アクティブとパッシブ

アクティブ・セーフティという考え方があります。
自動車の場合、衝突事故を例にとるなら
ぶつからないようにする安全技術です。
例えば、アンチロック・ブレーキ(ABS)とか
スタビリティ・コントロールなど
危険を目前にして、車体が制御不能に陥ることなく
回避動作を取れるようにするものです。

これに対して
パッシブ・セーフティは
事故が起きた瞬間から後の話です。
例えば、シートベルトやエアバッグなど
事故が起きた際に衝撃を緩和したりして人を守るものです。
車体の構造などでも工夫があって
クラッシャブル構造などは
衝突時に車体が変形していくことで
衝撃を吸収・緩和する考え方です。

さてさて
現在の学校での学びは
ほぼ例外いなく「やらせて」いるわけで
これはパッシブ
つまり「受け身」の学びで
これが普通になっています。

そもそも他人にやらされることが学びだ
みたいな価値観はどうなのだ?
とも思いますし
外的な動機で学ぶには限界があります。

自分の立ち位置や興味から
かけ離れた高等な知識を得たところで
それを実践する機会が無いのであれば
それは果たして役に立つ学びと言っていいのか?
とも思いますが
かつてはそういう形で
多くが一定の知識やスキルを持つ
そんなことが重要だった時代があったということです。

もちろん現在も、そういうスタイルが
時と場合によっては
必要で重要なのは変わらないのでしょうけど
受け身でやっている限りは限界があるのも事実。

やらされることなんて
遅かれ早かれ嫌になるものです。

自ら「知りたい」「できるようになりたい」
となれば、本当の学びになって
受け身の限界を突破できるでしょうし
それは社会に出てからも継続されるでしょう。

自ら望むことができたときの感動が大事で
それが継続的な学びの動機になりますから。

そこでアクティブラーニングの登場となるわけです。

が!しかし!

アクティブラーニングを「やらされて」いるとしたら
それは「パッシブ」に他ならないのではないか
と思ってみたり。

まぁ今は過渡期なのでしょうから
仕方ないのでしょうけどね。

何が言いたいかというと
学生達が好きなものを作って
本気で競い合うなんてものこそ
本当のアクティブラーニングだと思いますよ
ということです。

やっぱりそうなったかEV

EUが2035年以降もエンジン搭載車両の販売を容認するそうですね。
まあそうでしょう。

理由は色々あります。
まず一番身近で深刻なのが、ウクライナとロシアの戦争によるエネルギー問題ですね。
EUがロシアから天然ガスをはじめとするエネルギーを輸入しなくなったこと。
EVのための電気は、発電所で得るわけですが、天然ガスをはじめとする化石燃料が無ければ発電量が減ってしまいます。
そこは再生可能な発電方法で…と言いたくなるかも知れませんが、その施設を作るにも大量のエネルギーが要るわけで。

あとは電池やモーターを作るのに必要な、いわゆるレアメタルの問題。
代表的なのはリチウムでしょうけど、これが採掘できるところは限られていますし、精製するための施設も限られている。
その供給が絶たれれば危機的なことになるし、コスト面のリスクもあるでしょう。

電池そのものを製造するためのエネルギー量とか、リサイクルや廃棄物の問題。
大きさや重さの割にあまりエネルギーが入らないので、クルマが大きく重くなっちゃうか、走行距離を伸ばせないととか。
充電に時間がかかるのも問題です。

クルマそのものにも問題はあります。
まずコスト、そして重量。
古くなったときにリセールバリューが確保できなければゴミ箱行きですし、事故を起こしたときの安全性確保(感電とか発火とか)などなど。

他もに問題はあるでしょうし、ひょっとしたら解決済みor解決間近の問題もあるでしょうけど、今の世界情勢にマッチする改善スピードは得られなかったということでしょう。

じゃ、どうすんの?
という話しですが、ここで俄に脚光を浴びているのがe-fuel(イーフューエル)です。
簡単に言うと化学合成された燃料です。

代表的な燃料の分子構造はこんな感じで、簡単に言うと「H」(水素)と「C」(炭素)がくっついているわけです。

Cは大気中の二酸化炭素から持ってきて、Hは再生可能エネルギーで作って、それらをくっつければ燃料になるじゃん!という寸法です。

こうやってできた燃料を燃やしても、Cは大気中に還るだけなので、カーボンフリーだよね、という理屈ですね。

液体燃料は、バッテリーの100倍もエネルギー密度が高いので、乗り物としての効率は上げやすいのです。
軽くてパワーがあれば効率が上がるのは当然です。

F1マシンなどはいずれe-fuelで走るという方向性を打ち出していますし、この燃料は既存のエンジンに使用することもできます。

技術的にはまだ研究中で、製造量とかコストの問題はあるでしょうし、そもそも製造に必要なエネルギーは大丈夫なの?と課題もあるでしょうけど、実現すれば、また今回もEVはエンジンに負けたか…となります。100年前の再現ですね。

まあ今や、EVとエンジンで勝ったの負けたのという話しより、いかに環境を改善していくかということが急務であって、本当の問題はもっと大きな枠で見るべき時なのでしょう。
その「環境」も、地球温暖化とその原因と言われるCO2だけではなく、我々の生きる環境全てというスケールで。
そんなことを考えていると

「戦争なんてやってる場合じゃねぇだろうが!」

と言いたいところですが、当事者にすれば
「環境とか言ってる場合じゃないのだ!」
というところでしょう。
今、ここにある命が掛かってますから。

我々は難しい世界に生きています。
しかし、その難しさに向き合うことによって
そこに意味とか意義が生まれるのだと思います。

知る から やる へ

失敗とは何なのかというと
頭で考えていること
時には考えもしなかったこと
を行動に移した結果が
意にそぐわなかった
ということ。

これはつまり
やってみた結果が分かった
つまり
やらないと分からないよね
ということが分かった
ということでもある。

極端な話だけど
考えることや
知っていることのみが重要で
やる必要がないのであれば
肉体は必要無いわけで
生きている意味が無い
とも言えるのではないか。

ということは
行動することこそが
生きているということ
ということでもあるのだろうから
行動した末の失敗というのは
全く悲観する必要がないということです。

やってみてダメだった
ということが分かるというのは凄いことです。
継続して次に繋げられるならば
という前提付きですが。

頭で考えているだけでは何も起きません。
もっと真面目に考えて
数式の答えを出すように
正解を出せたら行動する?

そもそも行動した経験が少なければ
そんなのは無理です。

それに
こうやったらこうなる
なんてのが分かっていることばかりやっていても
面白くない。

やらなくたって
結果が分かっているなら
やる意味は無い。

知識偏重になると
「考える」ばかりになりますが

そんなことは継続しても
全くハッピーにはなりません。

遅かれ早かれ
知っている”だけ”の価値は
急激に減少していきます。

ひょっとしたら頭だけで勝負できる人は
ごく少数存在するのかもしれないけど
あなたはそういう人ですか?

そうじゃないなら
心を使おう。
パッションで勝負しよう。
これなら勝負になる。
チャレンジできる人になろう。