私の仕事

私は大学では教員なので
授業があれば教えますが
できれば教えたくないのです。

職務怠慢?

いえいえ
教えれば教えるほどできなくなるからです。
何度もネタにしていますが。

授業は仕事だからやります。
もちろん興味深いネタを教えてあげれば
食い付きも良かったりして
そこそこ頭に入るでしょう。

でも、そういうのにグイグイ食い付いてくるのは
モチベーションの高い2割くらいです。

残りは
やれと言われればやる4割と
やれと言われてもやらない2割
そんな感じです。

それに、それがうまくいっても
「知っているだけ」です。
何かができるわけではありません。

卒業したら、教わったことの
ほとんどは忘れちゃいます。

別に悲観しているわけでもなく
本学が特別ダメなわけでもなく
世の中そんなものです。
学校でも会社でも。

夢工房での学生との付き合い方は
ちょっと参考になるかもしれません。

ここでやっていることは授業ではありません。
学生の主体的な活動です。

その中には、卒業研究生の4年生も混ざっていますが
彼らは、やりたいことをやるために
私の研究室に入ったわけだから
チームの一員として自主的にやりたいことや
やるべきことをやってもらいます。

というわけで
ここ、夢工房での私は
「あれやれ!これやれ!」
という教員ではないのです。

立ち位置としてはアドバイザーです。
アドバイスをします。

なので、アドバイスをするための「元ネタ」が必要です。
それに対してアドバイスをするのです。

彼らがやっていることに対して口を挟む
といったこともありますが
そういったことは理想ではないです。

彼らが提供してくれたネタに対してアドバイスをしたい。

なので、元ネタが提供されなければアドバイスはできません。
また、完璧なものが提供されたらアドバイスは要りません。

ところが、学生はどう考えるかというと…

間違っているかもしれないからアウトプットできない
完璧にしてからアウトプットしたい
だってそうしないと先生は「ダメ」って言うから。

そりゃ言うよ。
それが仕事だから。

まぁ、気持ちは分かります。

大事なのは
とにかくやること
ダメでもいいからやってみること
ダメでも良いからアウトプットすること
そしてそれを改善すること

学生達がすべきことは
正解を出すこと
じゃなくて
良くすること
解決すること。

もちろん、勇気とか努力とタフネスが必要ですが
そんなの当然のことで、それが現実です。

学生のうちは、うまくいくことより
むしろうまくいかないところに
おいしいところが隠されています。

作った部品だろうが図面だろうが
それを作った人そのものが
作ったものに現れます。

なので、アウトプットすると
何を考えてどうなったのかが分かるし
それがあればその後の方向性も分かる。

何より、ダメなのを良くしていく
というプロセスこそが重要なのです。
それが成長そのものだから。

それに、そういう風に動けないなら
社会に出てから自ら成長できません。

学生のうちに成功すれば
それはそれで結構なことだけど
大事なのは社会に出てからの戦闘力です。
自動的に成長できるような下地が作れれば
それはもう大成功!

インプットしたことを単にアウトプットするような
指示待ちの「生きるパソコン」を作っているわけではないのです。

中道でどうだい?

若い頃ってのは
合っているだの間違っているだの
善だの悪だの
極端な考え方に走りがち。

中途半端なグレーゾーンは大嫌い
とかね。

経験を重ねるうちに
そんな二元論じゃどうにもならなくて
世の中曖昧なものだらけで
それもまんざら悪くないし必要なことだよなぁ
なんてことが分かってくるのだけど
こりゃぁ一体何なのだろうと考えることがあります。

極端なものの考え方ってシンプルですね。
こういう簡単なやり方って
スッキリと心が満たされるんですよね。
割と簡単に。
効率が良い考え方とも言えます。

対して曖昧なもの、曖昧な考え方…
なんか表現が良くないな。
両極端に走らない考え方ってことなのですが
そういうのを「中道(ちゅうどう)」とか
「中庸(ちゅうよう)」って言いますね。
曖昧な状態でものごとを受け入れて認めるって
結構難しかったりします。
スパッといかなくて妥協が必要です。
単純に短時間に、とはいかず
効率が悪いです。

若い頃は、こういう中道的な考え方って
難しくて面倒だから避けがちで
さらに言うなら
いわゆる理系の世界も
中道的な考え方は馴染みません。

でも、世の中は矛盾だらけで多種多様。
なんでもかんでも白黒付けて
割り切れるものではありません。

中道は理系には馴染まない
と言いましたが
実は、何かを設計するときだって
「絶対」なんてことはなくて
「こんなふうににしたいなら
こっちはちょっと妥協しないとね」
とか
そんなことやってるんですよ。
あっちを取ったらこっちが立たずで
そうしないと収まりが付かない。

あ!そうか!
だから若いコは設定を決めるのが苦手なんだな。
妥協できなくて
あれもこれも立てようとするから。

極端な考え方も時として必要なこともあるけど
それは絶対ではない。
効率は良いかもしれないけど
いろんなものを排除したり対立したり
ってことになりがち。

中道的な考え方は
曖昧で非効率で
満足度は低いかもしれないけど
それはそれで長期的にものごとを考えたり
進めたりするには必要なこと。

何でもかんでもルール化したり数値化したり
バッチリマニュアル化したり
そんなことをすると
短期的には安心なのかもしれないけど
それはそれで弊害はある。

あうんの呼吸とか
暗黙の了解
みたいな世界は
曖昧でスッキリハッキリしないかもしれないけど
そういうのでうまく収まっているなら
それはそれで幸せな世界なのかなぁ
なんてことを考えたりしてます。

とはいえ、グローバル化した世の中じゃ
そういうのは難しいのでしょうね。

おっと!
勝ち筋がちょっと見えた気がするぞ。

ホウレンソウをバカにしちゃいかんよ

皆さん、黄緑色野菜摂ってますか?
私は100%外食人間ですが
できるだけ摂るよう心掛けています。

報告・連絡・相談でホウレンソウ
企業勤めなら、新人の頃によく聞かされることですよね。

学校では、ほとんど意識されていませんね。
というか、経験の浅い若者達が
やりたくないことの一つなのかもしれません。

「報告」は
チームの「上」に向かっての情報共有ですね。
これは
良い子ぶってるようで
罪悪感もあるのかも。

「連絡」は
チームの水平方向の情報共有。
これは面倒かな。

「相談」は
問題解決のために
自分の内的なものを表に出すことです。
でも、抵抗があるのでしょう。
自分の弱さや不十分さをさらけ出すようで
恥ずかしいからかな?
そもそも「問題」というワードを
ネガティブな意味でしか捉えていないのかも。

「報告」や「連絡」は
チームの現状を共有するのに必要だし

「相談」は
いわゆる問題解決はもちろん
自分のなすべきことをなすために
ものごとをより良くするために
現状確認や改善のために必要。

そもそも報連相のように
アウトプットするってのは
ダメ出しに一歩近づいてしまう可能性もあるわけで
「ダメ」に遭遇したくなければ
やらないのが一番ということになりがち。

でも、欲しいものはその先にある。

いずれも、そもそも組織としてのゴールが無ければ
やる意味は無いけれど

組織として達したいゴールがあるのであれば
絶対に必要。

組織は能力が高い人間が
単に集まっただけでは力を発揮しません。

逆に、能力がそこそこでも
構成するメンバーの結束力が強くて
力を出し切っていれば
かなりの成果が出せます。

人の相互の距離が近づくことには
もちろんメリットもデメリットもありますが
組織としてどうしたいのか、何が欲しいのかによって
各人がどうすべきかは自ずと決まってきますよね。

それをやるかどうかは本人次第ですけどね。