「君ならできる!」

と言われたらどう思う?

「え~無理だよ」
と思いますか。
うん。きっと無理です。

「そうか!じゃぁ、やってみよう!」
と思いますか。
そうですね。きっとできるでしょうね。

「お前なんかダメだ!」
と言われたらどうですか?

「…そんな言い方しなくても…」
と、ガッカリしますか?
残念ながらダメかもしれません。

「何言ってやがる!ダメなわけないだろ!」
と燃えますか?
そうですね。ダメなわけないです。

ちなみに
そういう状態で燃え上がるのを
昔の人は
「発憤する」
と言いましたが、今や私語ですね。
大事なキーワードが死語になるのは残念ですね。

100年以上も前の人ですが
イギリスの作家、ジェームズ・アレンはこんなことを言いました。

「強く思うことは実現する」

「何でだ?」
と興味を持ったら試してみて下さい。

世の中には色んな名言がありますね。
そのほとんどは
経験から導き出されたもので
後世に役立てて欲しいから
と残されたものです。

君のために。

名言を信じて
その通りにやるとかやらないとか
人によって色々でしょうけど
「お!マジか!?」
と思ったら
まずは試してみたら良いと思います。
そこから学べることは多いはず。

自分で試して
自分のオリジナルの理屈ができたら面白いでしょうね。

でも、往々にして
自分のオリジナルかと思っていたら
昔々に同じことを言っている人がすでにいたりして
そんなのに気付くのもまた一興。

そうそう
「信じてやってみたらダメだった
あれは嘘だ」
なんて講釈をたれても
面白いことは起きませんし
言っている本人の価値は向上しませんので
そんなことを言っている暇があったら何かやりましょう。

名言の多くは
先人達が苦労の上に導き出した素敵なソリューションな訳ですが
もっと素敵なのは
それを素直に信じて行動する者自身だったりする
と思っています。

みんな頑張ろう!

変化できたりできなかったり

進化とか成長とかって
既存の枠から外れたり
今までとは異なった状態であるはず。

でも、人は変化を嫌う。

それが
どういうことに関してなのかとか
どの程度なのか
といった違いはあるだろうけど

必ず心のどこかしらに
そういう部分を持っているはず。

変化を嫌う心が強くて
それを色々なところに適用している
ということになると
成長できない
ってことになるのかもしれない。

では、何でもかんでも変化しまくりで
安定性ゼロ
ということになると
それは…

狂人です。

なので、変化を求めながらも
安定した部分を心のどこかに持っていないと
変化を有効に利用できないことになります。

凄い仕事を成し遂げた人に
変わった人が多いのは
この辺が理由でしょうし
「研究所」とか呼ばれる職場には
変な人が多いのも当然です。

本当なら
自分のどの部分をどれくらい変化させるか
そんなことを自由にコントロールできると良いのですが
なかなか難しいでしょうね。

変化させたい人より
安定させたい人の方が
圧倒的に多いはずですし。

それにこれ
意識していない場合がほとんどです。
なので、なおさらコントロールが難しい。

同じ事の繰り返しは耐えられない者もいるし
変化したいのに同じ事を繰り返してしまう者もいる

色々いて良いのだとは思います。
多様性こそが人間の進化の源だから。

皆同じだったら
面白くないし
危なくてしょうがない(笑)

新しいものを作る場で活躍するのは
圧倒的に変化を望む者だとは思います。
でも、そこには安定を望む者も必要。

興味深いのは
安定を望んでいないのに
むしろ変化を望んでいるのに
無意識のうちに安定を選択してしまう
そんなことがあること。

そんなやり方で
果たして変われるのか?
なぜ変わるのか?
いつ、どの程度変われるのか?
変われなくても
本人が納得できるやり方はあるのか?

そんなことだったりします。

でもまぁ、少なくとも
変化を楽しめないとどうにもならんかな
とも思いますね。

社会に出れば
そういうのは自然と形づくられたり
落ち着く先が定まったりするのでしょうけど
学生のうちに試せることは多いはず。

チャンスを有効に活かしてほしいものです。

こだわらず 離れる

チャレンジが多ければ失敗が多いのは当然なのですが
失敗から来るネガティブな感情にとらわれて
そこに「執着」「こだわり」が生まれてしまうと前に進めなくなります。

当然と言えば当然なのですが
実際に、これを何とかするのは結構難しいことです。

これは、ネガティブな感情に限らず
我欲や、目の前の仕事などに対しても同様で
仏教では、この執着から離れることを説いていますね。

目の前に見えているものが全てではない
そこから視野を広げて
今の自分は何をすべきかを考える必要があるのでしょう。

と、そんな事がある一方
自分がやりたいことなどは
強い執着心が原動力になったりします。

お釈迦様は
我欲や執着が苦悩の根源だとも仰っています。

己の欲望と
自分がおかれた現状のギャップが
苦悩の根源だということですね。

でも、現実と理想のギャップが
パワーの源だったりもします。

こんな風に書いてしまうと
なんか矛盾だらけのような気もしますが
「理想」を我欲ではなく
自分以外の人のため
とすれば話は変わってくるんだよ
と思えば
なんかすっきりする気もします。

我欲は身を滅ぼすが
他人のためなら話しは別だ
と。

なので
自分のやりたいことと
他の利益になることの摺り合わせは大事でしょうし

こだわるべきものと離れるべきものを
はっきり分けて行動できると良いのではないでしょうか。
断捨離だって、そういうものでしょう?

100%他人のために行動できるなら
そりゃ聖人君子で神様なんでしょうが
人間はそう簡単にはいきませんわね。

でも、それが少しでもできるなら
多くの人が喜んで
必要としてくれるでしょう。

もし、100%自分のための行いばかりなら
うまくいかなくて当然かもしれません。

なぜ?なんて聞かないで下さいね。