心が開いていないとね

マインドがオープンになっている人は
何事においても成長が早いです。
というか、マインドが開いていないと成長は難しい。

マインドが開いていると
外に対して発信するし
受け入れることもできるので
外的な評価をもとに
フィードバックして成長できるってことですね。

多くは自身の成長を望んでいるけど
実は自身の成長より重要視しているものがあったりします。
というか、守りたいものがある。

大抵は
成長したい

変わりたくない
がせめぎあっています。

この話は何度もしているけど
恐らくそれは生存本能から来るものです。

だから楽をしたいとか傷付かないようにとか
安心を得る方向に行きがち。

でも、それでは
自分のやりたいことができなかったり
向かいたい方向に合わない
ということなら
自分が変わるか必要があります。

よくあるのは
「人見知りだから」
「口ベタだから」
のようなことを
マインドが閉じている理由にしがちだけど
誰だって最初はそんなもの
それをどうするか?が問題です。

人は組織の中で生きるもの。
組織の中で自分は何を求められているのか
組織のために何をできるのか
を考えて実行することが重要です。

誰からも何も求められないのは楽かもしれないけど
それでは存在の意義がない。
これは不幸です。

マインドが開いていると
もちろんそれによって
失敗したり傷付いたりというのもあるだろうけど
それと引き換えに成長もできる。

で、それが他の役に立つのであれば
存在の意義があるということになって
ハッピーだよね
ということです。
幸福度が高いというのはそういうことでしょう。

思いを
出して
ぶつけて
変えたり
受け入れたり
そんなこんなで成長するわけですね。

ダメ出しは人生の研磨剤

成長するには評価が必要
現状が分からないと先に進めないから。

自分でやったことに対して
自己評価や自己点検をしても
自分が大丈夫だと思っていることは
大丈夫なようにしか見えません。

そのまま進んでみて
壁にぶつかったり
崖から落ちたりするのも
良い経験なのですが
限られた時間内にできるだけ成長したいなら
悠長なことを言っている場合ではありません。

外からの評価を入れて
自分の立ち位置を確認すれば
現状の確認ができます。

それを元に考えれば
どうすべきかが見えたりします。

ある程度経験を積めば
客観的な視点を持って自己点検できるのだけど
ビギナーには難しい。

でも、経験が無いうちって
外部評価が怖いのですよね。

ダメだって言われるのは嫌なことでしょう。
そりゃそうだ。

でも、宝石の原石は磨かないと光らないのですよ。

若いってことは
時間という最強のリソースを持っている原石のような状態です。

人生のどこで輝くか
それを決めるのは自分自身ですが
そのためには磨かないといけない。

ちょっとやってみて
まだ光ってもいないのに
早々に諦めるのも自由です。

でも、ダイヤモンドみたいに最高に硬い鉱物は
磨いて光らせるのも大変なわけで
ちょっと磨いてみて諦めるのはもったいない話です。

さぁ、限られた時間で
どこまで磨けるかな?

「何ために」はどこに向いてる?

当たり前の話なのですが
仕事は人のためにするから価値があるわけで
その辺を学生に理解して欲しいな
と思ってはいますが
若い人には理解しにくいことの
一つなのかもしれません。

でもいいのです。
そんなことは色々やっていく中で経験して
気付きを得ればいいでしょう。

コンペティションで勝ちたいなら
単純に「やってみたい」
「勝つためなら何でもアリ」
で良いと思うのです。
興味や優位性、独自性は大事ですから。

学生のうちは
特に初動においては
まずはそのような価値観で動いて良いと思います。

大抵は視野が狭くて
ピンポイントなところに魅力を感じたりするわけで
内的な欲求や私的な成果のために何かをやろうとするわけで
それが入り口でも良いと思います。

経験が不十分で視野が広がっていないうちから
「他のために」というのは理解できないでしょうから。

それを理解してからものごとに取り掛かる
ということができれば良いかというと
そうでもありません。

狭い視野で我欲に突き動かされて
失敗して行き詰まって
そこで得られる気付きというのは
単に人から教わるのとは重みが違います。

失敗や行き詰まり
それを克服すること自体が成長ですから。

いっぱいものごとを知るのが成長ではないのです。

なので、「まずやる」「ダメなら変える」
くらいで良いのだと思います。
というか、それがベストです。

最初は内的で私的であっても
続けていくうちに
それでは継続できず
成果を出せず
自分達を支えてくれているもののために
成果を出すべきだと気付く。
これが学びで成長だと思います。

そして成長していって
最終的にどこに向く必要があるかというと
社会に向かなければならない。

社会のためにならなければ
それらは価値を持たないし
そもそも公益がないものは持続不可能ですから。

というわけで
最初からパーフェクトである必要はないし
むしろそうあるべきではないのかもしれません。

最初から考えすぎると動けなくなるし
間違った考えで動いてしまって
それに気付くのも学びだから
どんどんやって
転んで立ち上がって
ジタバタすればいいのですよ。