「普通」の勝負をしなければいいんだよ

そうしたら
普通の人が心配することを
心配する必要なんてなくなる。

…なんて言ってみたけど

そもそも普通じゃないことをするなんて
それこそが心配のタネなのでした(笑)

今日はホンダのコレクションホールに行ったら
昔乗っていた懐かしいバイクがたくさんあって
自分が学生の頃を思い出しました。

我が青春の80年代コーナー
MVX250FとNS250Rに乗ってました
昔は2ストロークが大好きだったのです
安くて軽くて速いですから

将来、バイクとかクルマとかレースとか
そういうことに関わる仕事をしたいと思っていました。

そんな希望がある反面
そんなの実現するのだろうか
という不安もありました。

そのテの仕事をするには
大層お勉強ができなきゃ無理なのか?
と思っていましたし

そもそも、そういった仕事をするために
何をしておけばいいかという情報もありませんでした。

とはいうものの
バイクやクルマが好きなんだから
その路線で頑張るのは間違いではない
という気はしていました。

お勉強はできるけど
ろくにバイクにもクルマにも乗らないような奴が
いいもの作れるのか?
という純粋な疑問もありました。

なので
バイクとかクルマとかレースとかに没頭して過ごしていました。

レースメカをやりながら
自分や友達のバイクのエンジンをアパートの部屋でバラして
徹夜でチューニングしたりなんてのは日常で
走って壊して直して走って壊して直して…
アパートの駐車場では
しょっちゅう車をバラしたり組んだり…

当時は異常なバイクブーム、レースブームでしたけど
同世代でここまでやってたのは他にはいなかった気がします。

正直なところ、たまに
「こんなことやってて大丈夫なのかな?」
と思いました。

でも、当時の自分に言いたい
「もっとやっとけ!」
と。

当時できる限りのことはやったつもりですから
後悔はしていません。
やりきった感は無かったけど。

お陰でその後は面白い仕事ができました。
当時経験したことは
ほとんど全て役に立っている気がします。

なので、迷っている学生には

迷ってる暇があったら
普通じゃないところまでぶち抜けたらいいよ

と言いたい。
迷って中途半端な普通の状態で降りてしまったらもったいない。
その努力は、いつかきっと役に立つときが来るから。

どれだけ本気か

伝わりにくいことの一つに気付きました。
それは

本気度

どういうことかというと
真剣に一所懸命やる
といっても
その度合いは人によって違うわけで
それは特に数値化できないことで顕著になります。

学生がレーシングカーなんかを作っていると
結構分かりやすいですよ。

ある者は、本気でやる
というと、それこそ
ぶっ倒れるまでやったりすることがあるけど

別の者はそうでもなかったりします。
でも、本人は本気でやってるつもりです。
別に手を抜いているつもりは無い。

意識のレベルなんて目に見えませんし
どれくらい強く思っているかなんて分からないし
どこが限界かなんて経験が無ければ
いや、ある程度経験があってもよく分かりません。

なので
「本気でやろうぜ!」
「おー!」
となっても
結構温度差があったりするのは仕方ないのです。

でもやはり、経験の数は効いてくるでしょうね。

スポーツでも何でも
根詰めて一所懸命やった経験がある者は強いですね。

そうそう。
一所懸命やった経験があると
その末に何が待っているか
感覚的に分かっていたりするので
成功体験がある者ほど勇気を持ってチャレンジします。

そんな風に、うまくいっちゃう者は
その調子でドンドン行ってくれれば良いので
天井を外してあげて
成果を評価してあげればOKです。

複数人が活動している夢工房では
もちろんバラツキはあるし
浮き沈みもあります。

なので、うまくいかない者も当然いるわけですが
外力でやらせちゃうと
やらされ人間になっちゃいます。

頑張った経験があまりなくて
本気度が上げられない者は
結構共通点があって

メンタルやフィジカルに対する
防御壁の構築を優先しているというか
そういうこともあって
リミッターを低く設定していることが多いですね。

もちろん意識的では無いことがほとんどですが。

まぁ、限界が分からないのだから
自動的にそうなっちゃうのも分からなくもない。

とはいうものの
チームパフォーマンスを上げるには
放置というわけにもいきません。

とはいえ、その状態を変えられるのは本人しかいないので
自発的に何とかしたいと思う環境が重要
ということになるかと思います。

そんなの当たり前だろうって?
まぁ、そうなんですけど
それをどうにかするのは難しいことです。

その環境の構築に20年も試行錯誤しているわけですが
結局のところ
いわゆる「人間力」を高めていくしかないのだろうな
というのが現状の結論です。
もちろん、学生も教員もです。

