フォーカスとプライオリティ

自分が今現在
何にフォーカスしているのか
プライオリティ(優先度)の高いものに注力できているのか

その辺をコントロールできているのか
というのはとても重要なことなのですが

往々にしてコントロール不能になったりしていませんか?

「自分で自分をコントロールできないなんてありえない」

そうですか?
私はたまにありますよ。

で、「おっと、いかんいかん」
と、軌道修正したりすることがあります。

仕事に関することはもちろん、その他のことでも
日頃の自分の考え方だったり、やり方だったり。

フォーカスする対象が適切ではなかったり
プライオリティがおかしなことになっていたりするのは
色々と原因があるでしょう。

まず一つ目。
現代社会は雑音が多いのです。

インターネットが高度化した現在
我々は凄まじい量の情報に囲まれて生活しています。

さらにその情報の出入り口が
あまりに手軽で身近であるので
その誘惑は凄い力を持っています。

これはあえて多くの例を挙げるまでも無いと思いますが
SNSやニュースサイト、ネットゲームなど
とにかく多種多様で強力です。

ちょっと気晴らしのつもりが
行動のプライオリティが逆転してしまったりします。

そんなことは多いでしょう。

あと、やり方の問題もあります。

自分が今、取り掛かっていることや
これからやることにおいて
全体が見えていて
それらの中でのプライオリティの設定ができているのか
その辺が見えていないことも多いかと思います。

どういうことかというと
クルマでも惑星探査機でも良いのですが
いっぺんに全部はできないので
恐らく今やるべきことは
どこかの行程における
何かの作業です。


今、これだけをやれば良い
それでおしまい

という状況では無かったりすることがほとんどです。
他にもやるべきことがあったり
次にやるべきことがあったり

時間軸上に色々と乗っかっているはず。

他にも
現時点で取り組んでいることにおいて
本当に今からやろうとしていることや
やり方がベストな選択なのか

そんなことが見えていなかったりすることもあるでしょう。

言われたことばかりやってきた学生は
その辺のコントロールがうまくできないことが多い気がします。

目の前に現れたものに対して一所懸命になるけど
実は全体が見えていなくて
頑張っても報われなくなっちゃうことが多いかな。

頑張るし真面目なんだけど
考える幅が狭くて
考える時間軸が短い

そうなると
最終的なゴールを見失っていて
今、この瞬間に取り組んでいる「手段」が
目的になっていたりします。
手段と目的の入れ替えですね。

自分が何にフォーカスするか
どのようにプライオリティを設定していくか
というのは
結局のところ
「自分がどうしたいか」
によって決まるわけで

結局は価値観によって決まる
ということになるのでしょうね。

それは他人にはいじれません。

さて、どうしましょうか。

やはり環境とか風土とか
そのへんを作り込んでいく必要がある気がします。

というのも
結局は皆、やりたいことを
やりたいようにやっているわけで
(「やらされるようにやりたい」というのもあります)

「こうやりたい」
というのを変えない限りは
変わりようがないからです。

それができるのは
環境とか風土じゃないかな
と思うのです。

チャレンジを楽しもう

やったこと全てがうまくいくのが理想かもしれませんが
そんなことはそうそうありません。

チャレンジすれば
最初はうまくいかないほうが多いもの。

なので、たいていの人は
失敗したリアルな記憶をたくさん持っているものです。

結果として
チャレンジはうまくいかないもの
というロジックを持っていたりもします。

となると、次のチャレンジに
二の足を踏むのは当然だったりしますね。

失敗によるダメージを回避するために
チャレンジの成功のための努力より
最低限をクリアする方向に進むケースも多いでしょう。

本人も、そして周囲も
失敗しないことを最優先して物事に取り組んでいたりして
意外とそれが常識になっていたりしませんか?

もちろん、それによって成長が妨げられてしまうわけですが
心の成長には物差しがなくて定量的な評価ができないものだから
何の足しにもならないように思われがちで

知識が増えたり資格を持ったりすることが
成長だなんて思われがちかもしれませんが
本当にそうでしょうか。

「何もチャレンジなんてしなくても
最低限でも安定していれば…」

本当にそうですか?
成長なくして安定なんてあるのでしょうか?

今の我が国の状態などは参考になるかもしれません。

「失われた20年」
とか言われますが
その間の経済成長率はプラスマイナス2%弱で推移してきたわけで
そういうのって安定しているということではないでしょうか。

ところがグローバルな視点で見ると
経済的に日本のライバルに当たる国々は
プラス数%で成長し続けていたわけで
相対的にみると我が国は下降し続けていたということですよね。

もちろん私は経済は専門ではないので
あまり詳しいことは言えませんが
こういうことになっていたのではないかと思っています。

レースなんかやってても良く分かりますよ。

他を見ずに自分なりに満足いく状況だったとしましょう。
マシンの状態とか走行タイムとかが。
だからといって、同じことを同じように続けて
状態を保ったとしてもレースでは勝てないので
まったく面白くないわけです。

実際は、同じことを続けていれば同じことが起きるわけではなく
かなり頑張らないと「現状維持」すらできないのですけどね。

というわけで
いろいろとチャレンジしていくというのは
大事なんだけどなぁ
と、常日頃思っているのです。

もちろん、何でもかんでもチャレンジするのは無理なので
リスクマネージメントなんかも必要な場合もあるでしょうけど
せめて自分が好きなことやこだわりたいことには一所懸命になって
それを楽しめるような日常を作っていけるといいですね。

チャレンジチャレンジ言ってきましたが
一番の強敵は自分自身ですよね。

「真面目」の話

真面目な人ってどんな人?

言われたことをちゃんとやる人
ですか?

学校ならそう言われることが多いですね。
管理する側からしたら都合が良いから。

「リアクションの人」ですね。

リアクションの人を動かすには
一人以上の「アクションの人」が必要です。

さらに、リアクションによって何かをやって
うまくいったように見えても
アクション側の想像通り
…になることは稀で
大抵は期待以下になりますね。

まぁ、仮に想像通りになったとしても
「要求を満たした」
というだけのことです。

それによって生まれる感情は
「安心」ですかね。

それが別に悪いことではないと思いますし
そういう人がいても
もちろんいいのですけど
面白くはないですね。

この「真面目な人」の定義は
ステレオタイプ化しちゃってるというか
まぁそんなことより
これからどうすべきかが問題です。

生産人口が減少していくわけですから
単純に生産性を上げようとかいう話になるのは理解できます。
でもこれ、発展途上国の大量生産
みたいにはいきませんよね。
人件費を考えたら
そういうやり方じゃどうにもならないことは明白。

残る手段はなんだろう?

付加価値を大きくして利益率の向上かな。

細かいところは専門家ではないので良く分かりませんが
何かしらの工夫が必要で
その工夫の大きさとか量を向上する必要はありそうです。

それを少ない人数でやる必要がある
ってことになるのでしょうね。

これ、外力でなんとか
というわけにはいきませんよ。
奴隷労働じゃ工夫なんて難しいでしょう。
内的な動機で動かないと
アイデアなんて出ませんしね。

というわけで
これからのご時世に求められる
真面目さ
というのは変わっていかないと
どん詰まりになりますね。

社会も本人も。

なので、まだ多少の余裕がある今のうちに
心が発動してデッカイ事をやるような経験を
若い連中にさせておくのが重要なのではないかな
と思う今日この頃。