とにかく進もう!

主体性とか、ハングリー精神とか、批判的思考とか…
色々と今の世代に求めるのは良いけど、今まではそれらが必要無いようにしたかったわけですよ。

言われたことをやるように、余計なことをやらないように、失敗しないように…
で、彼らは従順で真面目になったのですよね。
期待通りじゃん!

とまぁ、毒を吐いてみたところで、何も良くなりません。
ものごとには多面性があるし、世の中も変わっているのです。

でもまぁ、この事象で分かるように、世間や学校から求められるものはありますが、その結果がどうなろうと誰も責任は取ってくれません。

文句を言うのも勝手ですが、それによって何が変わるわけではありません。
むしろそんなことに文句を言わない方が良いと思います。

と言うのも、文句を言うと言うことは「俺のせいじゃねぇ」ということであって、その結果何もやらなくて済むのです。
だって「俺のせいじゃねぇ」のだから。

気持ちは分かりますが、何もしない自分は全く成長できませんし、誰の役にも立たなくて、誰も喜びません。

というわけで、先の見えない世の中ではありますが、今後どうしていきたいかを考えて、そのためのことをやり始めましょう。
早く始めれば、その分先に進めますし、分かることが沢山ありますから。

何をやったら良いか分からないって?

なるほど。
こういう状況では、とにかく思い付いたことをやってみるという姿勢が良いのです。

とはいえ、躊躇する人、立ち止まって考えてしまう人はいますよね。

それ、うまくいく確証が持てないから動けないのでは?
失敗したくない?

でも、先が読めない状況なのですから、何の保証も無いし、正解なんて無いのですよ。
そういう状況は立ち止まるのは無駄です。

猛獣に追いかけられているのに、分かれ道のどちらに進むのが良いのか立ち止まって考えているようなものです。

どうせ正解なんてありません。
やれば何かが見えてきますから、沢山経験して「自分はこうする」というものを作り上げるのが良いと思うのですが、どうでしょう?

え?そこで悩んで立ち止まる?

良い子の話 じゃぁどうすんの?

端的に言ってしまうと、必要なのは失敗です。

…と言うとインパクトがありますが、正しくは、失敗とそれを乗り越える経験であり、その上流にあるチャレンジです。

で、それはチャレンジをしたいと望む気持ちが原動力なのですが、一般的にその気持ちは深層心理に組み込まれています。
つまり、習慣としてチャレンジしているようなものです。

そう、チャレンジャーは、チャレンジする内容については考えるのですが、チャレンジするか否かは、ほとんど習慣というか癖というか、あまり考えていません。

これはつまり、自分はどうするべきかというか、どうしたいかがすでに決まっていて、そのための行動であれば迷いが無いということです。

ただ、この場合の「決まっている」は、具体的な職種とかそういうことが明確化されているとは限らず、もっと曖昧なビジョンというか、「こんな風にやっていきたい」のようなことが習慣化されているというか、性(さが)とでも言うようなレベルです。

その迷いの無さから来るスピードが彼らの武器だったりします。
それによってチャンスを引き寄せて、すぐにトライして、結果をフィードバックして…
そんな風にして、みるみる経験知を増大させて自信を付けていきます。

対して、言われたことを最低限でやるといった習慣を身に付けてしまった者が、チャレンジャーとしてやっていくためには、知識や学力ではどうにもならないことが多いです。
だって、そういう問題じゃないから。

では、どうにもならないのか?

もちろん、どうにもならないこともあります。

この場合、どのくらい自身の変化を望むのか、ということなので、その「望み」のプライオリティがカギです。

言われたことをやりたい
に対して
思った通りにやりたい
が、どれだけ優先されているか。

あと、これは深層心理による習慣の問題でもあるので、やはり環境がカギですね。
人は環境に合わせて成長しますから。
その環境を選ぶ・そこで継続するのも決定的に重要でしょう。

というわけで、そういったチャレンジャーを生み出し続けるところに夢工房のあるべき姿があります。
もちろん完璧なやり方なんてのは無いので、試行錯誤は続くわけで、夢工房自体がチャレンジでもあるのです。

良い子の話 4

良い子にするために
良い子になるために

言えば言うほど
従えば従うほど
自分の力ではできなくなる
何という皮肉。

言われたことができたところで、それは最低限。
学校内では、それが最高の評価になりますが、社会に出て、言われたことをやっても
「言われたことしかやらないのか?」
「言われないとやらないのか?」
となるのは明白。
果たしてそれはどれほど価値があるのか。

決して無価値ではないけど、少なくとも付加価値はゼロでしょう。

言われたことをやるだけだと、オリジナリティとかクリエイティビティとか、付加価値の源泉になるものが含まれていないのだから当然です。

それに、言われたことをやるのは楽なのです。
単に労力を払う行動という観点だけで見るならば、ですが。
一番大事な、何をどうしたらいいのかを考えずに済むから。

どうしたら良いか分からない
そんな時に、それを考えるところに価値があるのです。

一応言っておきたいのは、言われたことをやる事自体がダメというわけではありません。
言われたことをやってくれる人は重要です。

ただ、自分の将来ありたい姿に対して、必要な姿勢は何なのか?その辺を考えてチャレンジして、準備しておく必要はあるでしょう。
それが学生の期間にやるべきことの一つだと思います。