学びの中に喜びはあるか

昨今の学校、特に大学には、学びの中に喜びはあるのだろうか
と思うことがあります。

そりゃぁ全く無いということはないのでしょうけど
もっとあっても良いと思うのです。

だって、自分のやりたいことをやるために行ってるんでしょう?
特に大学の場合。

もちろん
大学が悪いとか
学生に原因があるとか
そういう二元論では語れない状態だとは思います。

昔々はどうだったんでしょうね?
それこそ
寺子屋とか藩校とか学問所なんかがあった江戸時代とか。

その頃ももちろん家族に「行け」と言われて行った
なんてのもあったでしょう。
藩校になると
武家の子息が行くのだから
立派な武士になるために学ぶ必要があるのだ
と言ったところでしょうか。
私塾とか学問所ともなると
本当にやりたいことがあって
そのために学びたいから行く
そんなところでしょうね。

昭和初期は小学校卒も珍しくはなかったのだと思います。

松下幸之助氏は小学校中退
本田宗一郎氏は高等小学校卒です。
お二人は共に明治の人ですが。

昭和初期の義務教育は尋常小学校までですから
卒業時は12歳。
その後に高等小学校もしくは中学校に進んでも
卒業時はそれぞれ15歳、17歳です。
ちなみに当時も大学はあって、卒業する年齢は今と同じです。
もちろん、現代ほど多くが行ったわけではありません。

近年では
大学に行くのは別に珍しくもなくなっているし
これから大学院もそうなるのかもしれません。

ドラッカーはずいぶん前に
それこそ半世紀も前に
こうなることは予想していたようです。
凄いですね。

ドラッカー曰く
時と共に労働寿命が延びて
それに伴って知的労働が増加して
そのために教育も長期化するのだ

だそうです。

確かに昭和初期の55歳定年から
現在は65最低年も珍しくない状態になってきています。
実に労働寿命が10年延びているわけです。

それに対して教育も
昭和初期の尋常小学校卒から現代の大卒が珍しくない
という状況になってきていますね。
やはり10年延びている。

学びの動機はどうなのでしょう?
ここが気になるところ。

昔は
「俺は立派な侍になるのだから、そのために学ばなきゃイカン」
…江戸時代はさすがに古すぎるか(笑)

昭和初期ではどうだったのでしょう?
もっとマシな生活するために
(今よりもっとシリアス)
というとことろから
お国のために
といったところまででしょうか。
立派な人になって故郷に錦を飾るのだ!とか。
今と同様、幅はあるでしょうけど。

では、今は?
もっと良い暮らしというか
安定した生活をしたい
そんな希望が大半ではないでしょうか。
もちろん、細かいところを見れば
色んな人がいますけど。

いや、どうかな。
今も昔もあまり変わらないのかな?
でも、自分のことばかり考えるのが
より恥ずかしげもなくできる・言える
そんな風に変わってきている気がしなくもない。

何が言いたいかというと
多くの人が自分のことばかり考えている
つまり私利私欲が当たり前になっているのでは?
ということが気になるのです。

もちろん、自分の生活
つまり生きるために仕事をしても悪いことはないのですが
自分のことばかり考える
それが行きすぎると
結局誰もハッピーにならないですよね
ということが言いたいのです。

別に最近の若者達が特別ダメだってことではないです。

私の子どもの頃だって
「公務員になりたい!」
ってのがいて
「なんで?」
って聞いたら
「だって安定してるし、退職金が良いから!」
って答えてましたよ。小学生のくせに。
公共のための仕事するのに
自分が美味しい思いしたいことが動機なんですよ。
ま、子供じゃしょうがないのかな。

私はそんな話しを聞いて
「へー、電車の運転手の方が格好良いのになぁ。
コイツ、つまんねーこと言うなぁ」
なんて思ってましたけど。

当時、公務員になりたいって言っていたのは
総じて勉強ができるコでした。
「総じて」ということは
そういうのが結構いたってことです。
なので私には
「勉強ができることと公務員は
カッコ悪くてつまらないことだ」
という変な刷り込みがされている気がします。
超偏見です。

でも、つまらないことばかり言う
勉強ができる連中の中に
「僕はカラヤンみたいなオーケストラの指揮者になる!」
ってコがいて
「コイツ格好いいな!…よくわかんねーけど」
ってのもありましたね。
彼の夢は叶ったのかな。叶ってるといいな。

別にね、学ぶ時間が長期化しても
それに対してどうこう言いたいわけではないのです。

労働寿命が延びようが
それは時代の流れなんだろうし、しょうがない。

でも、もっと夢見て楽しくやったらいいじゃないか
もっとみんなをハッピーにしてあげたらいいじゃないか
と思うんですよ。

大学に来ているなら
もっと崇高な理想を持っていても良いし
崇高じゃなくても
デッカイ夢があって良いと思うのです。

そうしたら
もっと主体性を持ってクリエイティブに学べると思うし
彼らをサポートする我々だって
もっと楽しく仕事できると思います。

こういうのに対して
文句を言って無い物ねだりをしても
不健全で建設的ではありません。

ちょっとずつでも良いので
何とか変えていきたいものですね。

でも、時代は巡るわけなので
そのうち、そんな時代が来るはずです。
それは意外と早いかもしれません。
準備しておきましょう。

技術は人なり

「思い」の話

何か成果が欲しいと思ったら
もちろん行動が必要です。

そのためには「思い」が必要です。

なぜなら
全ての行動は
思いから発しているからです。

「思い」といっても
意識と無意識
(顕在意識と潜在意識)
があったりして
その辺の細かいところは他に譲るとして
基本的には
日頃自分が何をどう思っているのか
その辺が大事なところでしょう。

それによって
取る行動の内容や
大きさなどが決まります。

なので
ショボいことや
ネガティブなこと
そんなことばかり思っているのであれば
相応の行動を取るわけで
相応の結果を得ることになります。
当たり前です。

なので
高望みだろうが
きれい事だろうが
ポジティブで
皆が喜んでくれそうなことを思っていれば
それによる行動が起きて
相応の結果を得ます。

ただ、色々と思う時点で
雑念みたいなものが混入してしまうこともあります。

失敗への恐れとか
私利私欲とか
妬みとか

そういうものが思いを弱くしてしまいます。

この「思い」は、自身が自由にできることの一つ
のような気がするのですが
意外と自由にならないものでもあります。

どういうことかというと
「思うな!」と思っても、思ってしまうから。
例えば

あなたの目の前に
好きな飲み物があると
想像しないで下さい!