で、この挑戦は数年前から始まっていて
現状はうまくいっていると思います。

こういうのは終着点はないのでしょうけど
どこまで行けるか、やってみてのお楽しみです。

人生は糾える縄のごとし

人生は
良いこともあれば悪いこともある
楽しいこともあれば困難もあるわけで
そんなの当たり前なのですが

多くの若いコは
そうは思いません。

理想の人生みたいのがあって
それを目指す。

そこでは
困難は無く
収入には困らず
豊かで楽しい暮らしがある。
きっとそんな世界がある。

一所懸命勉強して良い会社に入ると
そんな世界に行ける。

行けなかったら負け組だ。

そうじゃありませんか?

だから
何かやってみて困難に直面すると
自分には向いてないとか
自分はダメだとか判断しちゃったりするし

ものごとの多面性を理解していないから
ブラック企業とか簡単に定義づけちゃうし

相手のことなんて考えられないから
文句ばっかり言ったりするし

頭が良いとか悪いとか簡単に言うし。

でも、若い頃なんて皆そんなもんですよね。
私なんか、相当アホでしたよ。

だって、若いってことは
そもそも経験が無いわけで
想像力で未来を構成しちゃうのですから
ほとんど偏見の思い込みですよ。
何も無いよりずっと良いのかもしれませんけどね。

面白いのは
そういう経験の無い若者に
経験豊富な人間が頑張って語ったところで
大して理解できないってことです。

ま、考えてみれば当たり前で
経験が無いことについて聞いたところで
これまた想像の世界なわけですもの。

年長者が若いコに切々と語って
「なんで分かんねぇんだよ~」
なんて言ったりしますが

自分だってその年頃には分かんなかったんじゃないの?
と思いますよ。

ま、私も似たようなことしてるかもしれませんけどね(笑)

で、今日は何が言いたかったかというと

ものをつくると
特にチームでものをつくると

そういう思い込みで勘違いの壁にぶつかることになるわけで
ホントのところが見えやすいのではないかな

ということです。

例えば
業績の良い企業は
簡単な楽な仕事ばっかりして
業績を上げているわけでは無いわけで
相当頑張って人がいるわけで

レーシングチームは
楽ちんでカッコ付けてれば済む話ではなく
カッコいいことするために
どれだけ頑張ってるか知ってるかい?
ってなことで

そんな世界でいいカッコしたければ
それなりのことをする必要があるのは当然です。

やり甲斐を感じて夢中でやっていれば
充実感があるでしょうけど

同じことを受け身の人間にやらせる
それはブラックな仕事に感じるでしょう。

何かをやって失敗したり怒られたり
そういう経験は必ず役に立ったりするし

労せずに良い思いをしたり
楽ちんな環境に安住したりすると
必ずそれ相応のことが起きるのは当然です。

明暗とか
浮いたり沈んだりとか
その両方があるのは当然で
それらが無いとつまらないのですよね。

抑揚の無い人生なんて
一体何が面白いんだ?
と思います。

まさに
人生は糾える縄のごとし
というわけですよ。

ものをつくって
コンペティションとかやってると
そういうことを次々に経験することになるわけで
結構色々分かると思います。

その辺だけでも分かっていれば
ネガティブな事象に遭遇しても
そこに心が捕らわれずに

「ま、そんなもんだろ」
(「でも、この経験は
いつかきっと役に立つぞ」と思えれば最高)

ってやり過ごして

「次は頑張ろう」

って思うこともできますよね。

夢工房の連中、その辺は
かなり見えてきているのではないかと思っています。

うん
技術は人なり
だな。