夢と目標の関係

夢が無い人って、夢と目標が別だったりしませんか?

幼稚な子供じみた非現実的な希望が夢で
現実的な希望が目標とか

もしそんなふうに考えているなら
「夢は何?」って聞かれても
簡単には答えられなかったりするでしょう。

どうでしょう?違ってますか?

夢と目標は別ではなくて…

夢とかビジョンとか
抽象的でボンヤリしたものが上位にあって
それに具体性を持たせて落とし込んで
達成するための目標とか
そのための手段とか
下位に行くにしたがって
より短期的で具体的になっていく
という構造です。

夢の具体化のために目標が必要なのであって
それらを分けて考えるのではなく
同一線上に乗っているということです。

レベルの低い無難な目標を立てると
「現実的だ」と言って褒める人がいるけど
それは自分の想像の範囲内でコントロールできるから
安心して喜んでいるだけ。

高い目標にチャレンジして
失敗したところで何も損はしません。

それをあたかも損をしているような
そんな捉え方をする価値観に感染してはいけません。
それが元でビビっちゃっていたら
チャレンジなんてできないでしょう。
その結果、価値を生み出すことができなくなります。

そもそも
レベルの低い無難な目標の到達ばかり繰り返していて
そのうち大きな目標にチャレンジできるようになるのでしょうか?
どうもそうは思えません。

デカいことを言う(やる)前に
まずは堅実に…
というのが良くある話だと思いますが
それって本当に順当なアプローチなのですか?
どうもそうは思えません。

最初はそういうのが順当なやり方のような気がしますが
そんなのを繰り返していると習慣化します。

習慣になっちゃったら
意識の外側の問題ですので
もう自分からは見えません。
自動実行の対象です。
意識しなくても
それが自動的に繰り返されていきます。

すると未来はどうなるか?

全然無難じゃなくなりますね。
皮肉ですが、そういうことです。

考え方が逆…なのだが

このブログでは散々
ゴールだの何だの言ってますが

まぁつまり
将来のビジョンというかイメージというか
そういうものですね。
夢と言っても良いかもしれません。

長期的だったり短期的だったり
大きいとか小さいとか
色々でしょうけど。

そういうのを持てない人もいるのではなかろうか
と思うのですが
どうなのでしょうね。

何となく希望があっても
それを明確にできない場合もあるでしょう。

自信が無くて言うことができなくて
心の奥底に秘めておいてあるとか。

多くの場合、そういうのって環境とか習慣とか
そういうのから来てるのだと思いますけど。

人によって色々あるでしょうけど
でも、公言しちゃった方が良いと思うのです。
それが習慣になれば
もしかして人生変わっちゃうかもしれませんよ。

だって、人は口に出したことを自動的に実行しようとするし
ひょっとしたら、それを聞いて力を貸してくれたり
助言をしてくれる人が現れるかもしれません。

それに「類は友を呼ぶ」と言うでしょう。
同じ志を持った仲間がいれば励みになりますし
良いアイデアも出るでしょう。

内に秘めておくよりは
間違いなく実現に近づきます。

「そんなの無理に決まってんだろ」
という人がいたらどうしましょうね。
ネガティブ側から入っていく人、大抵いますけど。

そんなときは距離を置けばいいだけの話です。
どうせそういう人の近くにいても
大したメリットはありませんから。

たぶん説得も無駄です。
勝手に色々やっちゃった方がいいです。
時間がもったいないし
逆に少なからず影響を受けてしまって
消極的になりますから。
これが一番危険かもしれません。

いつの間にか
「夢の実現」
みたいな話の流れになっちゃいましたけど
ちょっとした計画なんかでも同様です。

ビジョンを明確化してゴールを設定しない限りは
いつまでに何をすれば良いかなんて決まるはずはないのです。

知識が、実力が、経験が無いから
なんて悲観することはありません。

「理想」と「現実」の間のギャップを
埋めるための努力がチャレンジで
それによって成長するのですから。
何かが足りなくて当然です。

さて、ここまで理解して頂けたら
「いずれ実力が身に付いたらやるぞ!」
なんてのが、いかにおかしな発言かお分かりでしょう。

今やろうよ。

考え方が逆だぞ

ものをつくる学生の面倒を見ていると
なかなかやっかいな…
というか
これ、何とかならないかなぁ
と思うことがあります。
というか、毎年あります。
新入生は、ほぼ100%
このケースに当てはまります。

それは
考え方が逆だぞ
ということ。

今まで何度か記事にしていますが
きっと今後もこの内容の記事を書くでしょう。

ものごとを考えるとき
「結局どうしたいのか」
というゴールから考えずに
手元から考えたりするのは
逆です。

未来から逆算して
そのために何が必要かを考えて
今、どうすべきかを決めるのです。

特に、ものをつくるとき
このアプローチは重要です。

どんなものが欲しいか
とか
今、何をすべきか

それで何をしたいかとか
どういう成果が得たいかとか
いつ、どのような完成形が欲しいか

という「ゴール」によって決まります。

いつ、何をすべきかという日程は
今現在を起点として
未来に向けて組み立てるのではありません。

いつ、最終的な形になっている必要があるのか
で決まります。
そのためにどうするかを
未来から逆算して
現在まで遡って決めていくのです。

一つの小さな部品は
どのような完成形が欲しいのか
で決まります。

なので
「とりあえず今、この小さな部品を作ってみよう」
なんて考え方、やり方はあり得ないのです。

だって考えてみて下さい。

期限も最終形も決めないのに
最小単位の部品を作ってみて
それを繰り返したら
一体どうなりますか?

いつ完成するか分からないし
一体どんな完成形ができるか分からないでしょう?

もう一つ問題があります。

現状の能力をベースに
最小単位の部品を作って、作って、作って…

その部品達は、全て現状の能力なりの性能しか持っていません。
今、知っていることをベースに
今、できることを繰り返しただけです。

いくらやっても自分の能力は向上しませんし
大して良いものにはなっていきません。

よく
「まずは、今できることから」
と言います。

時と場合によって
また、解釈によっては間違いではありません。

「今できる最大限のゴールをセットするなら」
という意味であれば。

「今できること、今知っていることでやってみよう」
は危険です。

成長過程においてチャレンジをすべき時に
それをやっちゃうと
労力の割に報われない結果になって
成長が最低限になります。

いつまでに、どのようにする必要があるから
こういうものが、知識が、経験が必要だ
となれば
今現在持っていないものを手に入れる必要が生じるわけで
そのための努力をするから
能力が身に付いて成長するのです。

未来の計画を立てるとき
今現在持っているものだけで構成すると
一生同じことしかできません。

違いますか?

「頑張った割に、なにか形になってこないなぁ」
という感覚を持っている場合
今回言っているような
「考え方が逆」
になっている可能性があります。

と、こんなことを毎年1年生に説明する必要があるのですが
そろそろ何とかならないかなぁ
と思うのです。

こんなことは、もの(物体に限らず)を作る仕事をしている人なら
ごく当たり前のことだと思うのですけど
学校では、そういうことは教えませんものね。
しょうがないのでしょうか。