卒業式前日 2023年 卒業記念行事

今日は当研究室恒例の卒業式前日に行う卒業記念行事でした。
毎年内容はほぼ一緒です。

昼は神田の「やぶそば」からスタート。
明治13年創業で、言わずと知れた蕎麦の老舗です。

その後は九段に移動して、靖国神社を参拝して遊就館の見学。

遊就館は閉館時間いっぱいまで見学するのが恒例なのですが
この時間に見る夕日をバックにした零戦が、もの悲しくも美しかったりします。
もののあわれを感じるとは、こういうことでしょうか。

そして夜は神田に戻って
明治30年創業の鳥すきやき「ぼたん」で会食。
建物自体は昭和初期のものだそうです。

今回も例年通り、佐野彰一先生にお越し頂きました。相変わらずお元気で何よりです。
毎年思うのですが、日本初のF1マシンの設計者と話ができるなんて幸運ですよね。
ちなみに我々の自動車工学研究室は、13年前に佐野先生から引き継いだものです。
卒業生達は、佐野研究室と小平研究室の別なく交流しています。

今回も九段のビジネスホテルに泊まって、明日の日本武道館での卒業式に臨みます。

やるべきことをやる

自分にとっての「やるべきこと」は何ですか?

他から課された「やるべきこと」かもしれないし
自分で定めた「やるべきこと」かもしれない。

他から課されたものなら最小限で最低限にやればいい
そうしたいと思うのが当然かもしれません。

自分で定めたものなら最大限にやりたいと思うでしょう。

どちらにするかは自分次第。

「自分で定めたもの」とは言っても
何をどのように定めるの?
というのもあるわけで
それもまた自分次第。

目標を定める
とは言っても色々あるわけで

地道で着実な目標を定める場合もあるでしょうけど
それが全てではありません。

一足飛びに高い目標を定めるのは
無謀で間違ってる?

そんなことはやってみなければ分からない。

やってみなければ分からないことをやってみて
何かが分かれば
それこそが「勉強」だと思うのです。

何をもって成功とするか失敗とするか

その判断基準は自分で決めて良いのであって
なにも他人の基準で測らなくても良いのです。

やる前からやればできることが分かっている

そんなことばかりをチマチマやって
気付いたら時間が経っていて
結局チャレンジできなかった

そんなことにはなりたくない
と思うのです。

お利口さんのやり方は万能ではない

ものごとを悲観的に見るのは真面目である
もしくは
真面目な人はものごとを悲観的に見るものだ

なんかそんな風潮がありませんか?
少なくとも学校ではそういう風潮がある気がします。

これ、昔からなので
別に最近の若者がどうのということではありません。
私の世代だってそんな感じだったし
さらにその上の世代だって同様でしょう。

実は、それにはメリットがあるのです。

悲観的なら
一見頭が良さそうに見える上に
やらなくて済むからです。

あと、白黒はっきりさせて
結論を急ぐのも良くありませんね。

そうすると
一見、効率が良くて
早期に答えが出る(仕事が早い)
ように見えることがあります。

でもそうなると大抵は
思考の幅が狭まって
良いアイデアが出ません。

でも、これにもメリットがあります。

たくさん考えずに済むのです。

でも、幅の狭い思考では
そもそも良いネタは揃いません。

恐らくこんなふうになっちゃうのは
「やる」経験が少ないからじゃないかな
なんて思うのです。

考える機会はたくさんあるのでしょう。
それはもう嫌ってくらいに。

でも、行動の量とのバランスが取れていないので
「どう考えるべきか」という
「考え方」が洗練されていかないのではないかな。

それは考えてばかりでは見えてこなくて
「やる」から見えること、気付くことが
たくさんあるのだと思うのです。

考えることばかり要求されていては
そりゃやらなくて済む方法を考えたり
効率を上げたくもなるでしょうに。

まぁ、そう言っている本人が
それほど洗練されているわけでもないのですが
その辺の関係性は想像つきます。

なぜって、出来が良くないからです。
「なんで自分は出来が良くないのか?」
ということと
仕事をしていて
うまくいったときの情況を考えると
その辺が見えてきます。

出来が悪い人間が
手を替え品を替え
色々チャレンジして
脱出口が見えたときに分かることがあって

恐らく頭が良くて
少ない手数で何でもできちゃう人は
その辺のセオリーみたいなものが
分からなかったりするのではないかな。

でも、今のやり方
「たくさん考えて”やる”を軽視する」
やり方は
ボチボチ限界でしょう。

というか、違うアプローチがあって良いと思うのですよ。

学習要領みたいので画一的に縛り上げて
皆に同じようなことを考えさせて
本当に大丈夫なんですかね?
何がって、本人も含めた世の中がですよ。

って、今さら聞くまでもないのですが
それをさらにギンギンに縛り上げていきましょう!
って行っちゃいそうな気がしてなりません。

何やら先細っているところに
どんどん追い詰められているような。

多くの学生にしてみれば
短期的に自身が高く評価されることが重要なのであって
そんなのはどうでも良いのかもしれません。

でも、数年後に社会に出たらどうなのでしょう?
そこで本当にハッピーになれる考え方を教えておくべきですよね。学校は。

知識ばかりじゃなく
「やる」方にもうちょっとウエイトを掛けていけば
自身で気付けることは格段に増えるはず。