夢工房の合宿

一般的には、大学のゼミとか研究室とかって合宿に行くじゃないですか。
夏に涼しい山の方に行ったり。
でも、夢工房ではそういうのはありませんでした。

だって、夏にはアメリカに遠征に行くし、冬にはオーストラリアに遠征に行くし、国内だった栃木の茂木とか種子島とか、チームであちこちに行ってますからね。
各プロジェクト全て合わせると、遠征は以下の6回。

3月 鹿児島県種子島
6月 栃木県茂木
8月 三重県鈴鹿
9月 アメリカ ネバダ州
10月 栃木県茂木
12月 オーストラリア メルボルン

他にも何かイベントがあれば参加しますけど、毎年のルーティーンはこんな感じですかね。
ただし、遠征では朝から晩まで忙しくて、合宿という感じではありませんけどね。

そして夢工房は他の研究室のように飲み会もやりません。
でも、全くやらないわけではなく、忘年会をやったり卒業シーズンの「追出し会」と称する宴会なんかはやりますね。
たまにBBQもやるかな。2月の寒中BBQなんてのはコロナ前の恒例行事でした。

で、今年は合宿をやろうということになりました。
それも普通じゃ面白くないので、海上合宿です。
茨城県の大洗から北海道の苫小牧を結ぶ、フェリーさんふらわあの船上でやります。

フェリーで北海道に行くなんてお金がかかりそうですよね。
しかし意外や意外。
今回企画している3月は、二つの料金が異なる期間にまたがっていますが、「ツーリスト」と呼ばれる雑魚寝の安い船室なら片道1万円前後です。
これがカプセルホテルみたいなベッドのの部屋「コンフォート」になるともうちょっと高いですが、それでも安いです。冬は夏の半額くらいですし。
しかもこれは交通費と宿代の合算です。船内一泊で翌日着ですから。
船内にはレストランも大浴場もあるし、洗濯機だってあります。
レストランは2食で3千円少々でバイキング形式です。これを合わせても安いと思います。
もっとも、食費を抑えたければカップ麺もあります。

仮に、新幹線で埼玉の大宮から北海道の終点まで行くと、片道2万円以上かかるみたいです。往復だと4万円以上。
飛行機だと茨城空港から新千歳まで往復で3万円前後ですね。

そして鉄道や飛行機だと、現地で宿泊する費用も必要です。
往復するだけじゃ合宿になりませんから。
なので、合計では5~7万円くらいになるでしょうか。これに加えて食費なども必要ですね。

フェリーは激安ですが、船内は公共の場なので大騒ぎはできませんし、大人数でのミーティングなどはできませんので、その辺は工夫が必要です。船内で分散して少人数でコソコソできるように。

で、現地に着いたらその日の夕方の便でトンボ返り。
もちろん、帰りの船上でもコソコソミーティングします。
というわけで、2泊3日の合宿になる予定です。

夢工房のメンバーのほとんどはフェリー初体験です。どうなることやらお楽しみ。



運のお話し その2

前回の記事では色々書きましたが、苦難に耐えてそういったことやり続けるのは無理があります。
そんなのは、どうせ長続きしません。
なので、そういったことを楽しめるような設定、つまりマインドセットとかゴールの設定ができていることが前提になるでしょう。

「やりたいことをやっているのだ」
とか
「それは自分に必要なことなのだ」
と思えるか否かは動機付け次第ってことです。

それができていないとリスク回避の深層心理が発動して、自動的にチャンスを見送ります。
とはいえ、それすら自覚できないまま時が過ぎる、なんてことになるので、別に気にはならないのかもしれませんが。

チャレンジの数が増えれば、うまいくことも増えるのは当たり前なわけで、それが分かっているなら
やるかやらないかで迷ったら、やる
というか
迷う前にやる
くらいの気持ちになれるでしょう。

ものごとは受け止め方次第で正にも負にも、陰にも陽にもなるわけで、それを理解していれば、リスクがリスクに見えなくなったりするし、本当に負うべきでないリスクも判断できるようになるでしょう。

