勉強と書いて…

ある人のメールマガジンを読んでいて

勉強とは、学ぶことを強いると書く。
強いられるのは嫌。
だから勉強が嫌い。

といったような内容がありました。
この人、社会的な地位があるお医者さんなので、凄い博学の人です。

でも分かります。
私も強いられるのが嫌いです。

しかし、他から課されたタスクでも、自分が同意できれば問題なし。
なので、仕事に没入するためには、その仕事を好きになるしかないのです。
どこかしら良いところや、やり甲斐を感じられる部分を見つけないと頑張れない。

そう、好きな仕事を選ぶのは大事ですが、選んだ結果が当初思った通りとは限りません。
そもそも、どんなに理想的な仕事だって、やっていれば壁にぶつかったり、嫌な思いをするなんて当たり前です。
その度に転職なんてしてたら、いつになっても困難を克服する力は身につかないし、恐らく転職する度に身を落としていくでしょう。

なので、仕事を好きになるための努力は大事なのです。
でも、意味が分からないものには同意できません。
そういうものは好きになれない。

強いられた同意できないことでも粛々とやれる
それも才能なのでしょうね。
果たしてそこに熱が入るのかってのは疑問で、ちっとも羨ましくありませんが。
まぁ、人にはそれぞれ役割があるってことでしょう。

で、思うのは…

本来、同意できないと熱が入らない人も、課されたものをやらされる訓練を継続すると、心に火が付かなくなってしまうのではないかと。

近年、そいうケースが多いのではないでしょうか。
ゼロヒャク思考がはびこるのも、欝傾向の人が多いのも、そういうのが原因の一つなのではないかな。
ひたすら楽な方向へ行きたがるのも同様でしょう。

だって、好きなことをやっているなら、ゼロヒャクみたいな極端では無く「良い加減」のところにもフォーカスできるし、壁を突破するために工夫もできると思うのだけど、どうなのでしょうね?

という感じに、本来持っているポテンシャルを活かせないまま封印されているとしたら、それはもったいないことですよね。

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