お釈迦様の教えから…One for all, all for one

悟りを開いたお釈迦様の最初の教えは
このようなものだったそうです。

人間の生きていることそのものが苦であることを知れ。
苦の原因は欲望と執着であることを見極めよ。
その原因である欲望や執着を捨て去り滅せよ。
そのために八つの正しい道を実践せよ。

正しいものの見方をし
正しいものの考え方をし
正しい言葉を話し
正しい行いをし
正しい生活を心掛け
無理のない適切な努力を重ね
決して教えを忘れず
正しい瞑想と心の解放に励め

私は仏教徒ではありませんが
(でも、日本人の自分は
仏教を信じていない
と断言するのは難しいですが)
お釈迦様の教えには
大いに頷けるものがあります。

上記の「最初の教え」は
弟子達に向けたものですが

苦の原因は欲望と執着であることを見極めよ。

という一文は
全くもってその通りだなぁ
と思います。

例えば
自分の将来を考えて
年金はちゃんと支給されるのだろうか
とか
年金だけで生きていけるのだろうか
なんてことを心配し始めると

じゃ、今のうちから貯蓄を…
とか
副業を…
なんてことを考えたりすると思います。

学生なら
生涯年収が…
とか、自身の金銭に関する欲を根源とした
不安が頭をもたげるかもしれません。

それを動機とした行動
つまり仕事をするかもしれませんが

果たしてそういう動機で仕事をして
うまくいくのでしょうか。

皆が皆
自分の将来の不安を解消するために行動したら
もしくは
自分の欲得を満たすために行動したら
それだけだったら
果たして世の中はどうなっちゃうのでしょうか。

そんなんじゃ良い世の中にはなりそうにもありませんね。
これ、ちょっと極端な考え方ですが。

さて、人がチームで活動するときに
自分の果たしたい欲求はあって当然ですが
それを最優先に行動しても
チームとしての目的は達することはできません。
これは当然。

昔からよく言われますよね
チームプレーが大事
とか。

みんなそんなことは分かって…いるのか?
本当に。

見た目だけで仲良くしてりゃぁいいってもんじゃないんだぞ
腹の中はどうなってるんだい?

なんてことを再確認して
さて、どうしようかなと考えて

One for all, all for one

だよなぁ
なんて思ったりして。

それぞれの個が皆のために頑張って
共通のゴールを達成するのですよ。

そんなのきれい事?

きれい事も通らない世の中なんて
何か間違っているんじゃないの?

将来への不安や恐怖を動機として
色々と手元にため込む

そんな行動ではなく

個の欲得への執着から離れて
他にバンバン価値を提供できるようになれば
それはもうハッピーなことになると思うのです。
周囲も自分も。
そう、自分も!

若いうちに
チームで共通の理想を立てて
そのために全力を尽くす
そんな経験ができたら最高で
きっと将来は
世の役に立つエンジニア
になってくれることでしょう。

コロナ禍で得られたこと

本学の今期の授業はほぼ終わりました。
で、あっという間に年末です。

このコロナ禍に見舞われて2年くらい経つのですね。
早いものです。

世の学校では
軒並み学生の成長が低迷しているのでしょうか。

今の2年生は
入学してから実践的なことは
ほとんどできていなかったりするのではないでしょうか。
授業はオンラインばかりですものね。

大学によっては
「学費返して」
みたいなことになっているそうです。

本学の実情で言うと
オンライン授業だからといって
コストが掛かっていないわけではありません。

むしろ大学はオンラインに伴う設備の増強とか
大工事をして教室に新たに換気設備を導入したり
教員はオンライン用に授業の内容を考え直したり
資料を丸々作り直して準備したり
正直なところ平常時より大変だったりします。

