和の国の強み

日本は和の国
ですよね?

皆の力を合わせることによって成果を出すのが得意
皆でうまくやっていこう
という感じです。

これ、言うのは簡単ですが
誰でもできることじゃないと思います。

幸いにして我々日本人は
そういった特性を持っている
というか下地がある。

環境がそうなっているということなのでしょうね。
そういうのを「風土」と言います。
とても大事なことです。

なぜこの風土があるかというと
初代天皇の神武天皇の勅令建国の詔(みことのり)からはじまり
聖徳太子や歴代の天皇がそのコンセプトを守ってきたから
そう思っています。
こういうのは将軍とか政治家では無理でしょうし
自然とそうなるわけはないでしょう。

さて、問題は
この強みをうまく活かしていこう
となっているかどうかなんですよ。

うまく活かせているのでしょうか?
そうは思えなかったりしますよね。

GDPとか経済効率とか
個々の学力とか
そういうのも大事なんですが
表面化した見える部分だけでなく
それらを支えるところを強化しないと
どうにもならんのではないでしょうか。

多くの学生達は
見た目より
彼ら自身が思っているより
孤立しています。

人的リソースを統合して
何かデッカイ事をやるのは
とても難しい時代が来てしまうかもしれません。

まぁ、年齢問わず
個々が内的な欲求ばかりを追求するような時代になったら
そりゃぁ仕方ないのですけれど。

なのでもちろん夢工房は
そういうところを強化するために色々工夫しています。

うまく皆の力を合わせて
人的リソースを統合できれば
個々では思いもしなかった
デッカイ事ができたりします。

そのためのトライは
たぶん多くの皆さんが
想像しているようなやり方ではないですが
形を決めずに色々試しているので
「こうしている」と言いにくいですね。

やればやるほど色々見えてきて
結構充実した毎日です。
先は長いですけどね。

困難を前向きに乗り越える…ことができると良いですね

最近、国際的な評価が下がりつつある我が国、日本。

このままじゃマズイよね
とか
まだまだ大丈夫だよ
なんてことを言いたいわけではありません。

腐っても鯛
なんて言いたいわけではないのですが
ついこの間まで経済規模で世界2位とか
一時は、ジャパン・アズ・ナンバーワン
なんて言われていたし
かつては、アジア随一の存在感を持っていた我が国。

自画自賛しちゃうと気持ち悪いですが
実際問題、結構レベルは高いわけで
そうなるには理由があるわけです。

今回考えてみたいのはそこです。

何で日本はこうなのか?

特に理由なしに、どこかから学んだから
などという理由はあり得ないと思います。

そもそも理由がなくて
学ぶ必要性を感じなければ学部はずはありません。
学ぶ必要があるという理由と
それに伴う意欲がないのに学ぶはずはないからです。

何度かブログのネタにしているように
人が成長するには困難とそれを乗り越える経験が必要です。

もし日本が平和で安全で
生きるために特に工夫が必要ない安全な国であったなら
今のようになっていたでしょうか?

黒船襲来による外圧や日露戦争などの困難や危機があって
それに対応するために…
というのもありますが
そもそも下地がなければそういった対応は取れません。

なので、昔から困難があって
色々工夫が必要な国だったのではないかと想像しています。

苦労がなくて、ヌクヌク生活できていたら
果たして今のような文化文明を持てていたのか?
考えるまでもないですね。

暑かったり寒かったり
日照りが続いたり洪水になったり
地震とか雷とか火事とかオヤジとか

単一の災害ではなく
ダイナミックな環境の変化とか
多様な災害に見舞われたことが原因なのかもしれません。

あとは天皇の存在が民度に与える影響は大きかったのだろうな
とか思っています。

かつての中東も中国もヨーロッパも
歴史的には戦乱によってグチャグチャの時代があったのは皆さんご存じの通り。

もちろんそういう状況では、色々必死に工夫しなければならなくて
結果としてメソポタミアとかギリシャとかローマとか
高度な文明が誕生したわけですよね。

というわけで、色々な困難の中から知恵が生まれて成長してきた
なんて思っているのです。

で!
別に歴史について考察するのが目的ではなくて

安全で安心で便利な暮らしを追求すると
別に工夫なんかいらないよね
というところに行っちゃうはずで
そうなると没落しちゃうのだろうな
と思うわけで

いわゆる王者必衰というようなことになるのかな。

そんなことを考えると
今のコロナ禍に対してどう考えてどうすべきなのかな
とか
むやみにリスク回避するとどうなっちゃうのかな
とか
そんなことを考えてしまうのです。

困難に前向きに対応できるようになると
成長を楽しめるのでしょうね。

そんなことあるのか?
とお思いですか?

コンペティションがありますよ!

古来日本なら
「~道」
ってヤツになるのかな。

今がチャンスだ!きっとそうだ!

環境とかエネルギーとか
コンピューターテクノロジーとか
そんなことで世の中が変わっていくのは
現状では既定路線の様相。

こういう要素のほとんどは
自分の「外」の問題なので
自分の立ち位置としては
受け取る側・受け身に回りがちです。

多くのものや情報を受け取る側
ってことですね。

さて
人は自分が欲しい感情があって
それを手に入れるために行動します。

一見、理屈で動いているようでも
それによって得られる感情がゴールだったりします。

いくら理屈で分かっていても
できなかったり、やらなかったりしますものね。

徐々に受け身ばかりの生活に慣れていくると
当然我々の意識も受け身に変わっていきます。

自ら発するより受け取る方が楽ですからね。
なので、その方向に流れがちになります。

自ら創り出すものより
受け取るものの比率が増えていって
それが行動の中心になってくると
どれだけもらえるか
どれだけ持っているか
そんなことにフォーカスしていくようになるでしょう。

となると、得られないことや失うことを恐れて
それが行動の判断基準になりそうです。

行動原理は恐怖で
それから逃れる行動を取り
得たい感情は「安心」となる。

というか、すでに結構前から
そうなりつつあるのは感じていました。

本当に欲しいものを得るために
リスクを取れなくてチャレンジできない

なので、権威から発信された情報に
疑問を持たずに従う傾向になる。

そもそもものごとに疑問を持つ
という機会すら激減している気もします。

こういう傾向は心配ではありますが
ウダウダ憂うのがこの記事の目的ではありません。
心配ばかりしていても、ものごとは良い方向には行きませんから
どうすれば良いかが問題なのです。

多くがチャレンジできないということは
チャレンジする者にとってはチャンスが多いということです。

もちろん、どういうリスクを取って何を得たいのか
という話になります。

チャレンジには困難が伴うのは当然なのですが
困難に向き合うと、その分成長するよ
というところがポイント。

というわけで、やっと最近言いたかったことがまとまりつつあります。

便利な社会の恩恵を受けて
受け身になるのか

はたまたチャレンジして
己の価値を高めるのか

我々は大きな分岐点に差し掛かっているのだと思います。

であれば、決断と行動は早い方が良いですね。
時が経つほどその違いは大きくなっていきますから。

迷って考え込んで
中途半端なことをしている場合ではないのです。

コロナ禍で多くの動きが止まっている反面
それを補うビジネスが動くなど
実は世の中は大きく動いて変化しています。

見方によっては、世の中がこんなに変化するのは
とてもレアなことで
ひょっとすると今は歴史的に見ても
大きな変化点に差し掛かっているのかもしれません。
そういうのって、その時が過ぎて
歴史になってから判断されるものですが
そうなってからでは何も手を打てません。

であれば、我々は一日も早く動くべきです。
毎日がチャンスなのですから。