ガソリン自動車の正体

以前投稿した「電気の時代がやってくる」シリーズで
何か大事なことを忘れてる気がするなぁ
と思っていたんですよ。

思い出しました!

なので
忘れる前に書いときます!

みなさん
ガソリンエンジン(ディーゼルでもいいんですが)の自動車って
ガソリンで走ってると思うでしょう?

まぁ、あながち間違いではないんですが
燃料でエンジンが動くってのはこういうことなんですよ
というお話です。

皆さんご存じの通り
エンジンは内部で爆発的な燃焼が起きて
その爆発のエネルギーを運動エネルギーに変換して走ります。

なので
動力の源は
ガソリンが燃えることによる熱エネルギーなんですね。

ガソリンが燃えなければいかんのです。

さて
ガソリンが燃えるときはどうしているか?

燃えるためには酸素(空気)が必要なので
空気の中に霧状になったガソリンを混ぜて
そこに電気の火花で火をつけるんです。
すると
バーン!
と燃える。

のですが
単にガソリンと空気があれば燃える
ってわけではないのです。

ガソリンが多すぎてもダメ
空気が多すぎてもダメ
理論空燃比ってヤツがあるのです。

ガソリンエンジンの場合は
重さの比率で
空気とガソリンが
14.7:1
です。

理論的には
この割合で混ざったヤツが燃えると調子良いんですね。

もう一度言っておきますが

空気 14.7

ガソリン 1
ですよ。

さて、では実際のクルマでは
どんなことになってるかを数字で見てみましょう。

たとえば
50リットルのガソリンがタンクに入る自動車があるとします。
ガソリンは1リットルあたり0.75kgです。
なので、タンク内のガソリンは37.5kgということになります。

1リットル 0.75kgのガソリンを全部燃やすには
14.7倍の約11kgの空気が必要です。

なので
50リットル 37.5kgのガソリンを全部燃やすには
11kgの50倍の550kgの空気が必要なんですね。

なんと!
凄い重さの空気が必要です!
ガソリンの比ではありません。

ガソリン自動車は
まるで空気で走っているようなもんです。

しかも
この550kgの空気は
車体に搭載する必要はなくて
しかも無料です。

ガソリン自動車の強みはここにあります。
走行に必要なエネルギー源を全て搭載しなくても良いのです。

対してEVは
走行に必要なエネルギー源を全て積む必要があります。
そして
エネルギ-を使っていっても
車体が軽くなるわけではない。

燃料を消費して軽くなれば
それだけ走行に必要なエネルギーが減るんですが
電池ではそうはいきません。
残念なことです。

とまぁ
ここまでお話しすると
ガソリンという液体燃料が
いかにミラクルなのかお分かりいただけるでしょうか。

液体燃料は
自動車に限らず
我々人類の生活を
大きく変えるだけのパワーを持っていました。

でもそれでも電動化しなきゃいかんということは
それなりの理由があるということですね。

巨大なメリットには
巨大なデメリットがセットになっていた
ということでしょうか。
何事もそんなものですけどね。

まだ終わったわけじゃないけどね!

ハイ・パフォーマンス人間のつくりかた

ずいぶん以前に(ちょっぴり)話題になったことです
Googleが社内で調査をした結果

「どんな大学を出たか」は入社後のパフォーマンスと相関関係がない

ということが分かったそうです。
オー!ノー!!

これはどういうことでしょうか。
少なくとも
大学のブランドはパフォーマンスとは関係ないということですね。
学力も関係ない?
いやいや
ここで答えを急いではいけません。

では次

「これまでの人生で苦労をしたかどうか」

これがパフォーマンスと関係あったそうです。
苦労したり挫折したりしたことがある人たちが
社内でパフォーマンスを発揮していたそうです。

そりゃそうでしょう
困難に遭遇して
乗り越えるのには何が必要?
もちろん努力です
あとは工夫とか根気とか
パッションやポジティブな思考も忘れちゃいけません
で、乗り越えれば色んな経験が増えますね。

頑張った末に
乗り越えることができなくても
継続していけば
心は強くなるでしょう。

こういうのを総じて
成長
って言うんですよね。

人は苦労なしには成長できません。
というか
苦労こそが人を成長させる
といった方が良いかもしれません。

困難に遭遇したり
失敗した末に
「どうせ…」
とか言って
簡単に逃げたり諦めたりしちゃダメです。

たまにそういう人に対して
「あの人は人生を達観してる」
とか言ったりしますが
それ、使い方違いますね。
そういうのは達観してる人じゃなくて
残念な人です。

ほら
こういうこと考えてると
ピンチはチャンス
とか
かわいい子には旅をさせろ
とか
選択肢があったら大変な方を取れ
とか
凄く理解できませんか?

学生達を見ていると
こういうのは本当によく分かります。

デッカいチャレンジは大変です。
しかも
好きなことをやっているんだから
そうそう逃げるわけにはいきませんし
苦労を苦労と思わないこともある。

一口に苦労と言っても
知識や技術やスキルに関すること
人間関係に関すること
お金に関すること
数えだしたらキリがないです。

でも
そういう環境で頑張った学生達は
ものすごい成長を遂げます。

やってる本人達は
嵐の中でジタバタしているうちに卒業しちゃった
みたいな感じなのでしょうけど。
「4年なんて一瞬っす!」
ってみんな言うもんなぁ。

なので
そういうチャレンジをする機会があったら
なりふり構わず頑張ってみて欲しいのです。

もっとも
そういう姿勢じゃないとチャンスは見えませんが。
(視野に入っても気付かないということです)

高い目標を設定すると
「分相応にしとけ」
と言う人もいますが
そんなの気にしないでガンガン行って欲しいのです。

成功する保証はないけど
成長する保証はしますよ!

自由になるとハッピーになるか

昔は多様性が乏しくて
やるべきことが決められていたがために
その反動として
多くの人がが自由を求めたのではないかな
なんて思ったりすることがあります。

私が子供の頃は
今に比べて明らかに多様性がありませんでした。

でもそれは
選択肢が少ないがためにやるべきことが明確だった
という良さもあったのかもしれません。

さらに世代を遡っていくと
どのような違いがあるのか?
今も色々と調べていますが
興味深いところです。

多様性のなさは日本に限ったこと…ではありません。
アメリカだって、ヨーロッパだって
多少の違いこそあれ今と比べればそういう傾向だったでしょう。

多様性が無いがために
理想と現実のギャップが大きくて
それがパワーの源だったのかな。

今は明らかに多様性が増して
自由が与えられていると思います。
仕事を例にあげれば
別に会社に入らなくてもインターネットを使って仕事ができるし
それこそ国内に限った仕事じゃなくても良いわけです。

何も独創性のある仕事じゃなくても
今まで自分が目を向けていなかった業界を見てみれば
仕事はいくらでもある。
何をやっても良いはずです。

みんな自由にできる世の中になって良かったね!
と言いたいところだけど
いざ自由になると色々とありますね。

自由な選択は同時に責任を求められます。
別に法的な責任に限定した意味ではありませんが
自分の選択に対して出た結果に対して
責任を取るのは自分ですから。

そんなこともあって
皆が自由でハッピー!って感じではないのかな?
コロナ禍の影響はもちろんあるでしょうが。

それはともかく
時間の経過とともに
目に見える色々なものが進化してきたのでしょうが
それによって
我々皆が無条件にハッピーになるかと言ったら
決してそんなことは無いんだな
と思ったりしてます。

そもそも「進化」とか言いますが
それは何のためなんでしょうね。

我々人類はどこへ向かっているのか。
いやー、興味深いなぁ。