アクションかリアクションか

能動的に自分から仕掛けていくアクション

それに対して、受動的なリアクション

さて、あなたはどちら?

まぁ、学生の大半はリアクションです。
どういうシーンで?
というのもありますが。

だって、学校の授業は100%リアクション
それを小学校から大学まで続けているのだから
そりゃ受動的にもなりますよ。

そもそも、自分から仕掛けていく機会なんて無いですものね。

なので、ある程度は仕方ないとして

では、あなたはどうしたいの?

というのが大事なところ。

面倒が起きて欲しくなくて
安心・安全が第一ならば
リアクションがいい
…と思いますか?

認識できる情報から
できるだけリスクの少ないものをチョイスすればいい。

でも、果たしてそれが本当にリスク・フリーなのかというと
長期的に見ると決してそんなことは無くて
結果的には将来に大きなリスクを抱えることになる。

目の前のリスクを回避しているつもりが
そのツケは蓄積していって
いずれそれは手に負えないモンスターに成長して
最悪の状況で襲いかかってくる
私はそう思ってます。

受け身でチャンスを待つ
なんて虫のいいことを考えてはいけません。

考えてもいいけど
恐らくチャンスは見えないし
チャンスのようなものがやってきても
それが果たして自分にとって
本当にチャンスなのか、リスクは無いのか
なんて考えているうちに
それは過ぎ去ってしまいます。

でも恐らく
短期的なリスク回避という目的は
達することができるでしょう。

では、アクションが中心の場合は?

ご想像通り、能動的に動くと色々やらかします。
当然ながら、未経験の領域に、事物に、次々に遭遇しますので
それは当たり前。

一見、とても非効率に見えたりしますし
実際、傷付いたり、恥をかいたり、何かを失う
といったことも多いでしょう。

でも、そうするからこそ得られるものがあったり
そんな中での貴重な出会いがあったり
そうしないと見えないこと、分からないことがあったりします。

かといって、何でもかんでも能動的にやる
というのも不可能です。

我々の手の上に乗るものは限られています。

なので、自分の譲れないものを決めて
一点突破でもいいと思うのです。

別にどちらが良いとか悪いとか
そういう話ではありません。

ただこれは、自分で決められることであって
人に決めてもらうものではない
もし、何となくそうなってしまっているのなら
それは大変もったいないことです。

何を選ぶにせよ
自分で決めてやってみるからこそ面白いのだと思います。

夢工房の「恩送り」

やることなすことなんでもかんでも全力で
というのはさすがに無理ですが

自分が「やるべきことだ」
と思ったことに対しては全力でやって欲しいものです。

では、どこまでやるのか?

例えば
夢工房でレーシングカーを作っているような連中はどうすべきなのか

こういう活動をしている時に
真っ先に問題になってくるのは
資金面ではないでしょうか。
クルマを作ってレースをするのですから
お金がかかります。

夢工房の活動は
大学からの支援や研究室の研究費などを活用していますが
それだけでは海外遠征は不可能です。
ひょっとしたら
マシンを作ることすらままならないかもしれません。

現状の手持ちのリソースだけでは
海外大会に出たいという
彼らの夢は叶わないので
「じゃ、できる範囲で…」
ということにすると
この活動は、途端にチャレンジではなくなってきます。

できる範囲でやることを
チャレンジとは言いません。

未来をつくっていく人間は
チャレンジャーでなければいけません。

チャレンジしなければ
現状維持しているつもりでも
徐々に降下していきます。

そこで彼らはスポンサーを探して
協力をお願いしています。

自分の財布で何とかできないのに無責任?

そういう考え方もあるかもしれませんが
スポンサーから支援して頂くということは
相応の責任が伴うので
簡単に諦められないということです。

「やる」
と約束して支援してもらっているので
やらなければ約束を破ることになります。
だから、何が何でもやらなければならない。
(という状況で、このコロナ禍は正直キツいです)

これは、授業で「単位を落とすからやらなければ」
なんていう状況とは比べようがありません。
パーソナルな問題ではないので
責任の大きさも次元も違いすぎます。

授業やら何やらというのは
パーソナルな問題なので、最低限でもいいのです。
文句を言うのは親と先生くらいです。
(注:かといって、卒業できないなどは論外です。
早く世のお役に立つ必要があるのですから)

でも、こういったやりかたで活動をしていると
最低限では誰も力を貸してくれません。
最大限やるところに価値があって
そこに責任が伴うのですから
好きなことを全力でやることになるわけです。

では、スポンサーをはじめとした
支援者には何をお返しできるのか。

良い成績を上げて喜んでもらえたら最高です。
しかし、直接的にお返しできるものは何も無いかもしれません。

しかし、支援してもらった彼らの持つ責任が消えるわけではありません。
彼らは卒業後、その恩に報いるべく
良い仕事をして世の中を回していく使命を持っているのです。

というか、こんなことを毎日全力でやっていれば
そりゃぁ仕事ができるようにもなってしまいます。

受けた恩は返すのではなく
将来活躍することによって
世のために、次世代のためにと送っていく。
こういうのを「恩送り」というのですね。

感受性の話

センシング能力というか
人が色々感じる感度は
どのように違ったり変化したりしているのか
そんなことを考えることがあります。

若いから、経験が無いからこそ感じられることがありますね。
若い人は感受性が強いって言いますし
実際そう思います。
初めての経験は印象に残りやすいってことなのかな。

でも、年齢を重ねることによって
慣れが出てきたりすることもあるでしょうから
そうなると感じられなくなる
そういうことなのでしょう。

逆に、経験を積むからこそ
見えること、分かることがあるってのもありますね。
技術的なことなどは最たるものです。

これは経験を積んで
色々知っていくから分かってくる
ってことです。

こういうのは、人によっても違いますね。
経験を積んでも分からないものは分からない
そんな場合もあります。

環境や文化に起因するものもあるでしょうし
対象に興味があるとか無いとか
そんなことも要因としては大きいでしょうね。

そんなふうに色々なわけですが
結局は、他人が何をどのように感じて考えているか
そんなのはよく分からないわけです。

なので「教える」ってのは難しかったりするのですね。
だからこそ
そこに価値があったり面白かったりするのでしょうけど。

夢工房の学生達は
良いものを作ろうと日々頑張っているわけですが
そのためにはアイデアが必要です。

アイデアは
本人が本当に欲していなければ出てきません。

ゴールをどこに設定するか
それをどれくらい欲しているか
これは、何にどれくらい興味を持つか
ということになるのでしょうけど

それによって見えるもの、感じるものは違うわけで
見えない、感じられないものに対してアイデアは出せませんので
むやみに頑張れば何とかなるわけではありません。

結局は、心の問題なので本人次第
ということになっちゃうのですが

これは
本人次第でどうにでもなる
ということでもあります。

興味を持って頑張っていれば
いずれセンシング能力が向上する
ということもありますから。