アイデアが出るとか出ないとか

何か新しいことをやろうとしたとき
アイデアが必要になります。

最適なアクションのためのアイデアを出すためにはどうすべきでしょう?

「良い」アイデアのためには
まずは多くのアイデアを出すべきです。
一つじゃダメ。

なぜかというと
「良い」
というのは相対的なことなので
複数のアイデアを比較して、はじめて
「良い」
と言えるからです。

やっちゃいけないのは
一つ思い付いて
それだけやっちゃうこと。

なので、初期段階では
可能な限り多くのアイデアを出すべきです。
次に
選択して集中する
というアプローチです。

この時
「良いもの作りたいから
良いアイデアを」
と思うのは当然なのですが

ダメなアイデアを出して
何がダメなのかを考えるのも悪くありません。

アイデアの出し方のアプローチは
先人達が苦労して「技」を編み出していたりもするので
興味があれば色々調べてみるのも面白いと思います。

特に航空機の開発においては
興味深いノウハウが結構あります。
圧倒的にアメリカが多いですが。

さて
このアイデアを出してアクションに結びつけていくアプローチについて
思うことがあります。

最近は
多くのアイデアを出すのが苦手なコが多い気がするのです。

これは能力的な問題ではなく
習慣によるものだと見ています。

机の上のお勉強ばかりしていると
ゴールはあらかじめ決められている
一つの「正解」を導くことであって
それは決められた一つのアプローチによる場合が多いのではないでしょうか。

なので、考えはじめると早々に
一つの考えに収束してしまって
広がりが持てない。

そして
正解か不正解かという考え方をすると
発展もしない。

結果として
突拍子もないものや
変なものは
そもそも俎上に上がらない

なので斬新なアイデアは生まれない

そういうことではないかと。

これ、学生を管理する側としては
面倒が無くて楽な方法です。

「正解以外は受け付けないぞ!」

そうなると、定量的で明確な評価ができます。
クレームを受ける心配も無い。

正解はは正解
間違いは間違い
ちゃんと正解を出してから持ってらっしゃい。

そういう訓練を十数年受けると
それが当たり前になっているので
そこから変えるのは
なかなか難しいと思います。

でも変えなければ。

だって
そんなのパソコンみたいですものね。

人間にそれをやらせたら
コストパフォーマンスが悪いだけでなく

全く面白くありません。
色んな意味で。

しかし、これは外力ではどうにもならないと思っています。
本人が、それを望まない限りは。

でも、恐らく本人は
そういうことに気付いてすらいないから
望みようもない。

さて、ではどうするか?

やはり本人自身が
望むものをゴールに設定して
壁にぶつかるしかないでしょう。

それが欲しいから
壁を越えるしかない

という状況を作って
自ら努力と工夫をするようにするしかないと思っています。

やはり環境が重要かと。

果たして夢工房がどうなのか
それはすぐには分かりません。

あと数十年経って
初めて分かることかもしれません。

なので、結果なんて待ってはいられない。

日々反省とリファインを繰り返して
信じる道を進むしかないと思っています。

うん。
不完全な現状に対する
もっともらしい言い訳ができた気がします(笑)

早くひっくり返れ

文明が発展して
色々満たされて…

堕落する

そんなサイクルをグルグル回しながら
我々人類は生きてきたわけですが

今はどうなんでしょう?
どんな位置にいるのでしょう?

というのが日頃気になっているのです。
このブログでも何度か記事にしているように。

安全、安心を求める欲望があるけど
それは、ある程度根源的な欲求が満たされた末の
オマケみたいなもので
高い技術とか意識とかによって実現されます。

それを求めるレベルに達していると
恐らくすでに失っていることがあって

それを求めると
反対に失うものもあったりするはず。

分かりやすいところでいくと
近年の電化への動きです。

本当に、それはエコなの?

そもそもエコってなんなの?

地球の環境を「良くする」って
果たして誰のためなの?

我々が良い暮らしをしながら
地球環境を守るって
そんなの本当にできるの?

疑問は尽きません。

環境問題だって
色々な論があったり疑惑があったり

今や何が本当なのか分かりません。

で、そんなのに思い悩んでも仕方ないと思っています。

もちろん、環境を改善するというのは
とても大事なこと。

できることを
できる範囲でやりましょう。

あとは、自分のミッションですよ。

自分が信じたことを一所懸命やるしかないのです。
大したことはできないかもしれないけど
だからといって何もしないってのは
あまりに残念
というか
面白くない。

そのうち今の
何を信じたら良いか分からない現状が
ひっくり返る時が来るでしょう。

ひっくり返るその瞬間を楽しむためには
考えながら待つのではなく
考えながらやる
それしかないでしょう。

「やらない」中からは何も生まれませんから。

今の状態は、時が経たないと評価できないけれど
評価できる時になってしまったら
この現状は変えられない。

だったら
ヘタに賢い人ぶって講釈をたれてるのではなく
できることをやるべきです。

おぉ、自分で言っておいて耳が痛い(笑)

反省はしてもいいけど
後悔はしないように。

とりあえず、やってみたらいいんじゃないの

新入生が徐々に大学に馴染みはじめるこの時期
夢工房には一定数の新人君が飛び込んできています。

そして、少し間を置いて
迷っていた新人君達の悩みが見えてきます。

これがお決まりのパターン。

面白そうだけど…
大変なことや
大きな労力を払うのは抵抗がある

そんな悩みを授業後に聞いたりします。

分かる分かる。

何か凄く大変なことを
やらされちゃうんじゃないかって。

すでに動いている連中は
楽しそうに夜までやっているのですが

それが強制力で拘束されているように見えるようです。

自発的に何かをやって
夢中になったことがないコは
そういう心配をするでしょうね。

「やる」

「やらされる」
の違いが分からなかったりして。

ただ、夢工房の場合は
基本的には自発的にやるのだけど
サポーターやスポンサーのお陰で活動できている側面もあるので
そういった方々のためにも頑張らなければならない。

そういう責任はあります。

そうしないと
好きなことを全力でやり続ける環境が手に入りませんし

そもそも全力じゃないことが面白いのか
ってのもありますけどね。

こういうのを授業でやっちゃうと
いつの間にやら「やらされ君」になっちゃって
気付いたら最低限のことをやろうとしたりします。

クラブ活動でやっちゃうと
やるもやらないも自由で
いつでも、やらない自由を発動できます。

自ら果たすべきミッションがあって
そのために努力する
なんてのは
社会では、ごく当たり前ですが
学校でそういう考え方で何かに取り組むという経験は
なかなかできないのかもしれません。

夢工房に真っ先に飛び込んできても
楽しいことの表面だけ味わいたいのであれば
当然、続かないこともあるし

迷った末に入ってきて
気付きを得てのめり込んでいく者もいる

活動の内容が
性に合うとか合わないとか
そんなこともあると思います

入った後に辞めちゃっても良いのですが
(本当は続けて欲しいけど)
その後だって何かに気付くこともあったり

この部屋の経験を活かして
何かに取り組んで成果を上げたり
そんなふうになってほしい。

この部屋の存在意義は
見た目より大きい…といいなぁ

そうありたいなぁ

常日頃思っています。