利他とか利己とか

「他の利益のために」なんてきれい事だ!

という考えもあるでしょうから
今回の記事を書いてます。

そういう風に思っちゃうとしたら
当然ですが
自己の利益を最優先に考えているからだと思います。

そんなあなたに
この「きれい事」のメカニズムを解説しましょう。

あ、別に、そんなあなたじゃなくても良いのですが。

極端に考えると分かりやすいです。

「他の利益のために」
の反対にあるのは
「自己の利益のために」
です。

これだけだとピンとこないでしょうから
時間軸を付け加えてみましょう。

「今」

「長期的に」
です。

これらの組み合わせから
極端な二つをあげるとすると

今、自分が良ければいいのだ

長期的に、皆のために
になるでしょう。

さて、ここで一度視座を変えましょう。

そんな風に自分が考えているとしたら
から
そんな風に考えている人がいたとしたら
として

あなたは
異なる反対の考え方を持った二人を見ています。

そしてあなたは
何かしらのチャンスを持っていて
それを手渡す相手を探しています。

そのチャンスは何でもいいです。
例えば、どこか他所から受けてきた
面白そうな仕事とか。

そのチャンスを上の二つの考えを持っている二人の
どちらかに手渡すとしたら
どちらを選びますか?

「今、自分が良ければいいのだ」

という人には
間違っても渡さないでしょう。

そういうことです。

でも、チャンスをもらえなかった人は
なぜそうなったかが分からないことが多いです。

自分は運が悪いとか
不公平だとか
そんな風に思うかもしれませんね。

利己的な人でも
いわゆる出来の良い人はいますね。

出来が良いからといって
そういう人にチャンスを渡しちゃうと
大抵はロクな事になりません。

利益の対象の範囲と
時間軸の長短を組み合わせると
面白いことになります。

「今、自分だけが良ければいいのだ!」
これは犯罪者の心理です。

「長期的に、自分だけが良ければいいのだ!」
これは欲深い人で寂しい人。

「今、皆がハッピーになるといいな!」
これは良い人。楽しい人。

「未来永劫、全人類が幸福でありますように!」
そのためにあらゆる犠牲をいとわないなら、それは神様。

一番上と一番下を全力でやり始めたら
ちょっと怖いかもしれませんので
別に極端である必要はないのですが
どの辺でやっていくかは、あなたの自由です。

でも、下寄りの方がハッピーでしょうし
世の中は良くなるでしょうね。

どうもうまくいかないな
という人は、この辺を調整するといいでしょう。

で、どうせやるなら
自分の好きなことや得意なことで
皆に喜んでもらえるのがハッピーですよ。
その方が頑張れますしね。
何度も言ってて恐縮ですが。

こんな知ったような偉そうなことを書けるのも
自分が散々やらかしてきたからというのと
色々なところに身を置く機会を頂いて
色んな経験をさせてもらえたからだと思っています。
ありがたいことです。

私の仕事

私は大学では教員なので
授業があれば教えますが
できれば教えたくないのです。

職務怠慢?

いえいえ
教えれば教えるほどできなくなるからです。
何度もネタにしていますが。

授業は仕事だからやります。
もちろん興味深いネタを教えてあげれば
食い付きも良かったりして
そこそこ頭に入るでしょう。

でも、そういうのにグイグイ食い付いてくるのは
モチベーションの高い2割くらいです。

残りは
やれと言われればやる4割と
やれと言われてもやらない2割
そんな感じです。

それに、それがうまくいっても
「知っているだけ」です。
何かができるわけではありません。

卒業したら、教わったことの
ほとんどは忘れちゃいます。

別に悲観しているわけでもなく
本学が特別ダメなわけでもなく
世の中そんなものです。
学校でも会社でも。

夢工房での学生との付き合い方は
ちょっと参考になるかもしれません。

ここでやっていることは授業ではありません。
学生の主体的な活動です。

その中には、卒業研究生の4年生も混ざっていますが
彼らは、やりたいことをやるために
私の研究室に入ったわけだから
チームの一員として自主的にやりたいことや
やるべきことをやってもらいます。