と言っても、想像してしまうでしょう?

過去のあなたの失敗を
想像しないで下さい!

と言っても、ついつい探してしまいませんか?

なので
崇高な思いを持ちたくても
日頃の考え方が邪魔してしまうのですよ。

何とかしたければ
自分の意識を改造するしかありません。
もちろんそれは日頃意識していないのですから
無意識(潜在意識)ですね。

日頃からの努力とか工夫とか習慣化で何とかする
そんな方法もあると思います。

セラピーとかカウンセリングとか
技術的に何とかする方法もあって
そういうもののお世話になるのも良いと思います。
(お前は病気だ!と言う意味ではありません。
腕の良いカウンセラーは凄いですよ)

いずれにせよ、何かしらの工夫とか刺激が必要でしょうね。

その行動の根源にあるのは

今のままの自分じゃ嫌だな
自分の理想に対しては不十分だな
と認めることです。

だって、それを認めない限りは
何も変える必要がないのですから。

何に対して不十分?

それはもちろん理想ですよね。
ビジョンです。
夢と言っても良いかもしれません。

そういうものを持てなくて困ってる?

いやいや、実はあるんじゃないのかな?
口に出せないだけで。

何で口に出せないのか?

話はループしますが
何か恐れとか
雑念が入っているのではないでしょうか?

ひょっとしたら、たくましい想像力を
残念な方向に使っているのかもしれません。

その辺を深掘りして解決するのは
カウンセラーの役目かもしれませんね。

夢見る頑張り屋さんは
そんなことを考えて時間を使うのはもったいないので
思いを形にするために
まず行動ですよ!

技術は人なり

続 アイデアのお話し

以前、アイデアを出すことについてお話ししました。

今回は具体的にどうハンドリングするか
ということについてお話ししましょう。

もっとも「やりかた」なんてのは千差万別であって
色んな方法があります。
でも、誰かしらのやりかたを聞いておくのは参考になるでしょう。
というわけで、私なりのやり方をば。

ポイントは
書き出すこと
言うこと
すぐにやること

だと思っています。
つまり何かしらのアウトプットをすることです。

アイディアは頭の中から外に出して、書き出しておきます。
そして、可能ならすぐに取りかかること。
失敗するかもしれませんが、それでいいのです。
失敗したら、その結果を次回にフィードバックすればいい。

こうして常に頭の中を空にしておけば
常にすぐに次の仕事に取りかかれるし
優先順位も実際に自分の目で見えるし
やり方によっては仕事の並列処理ができます。

こういうのを多くの人は
自分の頭の中でやろうとしています。

でも実はそれ
凄く高度なことです。

頭の中でイメージを生成して
それを明確化しながら構成して検証して
具体化してからアウトプット?
無茶言っちゃいけません。
そんなの無理ですからやめておきましょう。

紙に書き出してしまえば
それはもう覚えておく必要はありません。
ノートは頭の中の領域を拡張するツールです。
PCの増設メモリみたいなものです。

そうそう、ここで「紙」と言いましたが
「紙」が良いのです。

アイデアを具現化するプロセスで
例えば部品の設計などで
頭の中のものをいきなりPCのCADを使って
図面にしたがる人が多いと思います。
これ、ダメです。

頭の中のアイデアは
超曖昧です。

これを
曖昧さゼロのCAD情報にしましょう
と言っても無理なのです。
絶対に不可能とは言いませんが
大抵、良い結果にはなりません。

超曖昧な頭の中の情報は
曖昧さを許す
紙と鉛筆との相性が抜群です。
鉛筆の線は、曖昧な表現ができます。
線一本引くのでも
何かしらのニュアンスを乗せられます。

できればシャープペンシルではなく
鉛筆が良いですね。
繊細な線も迫力ある線も一本で描けますから。
私はHBを使います。

そんな感じで
まずは紙の上でアイデアを遊ばせて
徐々に具体化をしていきます。
これだ!
と明確化できるところまで行ったら
CADにしましょう。

私はCADの前にもう一段階挟みます。
このプロセスから始めることもありますが
万年筆とかボールペンのように
やり直しがきかない緊張感のある筆記具で
最終的なアイデアを描きます。
それからCADです。

そんなやり方めんどくさい?
だったら、一気にCADで図面描いてごらんなさいな。
きっとカッコ悪いものしかできなくて
むしろ時間が掛かりますから。

ちなみに
もし頭の中からアイデアを出さずにためておくと
それは処理できないゴミとなります。
そして見えない形で蓄積されていき
「できなかった」という事実が
いずれ自身を押しつぶします。

つまり「後でやろう」という姿勢は
未来の自分を確実に押しつぶしてしまう準備をしている
ということです。

なので「すぐやる」というのは
実はとても大事なことなのです。

でも、授業では、そういうやり方を許容しません。
間違いがない、完成した答えを求めますから。
時間が限られているので当然でしょうね。

なので、それができるフィールドを手に入れることが
先決なのかもしれません。

ほら、夢工房って良いところでしょう(笑)