そして思いを一つに

ダサイフレーズですか?
こういうの最近流行りませんからね。

個人主義ですか。
そんな感じですね。

複数人での思いを揃えられたら
個人ではできない大きなことができます。
だから会社組織とかがあるんですよね。

ネットでの情報発信力を利用したりして
かつては個人レベルでは不可能だったことも
近年ではできるようになってきています。

しかし、やはり依然として
個人の力ではいかんともしがたい世界はあるわけで
いくら個人主義が幅をきかせても
できないものはできません。

クルマみたいな面倒な製品は
分かりやすい例だと思います。

近年の開発の現場がどうなっているか
詳細は分かりませんが

アサインされた仕事をこなすだけ
という現場より
各人がパッションを持って
チームで思いを揃えている現場の方が
いいものを作るに決まっているでしょう。

能力の高い個人が集まれば良い製品ができる
なんてのは
ちょっと信じられません。

数値的には良いものができたとしても
それは果たして人の心を動かす良い製品になるのだろうか。

そもそも、本当に重要な能力って
パッションから生まれるのではないでしょうか。

夢工房のチームは
志向が揃った学生達で構成されていますが
思いが一つの方向に向かって揃っているか
というと
意外とそうでもなかったりして。

その辺を何とかするために
ぶつかったり盛り上がったり凹んだりしながら
日々成長しています。

本当に良いチームって
そんなふうにしないと出来上がりません。

やはりスピードかな

良いものを作るには時間がかかるのは当然だ

一理ありますが
何をやるかにもよるし
程度にもよりますね。

というのも
学生がものを作る
こと、コンペティションに向けて作る
なんてことになると
のんびりやっている場合ではないのです。

まず、ライバルも自分達とさほど変わらない年齢なので
スタートのベースラインはさほど変わらないはず。

そういう状態で優位性を作っていくためには
いかに経験の数を増やすか
というのが勝負所になります。

チームとして
とにかく色々経験して
組織としての熟成度を上げる
これも重要ですが

そのためには
チームとして色々やってみる必要があります。

毎日、決まり切った同じことをやっていても
組織としての熟成度は上がりませんから。

この「経験の数を増やす」の中には
とても大事なことが入っています。

それは
やってみて失敗する
ということです。

例えば
ある部品を設計している
として
凄く良いものを作りたい
と思うなら、凄く頑張っちゃうわけですが
頑張ろうと思ったら、どこまでも行けるわけです

しかし、その時に見落としがちなのは
それが果たして
適切なタイムラインに乗っているのか
ということです。

経験が十分でない者が頑張るのですから
やればやるほど発見があって
のめり込んでいく可能性が高くて
周囲が見えななったりします。

しかしその頑張りは
未来のある一点に向けてやっているわけですが
いずれは締め切りがやってきます。

で、それを無視しちゃうと
途端に意味が無くなるのです。

だって、スタートに間に合わない
高性能なレーシングカーを作ったところで
どんな意味があるというのでしょう。

なので、ビギナーが頑張るときは
のめり込みながら成長している状態を
うまくコントロールする必要があります。

言ってみれば妥協です。

これ、難しいことですよ。
やりながら色々分かってきて
色々できるようになってきて
成長曲線が上向いている状態で
セーブを掛けたりしなければならない
ということです。

自分でそのコントロールをしなければ
計画が破綻します。

先生が制御しろって?

まぁ、普通はそうするかもしれませんが
夢工房ではあまりそういうことはやりません。

なぜかって
自分で締切を守れるようにならないと
社会に出て使い物にならないからです。

一番良いのは
実際に破綻して
何をどうすると何が起きるか
という
原因と結果のセットを理解して
自律的に動けるようになることです。

で、その破綻した状態を乗り越える経験をする。

これ、まさに成長そのものなのですが
こんなこと、実際に経験すると
なかなかタフでスリリングですよ。

そういう経験も含めて
もの凄いスピードで経験の数を増やしていけば
素敵なエンジニアの卵の一丁上がり
ってところですね。

こんなことしていると
4年なんてあっという間です。

続 楽ちんと楽しいは似て非なるもの

前回の続きです。

学校という組織に
コロナ禍が及ぼした影響について
考えてはいたけどブログには書かなかったことがあります。
書いても何の足しにもならないと思っていたから。

コロナ禍以前
正直なところ
学校という組織に
夢とか希望とか
そういうものが無くなってきていたのは事実だと思います。

夢のある学生は減ってきていたし
多くが就職するのが目標で
特にやりたいことは無い
という者も多かったと記憶しています。
今ほどではありませんが。

恐らく学校の側も
いかににリスクを減らせるか
いかにクレームを付けられないか
みたいな方向に進んでいたのではないでしょうか。
今ほどでもありませんが。

面倒だけど面白いものは
凄い勢いで姿を消していった気がします。

安心・安全・公平・平等

それらを単品で見る限り
特に悪いことではなく
むしろ好ましいはずなのですが

そんなのが空気のように漂っていて
真綿に締められるように
身動きを取れなくなっている
そんなふうに感じていました。

そういうのばかりが溢れちゃって
なかば脅迫されているような
息苦しさを感じていました。

そこにコロナがストライクです。

今はそれに輪を掛けて
いかにリスクを低減するか
という方向に進んでいますよね。

これは学生とか学校とか
という話ではなく
社会全体が。
まぁ、当然ですが。

正直に言いましょう。

アクティブなことを抑制して
リスク対応ばかりしていると
楽ちんです。
すっごく楽です。
やらない言い訳もしやすいし。

たぶん、簡単にはやめられません。

でもね
心は縮んでしまって

全然楽しくないのですよ。

だからといって
これを大規模に変革することは無理でしょう。

このご時世で
大規模にアクティブなことをやったら
恐らくテロリストみたいな扱いを受けます。

なので、小規模ながら
熱いチームを作って時期を待ち
一点突破で変えていく

そういう戦略が良いのではないか
と思って進んできました。

きっと似たようなことを考えている人達も
あちこちにいると思います。

なので、そのうち面白いことになりますよ。