好きなことをやろう 3

将来やりたいことがあるから学校を選ぶ
本来はそうあるべきですよね。

出も最近は
学校に入ること自体が目的になっている
そんな気がしませんか?

本来、学校を選んで行くのも、そこで学ぶのも「手段」のはず。

根本にあるのが、曖昧で抽象的な希望でも良いと思う。
むしろそれが大事だとも思います。

というのも、ヘタに理屈で固められた目的だと、その理屈が崩れてしまったら継続する理由が無くなるから。
なので、ゴールは曖昧で抽象的なものでも良いのではないかと思うのです。

「好きだからやってるんだよ」
それでも十分。

そのために進路を選んだり学ぶのも大いに結構。
というか、健全でしょう。

ゴールを設定せずに、言われたことをやって、それを続けて…
で、何とかなるだろうってのは、大変もったいないと思うのです。

もちろん、そういうやり方全てを否定するつもりはありません。
そういうやり方で社会に出ても、やりようはあるでしょうから。
やってることを好きになって、成果が出るってのもありますし。

でも、もっとやりたいことをやる人が増えないと、世の中アンバランスになるのではないかな。
もちろん前提としては、利己的じゃダメですけどね。
自分の「好き」と、世間の「価値」を結びつけないとね。
もしくは、自分の「好き」が、世間の「価値」になるところまで突き抜けるとか。

やはり力を発揮できるのって、好きなことをやっているときですから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です