今どうすべきか? 確実なもの

先の見えない現状で、確実な線で行きたい
としたらどうすべきか?

まぁ、今に限ったことではありませんが、堅い線がありますよ。

簡単に手に入るものは価値が低い

これは常識ですが、逆を行けば良いのです。
そんなことは誰でも分かることなのだけど…

「じゃぁ、何をどうやるの?」
というところがポイントです。

ここで大事なのは、自分で考えること。

低調になったときや、困難に遭遇したとき、権威のある情報源などを参考にするのは良いと思います。
でも、大事なのは自分で考えることです。
特に成長過程で困難に遭遇したときはなおさらです。

どうしようもない危機的な状態の場合は、話が違ってくるかもしれませんが。
そういう場合は、自分で考えて、その結果にをメンターに相談するのが良いかな。
そう、メンター的な人がいると良いですね。
友人や親や先生だと、色々バイアスがかかるから。

話を戻します。

成長過程で、考えて、決めて、行動する
これはとても重要。

「じゃぁ、何をどうやるの?」ですが…

これは実にシンプル。

自分が好きなことのうち、皆がやらないことでタフなこと
これに尽きると思います。

誰かがそう言ったから

これは危ない。
そもそも、誰かが言ったことなんて、独自性が無くて、優位性が無くて、価値は最小限になるのですよ。

そして「楽なこと」

これも危ない。
理由は同じです。そんなの誰でもできるから。

好きなことでタフなことにチャレンジする

別に強烈にタフなことじゃなくても、ちょっぴり勇気が要ることでも良いのですが、そういったことには希少性があります。
好きなことなら続けられますしね。

そのプロセスで学ぶことは多くて、その多くがいわゆる実践知です。
これからは形式知はAIに任せていく時代ですし、実践知は多くのことに応用が効きます。
多くのものごとの本質的な部分は共通点が多いから。

なので、気になること、好きなことに日々チャレンジすべきなのです。

今どうすべきか? 思考・行動編

何をどう考えてどうする?なんてのは個人の勝手です。
まぁ、あらゆることにおいて個人の勝手なんてことは無いのですけどね。

今後の世の中が大きく変わりそうだというのは多くが感じているところでしょう。

環境問題
資源の問題
世界情勢、特に戦争とか紛争、国防に関する問題
少子化・高齢化
食糧問題

学生なら就活やら何やら、プライベートな問題もあるでしょう。

問題だらけですね。

これだけ問題があれば、情報はいくらでも入ってきます。
大事なのは、情報に対してどう対処すべきか、というか反応すべきかです。

正直なところ、色々な問題に対して一々反応してられません。
我々にできることにも限界がある。
かといって全く無視するわけにもいきません。

で、どうするか?
ですよ。

一つの選択肢は、それらの問題に反応して対処すること。

もう一つは…対処しないことです。
いや、全く無視するというわけではありません。
できることはできる範囲でやればいい。
でも、手に負えないことを気に病んでも仕方ないのですよ。
問題について死ぬほど悩んでも、何も解決しないのです。

だからといって、何もしないということではなく、別な方向を見ましょうよ、動きましょうよ、というのが今回の提案。

問題はネガティブですね。
そのネガティブなことを解決するところに力を注ぐのでは無く、ポジティブな方向で行きましょう。
思い悩むだけで無く、行動しましょう。
その結果、問題が問題でなくなることもあるのです。

今回のネタは別に具体的な何かがあるわけでは無いのです。
明るい未来に貢献するためのチャレンジを考えてやってみましょうよ、という提案なのです。

問題だらけで、そこにフォーカスしていると、硬直して守りに入って、受け身になってしまう。
そして頭の中でいくらグルグル考えていても、頭の外の世界は1ミリも変わりません。

なので、こんな世の中だけど、ポジティブな何かを発想してチャレンジするのはどうでしょう?
こんな時代だからこそ必要なことです。

こういうことを言うと、そのチャレンジの成果が気になるところです。
もちろん良い成果が出るとハッピーなのですが、チャレンジしている事自体がポジティブな環境を作るはずです。
必ず何かに影響を及ぼせるはず。

この雰囲気に流されず、考えて、決めて、やってみる。
別にこのご時世に限ったことではありませんが、これしかないでしょう。

勉強と書いて…

ある人のメールマガジンを読んでいて

勉強とは、学ぶことを強いると書く。
強いられるのは嫌。
だから勉強が嫌い。

といったような内容がありました。
この人、社会的な地位があるお医者さんなので、凄い博学の人です。
でも勉強嫌いなんですって。

でも分かります。
私も強いられるのが嫌いです。
博学じゃないけど。

しかし、他から課されたタスクでも、自分が同意できれば問題なし。
なので、仕事に没入するためには、その仕事を好きになるしかないのです。
どこかしら良いところや、やり甲斐を感じられる部分を見つけないと頑張れない。

そう、好きな仕事を選ぶのは大事ですが、選んだ結果が当初思った通りとは限りません。
そもそも、どんなに理想的な仕事だって、やっていれば壁にぶつかったり、嫌な思いをするなんて当たり前です。
その度に転職なんてしてたら、いつになっても困難を克服する力は身につかないし、恐らく転職する度に身を落としていくでしょう。

なので、仕事を好きになるための努力は大事なのです。
でも、意味が分からないものには同意できません。
そういうものは好きになれない。

強いられた同意できないことでも粛々とやれる
それも才能なのでしょうね。
果たしてそこに熱が入るのかってのは疑問で、ちっとも羨ましくありませんが。
まぁ、人にはそれぞれ役割があるってことでしょう。

で、思うのは…

本来、同意できないと熱が入らない人も、課されたものをやらされる訓練を継続すると、心に火が点かなくなってしまうのではないかと。

近年、そいうケースが多いのではないでしょうか。
ゼロヒャク思考がはびこるのも、欝傾向の人が多いのも、そういうのが原因の一つなのではないかな。
ひたすら楽な方向へ行きたがるのも同様でしょう。

だって、好きなことをやっているなら、ゼロヒャクみたいな極端では無く「良い加減」のところにもフォーカスできるし、壁を突破するために工夫もできると思うのだけど、どうなのでしょうね?

という感じに、本来持っているポテンシャルを活かせないまま封印されているとしたら、それはもったいないことですよね。