でも、そういったことは在宅の学生からは見えませんものね
「金返せ」と言いたくなるのも仕方ないのかもしれません。

この間、夢工房はどうしていたかというと…

当初、手を使った実践的なことを
できる限りやろうとしていましたが
早々に諦めて
オンラインだからこそ可能なことに注力する
と腹を括っていました。

なので、いわゆる「人間学」の方向にシフトして
エンジニアとして
人として
どうあるべきなのか
そんな内容と
オンラインでも可能な設計作業を進めることにしました。

ただし、ミーティングや現状報告や質問の頻度は結構高めにして
とにかくコミュニケーションの機会を増やす方向で。

とはいえ、そんな状態が2年も続くと
さすがに脱落する学生も出てくるわけですが
残った学生の数は思いのほか多くて
彼らのモチベーションは結構高かったりします。

なので、ボチボチ実作業ができるようになった最近では
かなりの勢いで成長しています。

スキル面もメンタル面も伸び放題です。

オンラインの状態でモチベーションを上げて
反面、実情はやりたいことができないわけですから
「乾いた」いわゆるハングリーな状態になっていたのでしょうね。

これは、夢と現実のギャップが大きくて
そのギャップを埋めたいという欲求が高まっている
理想的な状態です。

そんな状態で実作業ができるような状態になったので
それこそ乾いた砂が水を吸い込むように
凄い勢いで成長しています。

毎年行っていた海外大会も
2年連続で遠征中止となってしまったわけですが
それでも学生達は落ち込むわけでなく
次へ!次へ!!
となっています。

正直なところ
4年生は、本来行けるはずだった
海外大会を2つもロストしてしまったわけですから
大変気の毒ではあるのですが
それでも何かしら得るものはあったはずです。

誤解を恐れずに言わせてもらえば
人生の中で
こんな大規模な疫病に遭遇して
乗り越えた経験なんて
そうそうできるものではありません。

そこでの経験は
いずれきっと活かせる時が来るはずです。

なので
全然損した気はしないのですよ。

失ったものや得られなかったものを考えても
何も良くなりませんから。

むしろ良い経験したと思っています。

さて、来年はどうなるかな。
今から楽しみで仕方ないのです。

人はなりたいようになる

適性とか資質とかありますよね。
宿命とか運命とかもありますね。
性格なども同様だと思うのですが…

今の自分の現状は
なんか仕方なく決まっちゃったような
いつの間にかそうなっちゃってるような
そんな気がしませんか?

恐らく、こういったものは
大抵の場合
本人が意識せずに
自然と形づくられているはずです。

確かに先天的なようなもの
生まれながらにして
すでに決定づけられているようなものは
あると思います。

そしてそれは結構強力です。
ちょっと逃れがたい。

でも
もし現状に満足いかないとしたら
どうしたら良いでしょう?

何かやりたいことができちゃったけど
自分の考え方や、やり方では無理だぞ
となった場合などです。

現状の自分が
なぜ今のようになっているのか
と考えると…

もちろん満足いっていないことや
気に入らない所もあると思うのですけど

結局は好きでそうなってるのだな
と思っています。

何かを変えようとしても
他の「ある何か」を優先して得ようとすると
そうならざるを得ない
そういうことなんだろうな、と。

分かりやすいところでいくと

得たい何か

それを実行するには障害となる何か
それらを天秤に掛けて
障害となる方を選んでいる
…というか、障害となる習慣や考え方をやめられない
とういうことなのだと思います。

もちろんそれは
無意識だったりして
自動的にそうなっている。
なのでますます手強い。

というわけで
満足いかない現状は
無意識の自分が選んでいる結果だ
ということです。

ある意味
なりたいようになっている
ということですよね。

たぶん、これに気付かなければ
何も変えられない気がします。

だって無意識だから
気付きようが無い。

なんか凄い矛盾のような気がしますが
無意識の存在を認めれば
それを発見することは不可能ではありません。
自分の行動を確認して
「何でだ?」
と考えれば良いのです。

ただ、ここで
「何でだ?」
の結果に対して執着しすぎて
悩んではいけません。

過去は変えられないので
それをやると自信を喪失して
モチベーションが下がります。

なので
「じゃ、こうしよう!」
と次のチャレンジを決めましょう。
それをやってみて欲しい結果が得られなくても
また変えるなり
継続してみるなりすれば良いのです。

これ、意識的な行動ですね。
繰り返すと無意識となって
習慣が上書きされます。

ということは
意識的に
なりたいようになれるわけです。

これが今日のネタの結論です。

これを
どのようなレベルまで適用するか
それは自分次第です。

うまくいくためのポイントは分かっています。

好きなことをやることです。
もしくは
やっていることを好きになることです。

好きなことのためなら頑張れますから。

言うほど簡単ではありません。
私も分かっていながら
ジタバタやってる修行僧ですから。

でも、簡単じゃないから価値があるのですよ。