう?
凄いことになりますよ。

分かっているようで分かってない

また今回も誤解を招きそうなネタですが、行ってみましょう。

学校って、勉強させるでしょう?
まず勉強ありきですよね。

それは良いんですよ。
基本的な、誰でも知っているべきことであれば。

でも、そこから自分の志向する分野へ枝分かれしていきますよね。
だって、人はそれぞれ特性や為すべきことが違うんだから。
自分が好きなことをやればいいんですよ。

そんな風になるのを専門化と言うのでしょうけど、それは、自分が望む分野の仕事をするためです。

もう一回言います。

自分が「望む」分野の仕事を「する(やる)」ためです。
それが理想です。

学校では色々やっているようですが、授業に関して言えば、「やる」じゃなくて「やらされる」経験ばかりです。

何でこうなっちゃうかというと、お上から「こうせい」というお達しがあったりするのでしょうけど、教員が、「教育とはやらせることだ」という概念を持っているからでしょう。

正直なところ、私も当初はそう思っていました。
いかに「教えるか」。
平たく言えば、「言ったことを覚えさせる」みたいなことです。
当然、「言って」「やらせる」ということになります。

その前提としては、「コイツら分かってねぇんだから、言って聞かせないといけないのだ」「そうしなければ何もできないのだ」という固定概念があります。
さらに言うなら「どうせ自分から学ぶなんてことはできないのだ」とも思っています。

そんな調子で、基礎から専門分野の応用まで、ずーっとやります。
ではないですね。
ずーっと「やらされ」ます。

中には、そういうのが好きだったり、うまくいっちゃったりして、「やらされる」から脱する者もいます。
しかし多くはそうではない。
多くは、やらされるのにウンザリして、うまくいかなかったりします。

でも、「これができないと…になっちゃうぞ」みたいに脅されて、それが動機となって、仕方なく勉強をします。

「仕方なく」なんて言い過ぎだって?
いやいや、だって授業が休講になると喜ぶじゃないですか。
私もそうでしたよ。
お金払ってるのにね。

学校では
「やる」ということはイコール、「やらされる」ということである
という奴隷的なマインドを強化しています。
乱暴な表現ですけど、そんなことになっていると思います。

この価値観が固まると
「仕事とは、言われたことをやらされることだ」
ということになるでしょうね。
そうしたら「社畜になんかなりたくねぇ」となるのも分かる気がします。

長くなりましたが、今回何が言いたかったかというと、そもそも学校でやるべきことは、やりたくもないことをやらせることではなく、「やりたい」という気持ちを高めて、その状態で自主的に知ったりやったりしていくべきだと思うのです。

かつての夢工房の学生達は、勉強ができない者も多かったのですが、色々とものを作ったりしていく過程で、何がなんでも良いものを作りたくなって、自然と、もっと良いものを作るには知識や経験が必要だ!ということになって、結果的に凄いことをやっていました。

それは、「これができないと…になっちゃうぞ」という恐怖が原動力になっている場合の成長とは比較になりません。

私は、その光景を目撃して考えを改めたというか、目が開きました。
「コイツら、好きなことを全力でやらせたら凄いんじゃん!」って。

でも多分、多くの先生方には理解できないことだと思います。
だって、強烈な動機に突き動かされて何かをやったと言うより、そういう経験無しで勉強ができたからこそ先生をやっている人がほとんどでしょうから。
これ、先生に限らず、お上の皆様も同様なのでしょうね。
なので、「このままじゃもうお終いだ!」という状態にならない限り、基本的なシステムは変わらないでしょう。

でも、諦めるわけにはいかないのです。
変わるのを待っている場合ではありませんので、やるべきことをやります。
チャレンジのための夢工房ですから。

私のような大したことがない人間が偉そうなことを言いましたが、これは単に経験の違いによって見えるものが違うというだけの話です。
逆に私には、お勉強ができる人達が見ている景色は見えませんから。