というわけで
ここ、夢工房での私は
「あれやれ!これやれ!」
という教員ではないのです。

立ち位置としてはアドバイザーです。
アドバイスをします。

なので、アドバイスをするための「元ネタ」が必要です。
それに対してアドバイスをするのです。

彼らがやっていることに対して口を挟む
といったこともありますが
そういったことは理想ではないです。

彼らが提供してくれたネタに対してアドバイスをしたい。

なので、元ネタが提供されなければアドバイスはできません。
また、完璧なものが提供されたらアドバイスは要りません。

ところが、学生はどう考えるかというと…

間違っているかもしれないからアウトプットできない
完璧にしてからアウトプットしたい
だってそうしないと先生は「ダメ」って言うから。

そりゃ言うよ。
それが仕事だから。

まぁ、気持ちは分かります。

大事なのは
とにかくやること
ダメでもいいからやってみること
ダメでも良いからアウトプットすること
そしてそれを改善すること

学生達がすべきことは
正解を出すこと
じゃなくて
良くすること
解決すること。

もちろん、勇気とか努力とタフネスが必要ですが
そんなの当然のことで、それが現実です。

学生のうちは、うまくいくことより
むしろうまくいかないところに
おいしいところが隠されています。

作った部品だろうが図面だろうが
それを作った人そのものが
作ったものに現れます。

なので、アウトプットすると
何を考えてどうなったのかが分かるし
それがあればその後の方向性も分かる。

何より、ダメなのを良くしていく
というプロセスこそが重要なのです。
それが成長そのものだから。

それに、そういう風に動けないなら
社会に出てから自ら成長できません。

学生のうちに成功すれば
それはそれで結構なことだけど
大事なのは社会に出てからの戦闘力です。
自動的に成長できるような下地が作れれば
それはもう大成功!

インプットしたことを単にアウトプットするような
指示待ちの「生きるパソコン」を作っているわけではないのです。

中道でどうだい?

若い頃ってのは
合っているだの間違っているだの
善だの悪だの
極端な考え方に走りがち。

中途半端なグレーゾーンは大嫌い
とかね。

経験を重ねるうちに
そんな二元論じゃどうにもならなくて
世の中曖昧なものだらけで
それもまんざら悪くないし必要なことだよなぁ
なんてことが分かってくるのだけど
こりゃぁ一体何なのだろうと考えることがあります。

極端なものの考え方ってシンプルですね。
こういう簡単なやり方って
スッキリと心が満たされるんですよね。
割と簡単に。
効率が良い考え方とも言えます。

対して曖昧なもの、曖昧な考え方…
なんか表現が良くないな。
両極端に走らない考え方ってことなのですが
そういうのを「中道(ちゅうどう)」とか
「中庸(ちゅうよう)」って言いますね。
曖昧な状態でものごとを受け入れて認めるって
結構難しかったりします。
スパッといかなくて妥協が必要です。
単純に短時間に、とはいかず
効率が悪いです。

若い頃は、こういう中道的な考え方って
難しくて面倒だから避けがちで
さらに言うなら
いわゆる理系の世界も
中道的な考え方は馴染みません。

でも、世の中は矛盾だらけで多種多様。
なんでもかんでも白黒付けて
割り切れるものではありません。

中道は理系には馴染まない
と言いましたが
実は、何かを設計するときだって
「絶対」なんてことはなくて
「こんなふうににしたいなら
こっちはちょっと妥協しないとね」
とか
そんなことやってるんですよ。
あっちを取ったらこっちが立たずで
そうしないと収まりが付かない。

あ!そうか!
だから若いコは設定を決めるのが苦手なんだな。
妥協できなくて
あれもこれも立てようとするから。

極端な考え方も時として必要なこともあるけど
それは絶対ではない。
効率は良いかもしれないけど
いろんなものを排除したり対立したり
ってことになりがち。

中道的な考え方は
曖昧で非効率で
満足度は低いかもしれないけど
それはそれで長期的にものごとを考えたり
進めたりするには必要なこと。

何でもかんでもルール化したり数値化したり
バッチリマニュアル化したり
そんなことをすると
短期的には安心なのかもしれないけど
それはそれで弊害はある。

あうんの呼吸とか
暗黙の了解
みたいな世界は
曖昧でスッキリハッキリしないかもしれないけど
そういうのでうまく収まっているなら
それはそれで幸せな世界なのかなぁ
なんてことを考えたりしてます。

とはいえ、グローバル化した世の中じゃ
そういうのは難しいのでしょうね。

おっと!
勝ち筋がちょっと見えた気がするぞ。