あ、ここ大事ですね。

リスクを回避しまくって経験の数が少ない人は、本当にクリティカルなリスクの判別が苦手になるでしょう。
だって、そういった経験が少ないのだから当然です。

学生のものづくりを見ていても分かるのは、そういった行動をすると、最終的には「究極の選択」をしなければならないことになるってことです。
それは
どちらも選択したくないけど、どちらかを選ばなければならない
といった状況です。

当然ですが、リスクを取りながらゴールを目指すチャレンジをする場合、そういった選択を迫られることは極めて少ないです。

それを社会に出てから経験するのか、学生のうちにや経験しておくのか、これはかなり結果が違ってくるのは当然ですが、要点は…

仕事が面白くなることは重要で、リスクを取りながらするチャレンジを経験するタイミングをいかに早められるか
ってことなのですよ。
もちろん自分の力で。

なんだかんだ書きましたが、結局は定量的なこととか理論的なことは運の良さの起点にはなり得ないわけで、行動しない限りは運は掴めないわけです。

その原点には、やはり思いとか考え方とかがあるわけで、そうなるとひょっとして、自分はツいているとか、運が良いって思うことが大事なのではなかろうかとも思うのです。
だって、そう思わないと何も始まりませんから。

ということは事実はどうあれ、思い込みでも勘違いでも良いので、そう思っちゃえばうまくいっちゃうのだ、とも言えると思います。
いや、これはホントに。

運のお話し その1

ツイているとかツイていないとかありますが、運の善し悪しについては、自分で何とかなる部分が大きいと思っています。
そして、運とはクジみたいに当たるとか当たらないとかのようなものでは無いとも思っています。

運が働く対象となるもの…言うなればチャンスですかね。
チャンスとは一体何かというと、価値のタネみたいなものだと思って良いでしょう。
そのままでは価値は無いけど、それをハンドリングして価値に変えることができるようなもの。
コイツとの関係がどうなっているかがカギです。

まず
チャンスが巡ってくるのか
チャンスをチャンスとして認識できるか
というのが最初の入り口ではないかな。

利己的だったり、失敗を回避することが最優先になっていると、チャンスがチャンスに見えなかったり、そもそもそんなものに遭遇できなかったりします。

というのも、チャンスは自然現象では無く、人によってハンドリングされていて、自分に放ってくれる相手がいるからです。

果たして、自分が得することばかり考えている者にチャンスを放るでしょうか?
「コイツにこんなことをやらせたら面白いことが起きるのではなかろうか」
という期待がチャンスを放らせるのです。

もちろんこの場合の「面白いことが起きる」は、チャンスを受け取った者以外に対してです。
要は、他に対して価値を提供してくれるだろう、という期待です。

ただし、親など家族は別です。
無条件で価値そのものをチャンスとして提供できるのは家族くらいでしょう。
それを他人に求めるのはおかしいです。

そして、リスクを回避して自分が得することを考えていると、どう考えても得するような安直な見た目を持ったものしかチャンスとして認識できないでしょう。
そんなものは滅多にありません。
上述の親からもらえるものくらいかな。

大抵は、一見手強そうなものの陰にチャンスが隠れています。
チャンスは困難という手段を使って自分を成長させてくれます。
だからこそチャンスで、だからこそ価値があるのです。

つまり、利己的で、ノーリスクを求めていて、安直なものが欲しいなら、チャンスはチャンスに見えません。

なので
「自分のところにはチャンスが来ない。自分は運が無い(悪い)」
と思うでしょうね。

対して
「来た球は全部打つ!!」
みたいなやり方をしていると、経験値が増えてチャンスから価値を生み出せるようになります。

それに、チャンスに対するチャレンジは全てがうまく行く保証は無いので、経験知、つまりチャレンジの母数が増えれば、うまくいく経験の数も増えることになります。

それらがちょっとずつ増えていくと、その経験を使って加速度的にパフォーマンスが向上します。
「一を聞いて十を知る」みたいな感じです。
ものごとの本質は共通していることが多いですから。

そんな経験をしていると、一般的にはチャンスに見えないようなことでも、チャンスと認識したり、チャンスに変えていったりできるわけです。

そんな風に考えてみると、運が良くなりたいなら
「四の五の言ってないで、片っ端からやってみたらいいじゃん」
ってことになるのですよ。

続く